金色のペンが綴る ハッピーエンドを届ける少女の物語 ~絵本『魔女にとられたハッピーエンド』~
『魔女にとられたハッピーエンド』、キャロル・アン・ダフィ文、ジェーン・レイ絵、さわちか・ともこ訳、新樹社、2012年4月
[絵本《SHORT》紹介]
Ⅰ.もしも、おとぎ話の《ハッピーエンド》が失われたら?
子どもたちの寝物語としての〈おとぎ話〉から《幸せな結末》が失われてしまったら、どうなってしまうのだろう。
〈おとうさんやおかあさん〉が語っても語っても〈お話は、ますますひどくなるばかり〉で《ハッピーエンド》が全く訪れなかったら、子どもたちは安心して眠りに就くことができるだろうか。
ヘンゼルとグレーテルは、わるいわるい魔女にだまされたまま、おかしの家にとじこめられ、ひめいをあげています。魔女が、パンやきかまどにどんどん火をくべて、あつあつにしているのです。
シンデレラの足は、あまりにも大きすぎて、ガラスのくつにはいりません。
白雪姫は、毒リンゴをかじって死んでしまうと、にどと、息をふきかえしません。
大きくてわるいオオカミは、赤ずきんちゃんをのみこむと、おいしそうに、たいらげてしまいます。
Ⅱ.毎晩、子どもたちのもとへ《ハッピーエンド》を届ける仕事
森の木の洞〔うろ〕に棲む少女ジュジュの仕事は、毎晩、子どもたちの就寝前の〈おとぎ話〉の時間に、おとぎ話の《ハッピーエンド》を届けること。
役目を終えた《ハッピーエンド》たちは、朝になると再び森へ戻ってくる。ジュジュは夜までにそれを〈みどり色の大きな布の袋〉に回収して、〈カシの老大木のてっぺん〉から解き放つのだ。
ある晩、いつものようにジュジュが仕事に向かおうとすると、森には霧が立ち込めて、彼女の前に〈こしのねじまがったおばあさん〉が立ちふさがる。〈顔は、木のはだのようにしわだらけで、手には、おそろしいかぎづめ〉があり、〈その目は、ぎらぎらと赤く、毒イチゴのよう〉だった。
おばあさんは〈みどり色のつば〉を吐きかけ、木の根につまずいて転んだ〈ジュジュの上に馬のり〉になり、《ハッピーエンド》の入った袋を略奪する。ほどなく霧が晴れ、恐怖にかられたジュジュは自分の棲む木の洞〔うろ〕へと、一目散〔いちもくさん〕に駆け戻る。
その夜の〈おとぎ話〉の結末は、先に引用した通りだ。〈ひと晩じゅう、子どもたちは、ないたり、明かりをけさないでとたのんだり、ひとりでねるのをいやがったり、ベッドにおねしょをしたり〉という状況で、その〈さけび〉を木の洞〔うろ〕にこもって聞いていたジュジュの心は痛んだ。
Ⅲ.夢で見た〈金色のペン〉の出現と、そのペンで綴る物語
夜明け前に眠りに就いたジュジュは〈夜空に字がかける〉という〈金色のペン〉の夢を見る。夕方に目覚めると、ベッド脇のテーブルにそのペンが出現していたのである。
夜空に向かって、そのペンで文字を綴〔つづ〕ると、金色の文字が暗闇で輝いた。ジュジュは、そのペンで夜空に〈自分のハッピーエンドをかけば、それがほんとうのことになる〉という答えに思い至る。
ジュジュは、例のおばあさん(=魔女)の姿を想像し、《ハッピーエンド》の袋を強奪した後の魔女の物語を紡〔つむ〕いでいった。
袋の中に詰まっていたのが、自分にとってはガラクタに過ぎず、怒りにかられた魔女は袋を燃やそうとする。袋の上に枯れ葉と枯れ枝を積んで、発火させようとしたところ、その火が自分に燃え移って魔女は炎上する、というものである。
金色の文字で書かれた物語は夜空で輝きを増したかと思うと、突然、消失する。やがて森の中に佇〔たたず〕むジュジュの足もとには、小さな残り火と《ハッピーエンド》の袋があった。ジュジュは袋を拾い上げると、自分の仕事を果たすべく〈カシの老大木〉へ全速力で向かう。
Ⅳ.ある種の《呪い》か? そして別の書き手の登場
〈おとぎ話〉の《ハッピーエンド》が奪われてしまったら、という設定は斬新で面白いと感じた。
また、主人公が自分で《ハッピーエンド》の物語を想像・創造することで、《ハッピーエンド》を取り戻すという重層性も、なるほどと思った。現実世界における《ハッピーエンド》も、我が想像(創造)によって自分の手でゲットせよ、ということだろうか。
ただ、おばあさん=魔女の末路は、いわば自業自得とも言うべき《自滅》である。とはいえ、その《自滅》を現実化したのは、《金色のペン》というアイテムを介したジュジュの《想像》の力だった。
ジュジュが魔女(困難・難題)と対峙して大切な物を取り戻すという物語ではなく、相手の《自滅》=《死》をひたすら願い、袋の奪還を望んだわけであるから、これはもうある種の《呪い》であり、《金色のペン》は《呪物》のごときもののように私には思える。
まあ、これは私自身が《スポ根》世代、いわゆる《スポーツ根性もの》の漫画・アニメ・ドラマを見て育ってきた子どもだったせいで、はたまた部活や受験勉強もそんなノリで生きてきたから、ついつい「相手とガッツリ向き合えよ!」という思考回路から抜け出せないだけなのだろう。
そして、最終場面には、月夜の晩に森の中の一軒家が描かれ、その窓辺でペンを手に何かをしたためている温厚そうなおばあさんの姿が見える。物語は、こう綴られて幕を閉じていく。
あれから、ジュジュは、どうしたでしょう。
じつは、森のなかを走って、走って、走っているうち、金色のペンをおとしてしまいました。
でも、しんぱいは、ありません。
わたしは、森で見つけた金色のペンで、このお話をかいているのですから……
いやいや、ちょっと待って! このおばあさん(書き手)の〈森で見つけた金色のペン〉という記述からは、ジュジュの行動の直接の目撃者ではないことが窺〔うかが〕えるのだが、だとすれば、なぜ彼女の行動を克明に綴ることができたのか?
もはや、あの《金色のペン》が物語の記録アイテム(メモリ)だったと考えるほかなさそうだ。
そして、それが伝承のバトン、あるいは想像力のバトンであるならば、ジュジュが落としたペンを書き手が拾い、(ジュジュの想像・創造した物語)をこの絵本に綴ったように、今度はこの絵本を読んだ私たち読者が、現実の《バッドエンド》を《ハッピーエンド》に書き換えるペンを握る番なのだ、というメッセージが込められている……のかも知れない。
絵はくっきりと鮮明な色調でイラストのようなタッチで描かれており、可愛らしいキャラクターは登場しないが、なかなか素敵である。また、見開きの左に文字、右に絵という構成で一貫している。文字側のページに添えられている小さな絵も、ジュジュを見守る動物たち、不安で眠れぬ子どもたち、魔女の周囲にカラスや沢山の骨など、物語を縁取っている。
※ 私は、タイトルに心惹かれて、かなり前にバーゲンブックとして購入したのだが、この絵本は在庫切れのまま増刷されていないため、いま一般書店で新品本として入手することはできない。
