#07_論理的思考の原点とその先にあるもの【論理的思考】
はじめまして おとなの現代文 です。
物事にはマクロな視点とミクロな視点をもち、物事の真意を汲み取り判断する必要があります。
こうした物事を論理的に読み取ることをロジカルシンキングと呼ばれますが、論理的思考とは一体どういったものなのでしょう。
今回は、「論理的思考」について考えていきます。
マクロとミクロの視点で読み取る
物事を感情で判断するのではなく、なぜそうなるのかという道筋を立てて、論理的な一貫性や根拠に基づき結論を導き出す考えを論理的思考といいます。
この論理的思考が用いられる例としてマクロとミクロな視点が挙げられます。
物事に対して枠組みをつくり、その外側に存在するものがマクロであり、それを細分化したものがミクロとなります。
例えば職業について、「夢を与える仕事」を考察するとき、大きな枠で考えたときには、ヒーローのように子供に夢を与える消防士や警察官や、実際に夢を見るための寝具屋さんなど、その「職種」がフォーカスされるでしょう。
そしてそれを細分化した時、実際に街をパトロールしている警察官や枕職人がオーダーメイドで仕上げるといった、その「業務内容」に着目します。
こうした職種という物事を大枠で捉えたものがマクロな視点であり、実際の業務に落とし込んみ枠中に内在するものを捉えたものがミクロな視点であるということです。
ディテールという別次元の概念
ではミクロのその先には細分化された事象は存在するのでしょうか。
それはディテール(detail)と呼ばれる細部を意味する言葉がより正確に当てはまるでしょう。
この3点に関してはマーケティングにおけるブランディングがよい例となります。
あなたは新しく料理動画をアップするYouTubeチャンネルを立ち上げます。
ではどんな料理系チャンネルにしますか?
家庭で作れる本格レシピや、100円で作れる電子レンジレシピなど、そのチャンネルの個性をまず考えるでしょう。
マーケティングではこうした1番大枠となるマクロ面をチャンネルブランディングといい、どのようなチャンネル方針にするかということをまず設定します。
マーケティングの基本でいけば、このチャンネルブランディングは基本的には変更せず、これが変わる時はチャンネルをリブランディングする必要があるときなどです。
そしてこのチャンネルブランディングが決まった時、次にミクロ面としてどういったターゲットを選択するかを決め、これをペルソナ選択と言います。
例えば、新生活で自炊し始める学生なのか働く主婦なのか、もっと踏み込めば年齢層は何歳なのか、どこに住んでいるのかといった訴求したい層をより具体像を決定します。
このターゲットは活動していくうちにファンベースの変更などにより、意図せず変更されることもあるため、可変が可能な状態にしておくとリスクヘッジにつながります。
そしてこの先にあるのがテロップやSEにBGM・話のテンポなどといったコンテンツの内容であり、これがディテールに当たります。
視聴回数に対して「動画が面白くない」や「内容が面白くない」といったディテールを真っ先に変更しようとする人がいますが、これがクリエイターが陥りがちな最大の罠です。
つまりマクロ面であるブランディングとミクロ面となるターゲティングとの間に齟齬がなかったかをまず確認する必要があり、ディテールの修正はその後で行うということです。
例えば学生の新生活用の自炊チャンネルにしたいのに、チャンネル名を「ベロベロアル中酒場〜うみゃー地酒を持ってこい〜」とし、ターゲットを50代のマダムに設定している場合、やりたいことと、訴求したいターゲットがズレてしまっていますので、ブランディングを変更するか、ターゲットを変更する必要があります。
どういった魅せ方をしたいかや、どのようなブランド価値を見出したいかといった話はこの先のマーケティングのより詳しい内容になるのでここでは割愛しますが、重要なのはディテールの変更のみでは全体の改善は不可能であるということです。
これはマーケティング以外にも通ずることであり、仕事において試行錯誤や臨機応変な対応といったマイナーチェンジは足軽に求められますが、このマクロ>ミクロ≠ディテールのどの部分にエラーが起きているかを見極める必要があります。
ディテールの変更とは、マクロ面とミクロ面の絡み合いの上に成り立っているものであり、ディテールの変更のみでは全体の改善にはなり得ません。
例えば女性にモテる男性の特徴として、まず清潔感や見た目というマクロ面が整っており、その次に仕草や性格といったミクロ面があり、最後に車道側を歩くなどの心遣いというディテールになるため、単に車道側を歩いただけでは女性にはモテません。
ディテールの修正は素人目にもその箇所が見えるため、物言いがしやすいですが、真の修正箇所はマクロとミクロの齟齬やその真意を見極める必要があるということです。
無論、心意気としてこうしたディテールから変更する試みはよい心掛けかと思いますが、問題の根本的解決にはなり得ないということです。
論理とは言語化された経験
そして論理的思考の本質は、こうした物事を分割して捉えることではなく、自分の中にあるこれまでの蓄積を言語化して捉えるということです。
私はマーケティングやコンサルという発想が苦手でそういった部類の本や動画は基本参考にしません。
そして上記に記載した内容は全て私自身の持論であり、私がこれまで経験してきた蓄積を言語化し、それをまとめましたまでに過ぎず、これがマーケティングの教科書において正しいとされているかどうかはわかりません。
なのでツッコミどころも多く、専門的な方が見た場合、違うだろと思うところも多々あったかと思いますが、私は本質的にはこの理論は破綻しておらず、少なくとも論理的であると考えています。
ではどのように論理的な言語化がなされていくかについてですが、こうした言語化の礎は「Why」という疑問からはじまり、その派生形である「5W1H」の疑問詞を解決することで養われるのではないでしょうか。
"Why(なぜ?)"という問いをあらゆる角度で投げかけ、
"What(なに?)" "Where(どこ?)" "When(いつ?)" "Who(だれ?)" "How(どのように?)"という疑問を解決していきます。
そしてそうした疑問を整理する際にもマクロとミクロの視点を持ち、"Why(なぜ?)"をマクロの質問とし、その先に"What(なに?)" "Where(どこ?)" "When(いつ?)" "Who(だれ?)"といったミクロな質問として処理します。
"How(どのように?)"という質問に関しては具体的解決策であるため、私はディテールとして定義し、"Why(なぜ?)"とは別の軸で処理しています。
こうした考え方は一般的には批判的思考(クリティカルシンキング)と呼ばれる、物事を批判的に捉え、前提となる事実が本当に正しいのかを明らかにするため、物事の本質を見極め、矛盾や漏れのない結論を多角的な視点から論理的に導き出すための思考だと言われています。
しかし私はこうした疑問は純粋に人間の探求心からくるものであり、○○シンキング的なものではなく、単純に気になったことをその場で調べ、相互関係を明らかにする、いわば学びの一種だと考えています。
つまり論理的思考とはQ&Aの繰り返しとそれをもとにした理論の言語化なのではないでしょうか。
肩肘の張った言葉で捉えられる能力ではなく自分自身の知識という点を正確な物語として線にするだけの行為なのではないでしょうか。
皆さんは論理的思考についていかが考えますでしょうか。
