遺言日記 #6:「何者でもない私」を、家族の体温が許してくれる
長い間、
ずっと戦っていたような気がする。
思い返すと
小学生の頃から…
正しさや、役割や、期待。
そんな重たい荷物を背負って
必死に「異国」の急斜面を登っていたんだ。
急斜面が当たり前だと思ってた。
この道しかないと思ってた。
呼吸は浅くなり
心はトゲトゲして
「何のために頑張っているんだろう」
という問いさえ
疲れの波に飲み込まれてた。
でも、急に気付いた3ヶ月前から
少しずつ少しずつ
「自分の国」を感じるようになり、
私が向かったところは
何かを成し遂げることではなく
ただ、家族と…
「ゴロゴロ」することだった。
何も求めず
何も達成せず
何も課さず
リビングの床や縁側で
何もしない時間を過ごす。
家族とゴロゴロする時間を味わう。
何も成し遂げなくても
穏やかに過ごせる家族がいる
この驚くほどの純粋な幸せ。
かつての私なら
こんな時間に
「罪悪感」を感じていたかもしれない。
何も成し遂げていない自分に
絶望していたかもしれない。
「何か役に立つことをしなきゃ」
「もっと生産的にならなきゃ」
そんな外側の物差しが
私を追い立てていたから。
でも、今は違う。
家族の穏やかな寝息を聞きながら
肌に伝わる温もりに身を任せていると
「ああ、私は、このままでいいんだ」
と、心の底から自分を許せる。
正確に言うと
やっと許せるようになった。
前までは
何もしない自分に
いつも罪悪感がつきまとっていた。
役に立たなくても
何者になれなくても
この温かな磁場の中に溶けているだけで
私は、もう十分に満たされている。
何もしない自分も尊い。
そこに存在しているだけで尊い。
世界を救うのは、
誰かを説得する言葉でも
目に見える実績でもなく
自分自身が「凪」でいて
この「ありがとう」という体温を
放っていること。
それが、今の私にとっての真実。
高い授業料を払って
手に入れたのは…
「何もしない」という
世界一の贅沢だった🌿
