その名はハラヘラシー
ハラヘラシーは、猫である。
勝手口にふらっと現れるその猫に名前を与えたのは、母だった。いつもお腹を空かせているから、腹減らし。いくらなんでもそのまますぎるし、名前としてはちょっと情けない。
もっとも、当時まだ幼かったわたしは、その名前の意味に気づいていなかった。外国のおしゃれな都市名か、呪文か。そんな不思議な響きに魅了されていた、つい声に出してみたくなる名前。ハラヘラシー、ハラヘラシー。
「カリカリ……」
勝手口から爪音がすると、母は「あら、久しぶりだわ」などとひとりごち、ドアを開ける。そして「ちょっとだけだからね〜」と、残しておいた魚の皮やら、炊飯器からこそげたごはんやらを紙皿に入れて、台所の外の石階段に置く。
今から30年以上も前の、片田舎での話だ。褒められた行為ではないけれど、母は港町で生まれ育ったこともあり、野良猫との距離が近かったのかもしれない。腹を減らしてやってくるものを、母はけっして拒まない。
ところで、家の中にももう一匹、暇さえあれば冷蔵庫の扉をカリカリするようなハラヘラシーがいた。食い意地を相棒にして育った、台所の風来坊ことわたしである。
腹を減らせばいつだってたっぷり差し出してくれる母だったが、おやつだけはそうはいかなかった。無条件でなんでもゲットできるハラヘラシーとちがって、わたしには母に設けられた明確なルールがあった。
一日のうち、アイスかジュースは、どちらかひとつだけ。ヤマザキのスイスロールは、一切れだけ。
ヤマザキのスイスロールを、知っているだろうか。幼いわたしにとって、おやつの最高峰に君臨する憧れの存在、スイスロール。のっぺりした隙のないクリームに、高級感をただよわせるスポンジがたまらない。非日常の存在であるはずの生洋菓子界のプリンスが、あえてカジュアルに装いスーパーに寝転んでいるものだから、貴族でなくとも出会えてしまう。そのおいしさを知ってしまう。ヤマザキは、じつに罪深いメーカーである。
あの高貴なお味は、たしかに一切れが妥当だろう。世界の秩序として充分に納得がいくルールだ。
それなのに、起きてしまった。世界の秩序を乱す大事件が。
あれはたしか、夏の早朝だった。寝ぼけたまま台所にいくと、朝食の準備をしているはずの母の姿がない。まだ寝ているのだろうか。「こんなこともあるんだなぁ」と不思議に思いながら、冷蔵庫を開ける。喉が渇いていて、冷たい麦茶が飲みたかった。
すると、麦茶が入っているドアポケットのやや上で、まばゆいオーラを発していらっしゃる"なにか"がウィンクしてきた。前の日のおやつに逢瀬を交わしたスイスロールの残りだった。
プリンスが! 無防備な姿で、こちらに向かってほほえんでいらっしゃる……!
呼吸を止めてあたりをうかがう。
母も、だれも、起きてこない。
いつだって、たったの一切れしか許されなかったスイスロール。その制限がむしろ愛の炎を燃え上がらせ、欲望をかき立ててしまうのは、どんな世界でも一緒である。
胸の奥がドカドカ鳴った。
「今なら、いけるよ」
そうささやいたのは、天使だったか、それとも悪魔か。足裏から、頭のてっぺんから、ムクムクと黒いパワーが勢いよく指先に集まってしまったら、もうわたしにあらがう術はない。
そっと冷蔵庫に手をのばし、ずっしり冷えた質感をそのまま右手に受け、すばやく扉を閉める。手のひらに抱えたスイスロールは、思ったよりずっと重かった。重くて、大きい。それならば、少しぐらい食べたってきっとバレやしない。
……いけ、いってしまえ!
思うより早く、指がスイスロールをちぎっていた。ぐにゃりとした冷たいクリームとスポンジのかすが指につく。高貴なカケラが床に落ちないようにあわてて口に押し込みながら、また大急ぎで冷蔵庫の扉を開け、わたしはスイスロールを元の場所に戻した。
心地よい充実感と慣れない緊張感が、いっぺんに全身を駆け抜けていく。口の中に広がる背徳の余韻を味わいながら、わたしは静かな台所でひとり、大胆な密会に酔いしれた。
「あれ、おかしいなぁ。昨日きれいに包丁で切ったはずの断面が、ボロボロになってる」
数十分後の、朝食の席。スイスロールを手に、やたらとハッキリとぼやく母の声を聞きながら、うつむき加減で朝ごはんを食べる。これが冷や汗か、と体感した最初の記憶は、あの朝だったように思う。
完全にやらかした。ナイフで切るところまで頭が回らなかった。いや、戻し方が雑だったのだろうか。味のしないごはんを必死で口に運ぶ。バレたら最後、もう二度とスイスロールは味わえないかもしれないと思うと、絶望的な心地である。
そのとき、勝手口からカリカリと音がした。母が扉を開けると、いつものようにハラヘラシーがごろりと寝そべって、母を見上げている。
「はいはい、ちょうど今朝はししゃものしっぽがあるからね〜」
母が、そっと紙皿を置く。ハラヘラシーはあたりまえのようにそれを平らげ、ニャンともスンともいわずにそのまま去っていった。
わたしは妙に腹が立ってきた。気が向いたときだけ現れるくせに、いつでも与えてもらえるだなんて、ずるい。ハラヘラシーがのぞめば、母はスイスロールでさえも、好きなだけあげてしまうのではないか。頬がぼうっと熱くなり、わたしはその熱をそのまま母にぶつけた。
「なんかさぁ、ズルくない? ハラヘラシーって!」
幼くつたない抵抗。母は「いいからさっさと食べなさい」と、ちっとも取り合わなかった。
晩ごはんには、焼き魚が出た。いつもならハラヘラシーが担当する魚の皮を、バリバリむしゃむしゃ、胃に流し込む。ザマアミロ。いつでもあると思うなよ。つい残しがちな身も、きれいに食べた。爽快だった。ただ、焼き魚の皮は脂っこくて、ちっともおいしくなかった。
🐈
おやつルールが設けられる期間は、案外短い。お小遣いで自由にやりくりできるようになってからは、かなり奔放な姿で弾けたことを白状する。あっちのプリンスと手を取り、こっちの伯爵とは追いかけっこ。実家を出てからは、欲望のまま庶民的英雄をコンビニで調達し、はしたなく豪遊した夜もある。とてもじゃないが、母には見せられない姿だ。年齢を重ねるにつれ自然と落ち着いていったけれど、今でも家のここかしこに、うふふの隠し種を仕込んでいる。
好きなときに好きなだけ。そんなふうに、いつでも制限なく与えられるハラヘラシーを非難していたわたしだが、今思えば彼の方がよほどさっぱりしていた。腹を満たせばそれでよし。ニンゲンは、満たしてもなお求めるし、求める方向性も限りない。なんとも困ったものである。猫の爪の垢でも煎じて飲みたいところだ。
けれど。
満ちてもなお求めてしまうこの食い意地こそが、わたしをここまで生かしてきたように思う。ルールのもとで楽しんだ思い出も、あの夏の朝の冒険も、嫉妬も、わたしらしさのエネルギーとして、わたしを繋ぎ続けた。猫の潔さにも憧れるけれど、手を伸ばして奔放に世界を引き寄せていくニンゲンのあり方だって、悪くない。
たのしい。
うれしい。
悲しい。
腹立たしい。
なにも感じない。
どんなときにも腹は減り、食はそのつど形を変えて、人生に寄りそう。満たそうと手を伸ばすことで、日々は続いていくのだ。
わたしによって食い意地の英才教育を受けてしまった長男もまた、カリカリと爪を立てて果敢に扉という扉をあけていく。
大人用の菓子をしまっている戸棚をあけてみれば、ストックの乱れたフォーメーション。ゴミ箱をのぞいてみれば、生まれたてホヤホヤのお菓子ゴミ。
まったくもう。せめてゴミは見えないように、奥の方へつっこめよと教えてやりたいぐらいだが、その浅はかな初々しさがどこか滑稽で、頼もしい。
そのまま行け、どこまでも。いつの間にか、そんなふうに旗をふる自分がいるのである。
勝手口の常連だったハラヘラシーは、そのうち姿を見せなくなった。たしかに存在していたはずだが、色も、大きさも、なき声も、すべてが曖昧で思い出せない。それなのに、あの堂々とした気配と響きだけが、いつまでも残っている。名を声に出す心地よさを、口が覚えている。
腹減らし。
情けないと拍子抜けしたその名前が妙に愛おしく聞こえるのは、あの悠然たる猫の印象のせいだろうか。それとも、自分もまたその名を分け合う一匹として、日々を懸命に生きているからだろうか。
ハラヘラシー、ハラヘラシー。
何度でも呼びたい。
その名は、ハラヘラシー。
