坂の上のつくも|ep2-4 「紅蓮の記憶」〜ユキとトキ〜

episode 紅蓮の記憶「追憶」
―――これは夢だ。
どうしてそう思うかと聞かれても、理由をはっきりとは言えない。
だけど、目の前に広がる景色は「今」のものじゃないし、ほら、そこを歩いていった人だって、ずっと前に亡くなった人だ。聞いた話だと、100歳を超える大往生だったらしい。なのに、今の目の前で手を振るその人は、もっと若々しくて元気そうだ。
―――だから、これは夢なんだ。
夢だと認識しながら夢を見るのも、どうなのだろう。こんなにはっきりと自分の意識を保ちながら、寝ているなんてあるのだろうか。
「ユキ、どうしたの?」
思案していると、背後から急に声をかけられて、どきっとしてしまう。
この声の主を、俺は知っている。耳に馴染んだ声。だけど、思い出さないように意識の底へ深く閉じ込めた声。
「大丈夫?具合悪いの?」
俺が振り返る前に、俺の目の前に回り込んだそのヒトの、心配そうに覗き込む仕草や言葉遣い、姿形も全部覚えている。
全てあの日のままだ。
「…トキ」
名前を呼ぶと、にこっと笑うその表情も、俺の知っているもの。
その全てに対して、懐かしさと同時に、身体の中心が締め付けられるような苦しさを感じる。
「ところでユキ、また田上さんと言い合いになったって聞いたわ」
言い合い?いつのどれだろう。懐かしい名前のその人とは、確かにしょっちゅう言い合いになっていた。そもそも意見が合わないし、俺は人間と馴れ合うつもりもない。それに、その人は「今」は亡き人だ。
黙っていると、トキが少し悲しそうな目をする。
「ユキは、どうしてそんなに人間が嫌いなの?」
トキは、俺が人間を好きではないことを知っている。だけど、トキは人間と仲良くしていて、いつも俺に人間と仲良くすればいいのにということを言っていた。
彼女の問いに、俺はいつもと同じように微笑みかけるだけで言葉を返さない。トキも慣れたもので、またそうやって誤魔化すんだからと、頬をふくらます。
そうだ、いつもこうやって話していた。
俺はいつも、彼女のくるくると変わる表情を眺めて楽しんでいた。人間も好きではなく、ほかのヒトともあまり親しくない俺にとって、トキが唯一の特別な存在だった。
episode 紅蓮の記憶「約束」
ふっと灯りが落ちて、周囲が暗くなる。
目を凝らして辺りを見回すと、ここは…昔使っていた旧北海道銀行の部屋の一つだ。
ということは、俺はまだ夢の中のようだ。
さっきまで感じていた懐かしさと苦しさの感覚が、夢の中でもまだ身体に残っている気がする。
―――今度は、「いつ」なのだろう。
外の闇の深さから夜遅い時間だということはわかるが、なんだかいろいろ判然としない。
窓からは、街頭の灯りが薄く入るだけで、自分以外の気配は感じない。
突如。
静寂を破るサイレンの音が響き渡る。それと同時に、遠くで光る赤色灯の灯りが見え、カンカンカンと火事を知らせる音が聴こえてきた。
それらが放ついつかの既視感に、背筋がぞわりと冷たくなる。
俺はきっと、この日を知っている。
そう思った瞬間、俺は部屋を飛び出して走り出していた。
目的地には一瞬で着いたような気がする。さすが夢の中だ。
だけど、あの結末はきっと変わらない。
目の前には赤々と燃える建物。旧坂別荘だ。
建物は、ごうごうと音を立てる炎に全てを飲み込まれ、いくら水をかけたところで炎の勢いは収まらない。
そして、燃え盛る建物のそばには、あの日と同じようにうずくまる一つの影。
「トキ!」
夢だとわかっていても、その姿を見つけると冷静ではいられない。
すぐさま駆け寄って、その肩に触れる。
小さく震えるその身体は、淡い光を放ち、今にも消えてしまいそうだ。
「トキ!大丈夫か!」
大丈夫なわけがないとわかっていても、それ以外に言葉が出てこない。
俺の声に顔を上げたトキは、苦しそうに、だけど少しだけ微笑む。
「大丈夫、じゃないけど…。ありがとう、来てくれたのね」
震えるトキに、俺はかろうじて、大丈夫だから、とだけ声をかける。
「…ユキ、私は、あなたが心配なの」
震える声は、自分の心配よりもヒトの心配を優先して、あの時と同じように、その言葉を紡ぐ。
「あなたが、人の中で生きていけるのか…」
トキの身体が、光の粒となって闇に溶けていく。
「ユキ、何があっても、人を恨まないで…」
もう形を保つことさえできなくなったトキの、最期の言葉。
「…泣かないで。私は、あなたに会えて幸せだったわ…」
手の平からこぼれていくトキだった淡い光の粒は、炎が発する熱風にあっという間に吹き飛ばされて、闇に吸い込まれるように消えていく。
まだかすかに残っていたトキの体温も、途端に冷めて、ここにいたのかさえわからなくなる。
跡形もなくなるという感覚を、このとき、嫌というほど思い知ったんだ。
そして、俺は、あの時と同じように炎を恨んで、慟哭した。
※ ※
「おい!ユキ!お客さんだぞ!」
大きな声で呼ばれて、現実に引き戻される。
目を開けると、そこは「今」で、俺は小樽バインのレジ横でうたた寝していたようだ。
随分長い夢を見ていたような気がするが、寝ていたのは一瞬だったのだろう。
あの時を夢に見たのは久しぶりだ。一時期は毎日のように現れた夢の中の幻は、ここ最近姿を潜めていたというのに。
『何があっても、人を恨まないで』
目が覚めたというのに、彼女の声は頭に響いていて、あの時の息苦しさが身体を支配しているような感覚が残っている。
あの後、燃えて消えた彼女自身だった建物は復元されることはなく、今、その場所は更地になっている。もちろん、彼女も消えてしまったままだ。それを「死」と呼ぶのかどうかわからないが、もういないことには変わりない。
そして俺は、人間を恨んだ。
彼女の言葉を思い出して、人間を信じようとしたこともあったけれど、一度抱いた不信感は消えることなく、いまだにくすぶっている。なのに結局、人間と生活を共にしている自分に腹が立つ。
「ユキ!ぼうっとしてどうした?」
さっき俺を呼んだ大きな声の主は店のオーナーで、俺を見てうたた寝なんて珍しいなと笑っていた。俺は気持ちを切り替えるように頭を少し振って、オーナーに笑顔を返す。だけど、意識がまだ過去に引きずられたままで、ちゃんと笑えたのかわからない。
「ユキ、客はそっちだぞ」
再びオーナーに客と言われ、玄関を見ると、そこにはスイとテンと、あれは。
「ええと、尊くん、だったかな」
先日はありがとうございました、と礼儀正しくおじぎをした青年は、手に持っていた紙袋を差し出した。
「これ、オルガが作ったクッキーです。オルガたち今ちょっと手が離せなくて、俺が代わりに来ました」
差し出された紙袋を受け取って、中をのぞく。袋を少し開いただけで、甘くいいにおいがしてきた。
「へぇ~、ありがとう。オルガちゃんによろしく伝えてね?」
彼がそれじゃあと頭を下げて帰ろうとするところに、俺はふと思い立って言葉を投げかけてみる。
「ところで君は、スハラちゃんたちとも仲がいいよね」
そうっすねという返事。その目には、それが当たり前であるかのような光。
「君はさ、なんで付喪神と一緒にいるんだ?」
俺の言葉に、目の前の彼はきょとんとした顔をする。
「俺たちは人間じゃないどころか、イキモノと言っていいかもわからない存在だ」
意思を持って動いてはいても、本体は何かの「物」だから、例え傷ついても簡単に治るし、だけど本体が壊れれば簡単に消えてしまう。
その在り様を不気味に思い、嫌悪する人は、今までにたくさん見てきた。
「俺たちのような存在を、怖いと思わないのか?」
俺の言葉に、青年は考えるような素振りをして、少し間を置いて口を開いた。
「…あんまり考えたことなかったですけど、ずっとそばにいてくれて、今もみんなが目の前にいて、喋ったり笑ったりしてるのに、嫌いになるとか思いつきもしなかったですよ」
そう言いながら難しい顔をして何か考えている青年の、次の言葉を待つ。
「こう言ったらあれですけれど、俺にとって相手が人間かどうかってのは何でもよくて…要は俺がどうしたいかかなって思うんすよね」
「…へえ、そう」
俺にはよくわからない。だから俺は、ちょっとした好奇心から質問を重ねる。
「もし、スハラちゃんやオルガちゃんたちが消えたら、どうする?」
消えるとは、建物がなくなることを暗に含んでいる。我ながら嫌な聞き方だ。
「…考えたこともなかったですね」
青年はまた考え込んでしまったようだ。
「…俺のほうが先に死ぬと思ってたから…どんなに仲良くなっても人間のほうが先に死ぬほうが多いと思うんですよね。だから、いつも、今までも残されていく立場のスハラたちは、どれだけ辛いんだろうって思ってました」
少し辛そうに顔をゆがめた青年は、異質な存在である自分たちを受け入れているというのか。
これは予想外の答えだった。俺たちを心配するかような考えを持つ人間は、俺の周りにはいなかった。いや、いたのかもしれないけど、そもそもこんなことを面と向かって聞いたことはなかったか。
「尊、もうすぐ依頼の時間だ」
スイに呼ばれた青年は、自身の腕時計を確認すると、じゃあ失礼しますと、勢いよく走って帰っていった。
『人を恨まないで』
あの時、彼女はどういうつもりでこの言葉を言ったのだろう。
人間と仲が良かったのに、裏切りとまでは言わないけれど、人間の手によって消えてしまったトキ。
ただ、さっきの青年のような考え方をする人間がいることは、今更だけど確認できた。
こんなとき、彼女だったらなんて言うだろう。人間を信じてみればいいだけだと微笑むだろうか。
「トキ…」
久々にその名前を口にしたことで、胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
自分のこの傷は、どうやらまだ癒えていないようだ。
彼女のことを笑って話せるようになれれば、少しは人間を好きになれるのだろうか。
「…俺を遺していくなよ」
俺は、誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
※エピソード一覧
・第1部
ep1「鈴の行方」
ep2「星に願いを」
ep3「スカイ・ハイ」
ep4「歪んだココロ」
ep5「ねじれたモノ」
ep6「水の衣」
ep7「嵐の前の静けさ」
ep8「諦めと決意」
ep9「囚われの君へ」
・第2部
ep1「北のウォール街のレストラン」
ep2「高嶺の花」
ep3「名探偵コテン」
・サイドストーリー(ショートショート)
epSS「雪あかり」
epSS「消防犬ぶん公」
epSS「雪あかりの路2023」
epSS「アナタニサマ」
※コメントはこちらから!
最後までお読みいただきありがとうございます。
もしご感想等ございましたら、コメントを頂けると大変励みになります😊
