欠けたままの自分を愛する
自分は、もっと優しくありたいと思っている。
それなのに、ときどき感情に振り回されてしまう。
自分のほうがつらい、
自分のほうが傷ついている、
そう思った瞬間、
相手を傷つける言葉を選んでしまったことがある。
言ったあとで気づく。
本当は、相手もつらかったのかもしれない。
別の意図があったのかもしれない。
想像力を働かせる余地はいくらでもあった。
それでもその場では、
自分の感情を優先してしまった。
あのときの自分は、
相手を見るより先に、
自分の内側だけを見ていたのだと思う。
こういう瞬間があると、
自分は欠けているのだと痛感する。
思いやりが足りない。
余裕がない。
まだ大人になりきれていない。
だからといって、
「もっと完璧にならなきゃ」と思っても、
現実はあまり変わらない。
感情は簡単にはなくならないし、
衝動はいつも自分より一歩先に動く。
それでも、
欠けていることに気づいた瞬間、
何かが始まっている気がする。
あのとき、
相手を傷つけてしまったかもしれないと
あとから考えた。
自分の言葉が、
相手の心にどう届いたのかを想像した。
遅かったかもしれない。
完璧な対応ではなかった。
でも、
その「想像しようとしたこと」自体が、
私にとっては大きな一歩だった。
人は、完全だから誰かを愛せるわけじゃない。
むしろ、
自分が足りないことを知っているから、
他者に向かおうとする。
欠けているから、
分かり合おうとする。
欠けているから、
何度も考え直す。
もし自分が完璧だったら、
相手の痛みを想像する必要もないだろう。
自分の正しさだけで、
世界を判断してしまうかもしれない。
でも実際の私は、
いつもどこかで失敗して、
あとから振り返って、
「ああ、違ったかもしれない」と思う。
その繰り返しの中で、
少しずつ人との距離を学んでいる。
欠けている自分を愛するというのは、
欠点を肯定することではない。
誰かを傷つけていい、という話でもない。
ただ、
欠けを見ないふりをしないこと。
なかったことにしないこと。
「またやってしまった」と
自分から目をそらさないこと。
その態度が、
次に誰かと向き合うときの
想像力を、ほんの少しだけ育てる。
私はこれからも、
感情に振り回される瞬間があると思う。
自分のやりたいことを優先して、
相手を置き去りにしてしまうこともあるだろう。
それでも、
その欠けを抱えたまま、
人と関わり続けたい。
完全になるためではなく、
欠けたまま、
それでも他者に向かおうとするために。
欠けを自覚することは、
自分を責めるためじゃない。
愛を始めるための、
いちばん静かな出発点なのだと思う。
