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キャベツですか? レタスですか?

「普通、こんなとこに停めるか……?」と夫がぼやき、ギクッとした。夫が運転する車の助手席に、ぼけ〜っと乗っていたときだった。

ぼやかれた車の停車場所を確認して、ふむ、と思う。ダメな理由がわからない。「普通」だったら、どこに停めるのが正解だった感じ?

きっと、とてもシンプルな話なのだ。道路交通法的なものに照らし合わせ、まっとうに判断した結果、他者に迷惑がかかる状況なのだろう。「それはやっちゃダメだよね」というルールを理解していなくても、想像すれば正解をたたき出せる可能性もある。

言い訳をさせてもらうと、わたしは免許を持っていない。否、持っていたのだけれど、ペーパードライバーだった上に免許の更新を怠り、うっかり車を運転するための資格を手放してしまったのだ。きっと一度はきちんと「正解」を学んだはずなのに、まぁ、忘れちゃうよね。

運転側に回る未来はなさそうだから、いまさら運転の常識を叩き込みなおすことはしないのだけれど、たまに不安になる。「あたりまえ」の圏外で、こんなにぼんやり生きていて大丈夫なのだろうか。

あたりまえ。
前提としての常識。
守るべき暗黙のルール。

交通面だけではない。お金のことだって、仕事のやり方だって、ママ友の作り方だって、掃除術だって。ありとあらゆる「みんながあたりまえに知っている前提で動いている世界」で、ただぼんやり漂うように生きていることに、たまに静かに絶望する。


そうは言っても、道路交通法はきちんと遵守しているであろう夫も、完璧ではない。人口の99.8%が義務教育レベルで履修済みだと思われる「雑巾は絞ってから干す」という常識と出会わないまま、ここまできている。 水を限界まで含み、重力に従ってボタボタと流水を垂れ流す雑巾。その光景を眺めていると、「人間、デコボコなんだな」と妙に勇気が湧いてくる。

少し前にスーパーで見かけた新人レジの男の子も、なかなかの逸材だった。値札のないキャベツを前にして、フリーズしていたのだ。

「……これ、キャベツですか?レタスですか?」

あまりに純粋な瞳で問われ、ことばに詰まった。どう見てもキャベツでしょうよ。圧倒的にキャベツ。でも、その「あたりまえ」を持たない人にしてみたら、未知との遭遇のようなものなのかもしれない。きっと彼は料理もしないし、野菜に興味もないのだろう。そう思えば、むしろキャベツかレタスかという2択に絞れたことが奇跡だ。

わたしは、母性にも似た愛おしさを爆発させながら、「……キャベツです」と答えた。「……ざす」とつぶやき、男の子はその値段が該当するらしいレジのボタンをピッと押した。

いいバイト先を選んだねぇ、と泣きそうになった。彼の守備範囲と、世間の「あたりまえ」の間にこれほどまでに距離がある職場を選ぶだなんて。伸び代しかないではないか。

一年後にはきっと、キャベツとレタスはもちろん、小松菜、かつお菜、しろ菜、青梗菜あたりがすべて見分けられるようになっているだろう。それが彼の人生にとって、どれほどプラスになることかはわからない。「あたりまえ」はそういうものである。そういうものだけど、じんわり人生を心地よいものにしてくれるはずだ。

自分にも、自分なりに得意な「あたりまえ」があるといいなぁ。きっとあるんだろうけど、自分ではわからない。わからないなりに、葉物は瞬時に判断し、雑巾はギュッと絞って、今日も人生をぷかぷか漂っている。







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