6歳、保育園から熱狂を持ち帰る
目で食べるタイプのビュッフェだな、と思った。
SNSのタイムラインの話だ。
とくにAIの最新情報はおいしそうで、つい立ち寄ってしまう。一度食べると、また別の味つけを欲するのでキリがない。次々差し出される料理を、ひとくち、ふたくち。そうして消化できないまま食べ続け、とうとう胃もたれしてしまった。
お腹いっぱいでヒーヒーしているところ、次男(6歳)が胃薬を差し出してきた。こちらも、目で飲むタイプの、である。
「今日、これ作った〜」
夜の食卓もおおかた片付き、さてお風呂に入ろうかと洗面所で顔を洗っているとき、次男が声をかけてきた。とかげをつかまえた猫のように、自慢げに鼻をフンフン鳴らしている。
「ん〜? どれどれ?」
きっとまた、折り紙の腕時計だろう。最近ハマっているらしく、連日同じような時計を披露され続けている。
タオルで雑に顔をふき、視力0.02の裸眼のまま次男の手の中に視線をやると、しかしそこに腕時計はなかった。かわりに、なにやら見慣れない紙の束が握られている。ハァン、わかったぞ。「ママだいすき」の手紙だね?
鼻の下を伸ばしながら、今度はメガネをかけてきちんと見る。すると思いがけず、平安貴族らしき風貌の男たちと目が合った。背景には、たどたどしい筆跡で和歌が添えられている。
瞬間、ギュンっ!と全身の細胞が立ちあがった。
「ちょっと貸してっ! ぜんぶ見せてっ!」
紙を濡らしてはいけない……と思うより早く、本能がタオルをつかんでいた。水滴を爆速除去した手に、生まれたての子猫を迎えるようなうやうやしさで、紙の束を乗せてもらう。
次男が差し出したのは、お手製の百人一首かるただった。

「これ、どうしたの?」
「最近保育園で百人一首やってるから、描いた〜」
初耳だった。グッジョブ、先生。明らかにテンションが上がっている親の反応を見て、次男はさらに鼻の穴をふくらませた。たくさん覚えたからと、和歌も暗唱してくれた。
「たきのおとは〜たえてひさしく〜なりぬれど〜……」
聞いているうちに、立ちあがったままの細胞たちがみんな目頭を抑えはじめる。ふだん、謎の替え歌だの、う◯こだのを連発している口から、日本文化が誇る雅なリズムが流れてくるだなんて……!
次男いわく、保育園では今ちょっとした百人一首ブームらしい。本人は保育園一の強さを誇るようで、先生を含めた三人チームと対戦しても、ひとりで勝ってしまうのだという。なんということだ。もしかしてわたし、神童うんじゃってる?
タイムラインのごちそうで疲弊気味だった胃に、不思議な爽やかさが広がっていく。とりあえず、興味と才能は伸ばすべし。Amazonで百人一首かるたを即ポチった。
「もっと見たいなぁ。また新作描いてよ」
「えー、気が向いたらね」
焦らしてくるが、じつのところ、すでに気は向きまくっているだろうと思っていた。折り紙の腕時計を毎日飽きずに作り続けるような、ハマり気質の次男のことだ。母の興奮っぷりにやる気を出し、きっと明日にでも大量の新作を引き連れてくることだろう。
そう期待していたものの、待てど暮らせど、新作はやってこなかった。保育園の帰り道、それとなく次男に探りを入れてみても、反応は薄い。まったく、子どものブームは湯気である。つかもうと思って手を伸ばしてみても、幻のようにすぐに消えてしまう。
——薪が必要だな、と思った。
あてならある。百人一首の競技かるたアニメ『ちはやふる』だ。戦隊ものを観ればすぐに剣作りをはじめ、プリキュアを観れば兄弟たちにプリキュアごっこを強要するような子だ。『ちはやふる』で、次男の百人一首欲がふたたび燃え上がるにちがいない。
わたしはNetflixをたちあげ、『ちはやふる』を焚べた。
次男は、和歌が出てくるたびに「これ知ってる!」と大騒ぎだった。いいぞ、燃えろ、燃えろ。
「百人一首かっこいいね! もう一話みていい?」
「いいよ、今夜は特別ね。おもしろかった?」
「うん!」
しめしめ、である。
しかし、わたしの作戦に焚きつけられ、興奮気味に二話目を所望したのは、次男ではなかった。次男の隣でぼ〜っとテレビ画面を眺めていた長男(9歳)だったのだ。あれ……
でも、兄がハマれば、弟もまねをする。セオリー通りの流れになり、結果的に、わが家に百人一首兄弟が爆誕したのだった。
ふたりは、『ちはやふる』の視聴はもちろん、図書館で借りてきた百人一首の学習まんがを何度も読み、ぶつぶつ和歌を暗唱。弟はベースの知識プラス感覚で、兄は小学校歴4年の学習筋力を生かして、一気に札を覚えていく。いつのまにか、4歳の末っ子までもが「はるしゅぎて〜なつきにけらし〜」などと口にするようになったものだから、驚いた。
土日のドライブBGMも、もっぱら和歌である。それまでエンドレスリピートされていた米津玄師の「IRIS OUT」が封印され、百人一首の札読み音声が流れてきたときには、さすがに「受験生か!」と笑ってしまった。
最近じゃ、ドライブ中も百人一首でどんだけ〜 pic.twitter.com/xdqrxbuNLp
— 大塚ぐみ (@GUMI_gumicooo) March 19, 2026
夕飯を食べ終えると、どちらともなく「百人一首やろうぜ!」と誘い合う。札を並べ、ビシッと三つ指を並べて「お願いします」と深々あたまを下げるのは、アニメ『ちはやふる』で学んだ競技精神だろうか。律儀さがいちいちかわいい。
野生動物の狩りを思わせる低めの体勢で、じっと下の句カードを見つめるふたり。さらに姿勢を低く保って兄弟にそろそろと近づき、スマホを縦にしたり横にしたりしながらベストショットを狙う母。それぞれに、それぞれのサバンナ。

「それでは、はじめましゅ」
札読みの自動音声再生ボタン係に任命された4歳の妹が、おごそかに指を上下させる。
ポチッ
"おくやまに〜もみぢふみわけ なくしかの〜"
「ハイッ!」
音声が響くと同時に、次男の目がギラっと光り、指先が風をきる。刹那、札は壁まで矢のごとく飛んだ。観客席から、感嘆の声が漏れる。
ポチッ
"せをはやみ〜いわにせかるる……"
「っしゃぁ! 一字決まりキタァ!」
今度は長男が、タックルよろしく札に向かって力強く突進する。「取られた〜」と悔しそうにする次男も、表情は明るい。
文化的狩りを見つめながら、シャッターでとらえた獲物をチェックする。お、いい表情。同じ指先で、ふとSNSのアイコンをタップすると、タイムラインにはあいかわらず、豪華な生成AI情報が並んでいた。
食べ続けなければと、不安だった。食べるのをやめた瞬間、自分だけ取り残されるような気がして。消化もできず満腹なのに、皿を置けなかった。しかし、目の前には、未来どころか千年前の三十一字に熱狂する世界がある。最先端と、千年前。どちらも同時に存在している現実は、カオスで、おかしくて、いとおしい。
風が荒れはじめたのは、長男の努力が神童だったはずの次男を凌駕するようになった頃からだった。
「今のぜったい、おれの方が速がっだぁ〜!」
兄に負ける悔しさで、次男は泣き叫ぶようになった。ズルの濡れ衣を着せ合うせいで、両者間で喧嘩もたえない。札読みボタン係もすっかり愛想を尽かし、ぬいぐるみを抱えてふたりの元を去ってしまった。
そろそろ、潮時か。
ストライキしたボタン係の代理人をつとめながら、どうやってこの炎上の火消しをすべきか思い悩んでいると、カチャ。リビングの扉が静かに開き、廊下からひとりの男が現れた。夫である。
「これ、やってみる? まだ未完成だけど」
夫は、兄弟に向かってiPadを差し出す。
いったいなんだ、今ごろになって。昨日だって、暴風雨が吹き荒れる競技会場をチラと見たまま、仕事部屋に引きこもっていったくせに。
ぷん、と思いながらiPadの画面をのぞきこむと、グラフィックの画面が表示されていた。画面のトップには、『耳で覚える百人一首』の文字と、クリックを誘うスタートの文字が浮かんでいる。

「えっ、なにこれゲーム? やる〜!」
「おれが先にやる!」
「いや、おれが!」
夫がルールを説明すると、兄弟は小競り合いをしながら順番にiPadを膝にかかえ、夢中で画面をタップしはじめた。

「……こんなの、いつ作ったの?」
満足そうな顔で兄弟を見つめる夫に、小声で問いかける。
「昨日の夜。あまりにもふたりが喧嘩してるから、こういうのあるといいなと思って。いい緩和剤になるでしょ」
「へぇ……」
驚いた。我関せずと、部屋で仕事をしているように見せかけて、子どもたちのためにせっせと百人一首ゲームをこしらえていたとは。
「とりあえずの概要だけなら、AIですぐに作れた。ふたりの要望聞いて、もうちょっとブラッシュアップしてみるよ」
ありがとう、最先端と千年前を繋ぎし男よ。
夫のおかげで、リビングにはふたたび平和がもたらされた。それでも、ブームは穏やかに終息に向かっていく。諸行無常である。
かつての百人一首兄弟は、今やコナン兄弟として、せっせと漫画の表紙を描き写したり、事件を考えて物語を作ったりしている。単調な和歌が流れていた車内では、新たにコナンのテーマソングが響くようになった。呼び出しがかからなくなったボタン係は、ぬいぐるみのお世話で忙しそうだ。
子どもたちが寝静まったリビングで、ありし日の写真や対決動画を見返しながら、千年前にも存在していたであろう熱狂を思う。和歌は、あふれ出す感情を切り取るための、三十一文字の器だ。形はちがえど、この写真も、動画も、似たようなものなのかもしれない。
がらんとしたリビングには、熱の余韻が漂っている。夜風にあたりたくなって、スマホの画面を閉じ、窓を開ける。千年前と変わらないであろう初春の夜風が頬をなで、ふっとリビングを通り抜けていった。
どなたでも遊べます。よかったら、悠久の風を感じてみてください。
おかわりに。プリキュアに沼り、兄弟たちにプリキュアごっこを強要していた次男の話もどうぞ。子どものブームって、太くて短いよな〜
