捨てられないナマケモノ
次男(5歳)のパンツが破れた。
正確には、少し前から穴があいていることには気づいていたのだが、まぁこれくらいなら……と泳がせていた。
いつのまにか、小さな穴だったはずの空間は大きくな破れとなり、すっかり見違えた。子どももパンツの穴も、気付かぬうちに成長するものだ。
ついに果てたか。
むしろ、よくぞここまで耐えてくれた。そんな薄い布切れの身一つで、度重なる着脱と洗濯機の遠心力にさらされて、よくぞ、よくぞ……!
西松屋で買った、1000円しないくらいのアソートセットに含まれていたナマケモノ総柄パンツ。なぜか気に入って、次男はよくこのパンツを選んだ。引き出しの奥には、戦力外のパンツたちが、新品同様に眠っている。
ぶら下がったり寝そべったりしているナマケモノたちは、みな色褪せ、擦り切れていた。その微笑むかのような表情は、己の力を出し切り散っていく勇者のようで、どこか誇らしげだ。

捨てちゃいな、と、夫が次男に声をかけた。
さすがにもう泳がせるレベルではないので、私も同意する。
まだ引き出し内には次男に選ばれることを心待ちにしているパンツがたくさんあるので、1枚程度なくなってもまったく問題はない。
「穴あいてるから、捨てるの?」
「どっちのゴミ箱? 右(可燃)? 左(不燃)?」
「今捨てる? それともお洗濯してから?」
「……このまま捨てるの? 袋とかに入れる?」
夕飯の支度をしている私に向かって、ミッションの詳細を丁寧すぎるほどに確認する次男。背中から飛んでくる質問に「うん、もう履けないからね〜」「右!」「どっちでもいいよ」「そのままで」と、雑に返事をする私。
「……」
急に次男の質問が途絶えたので、不思議に思って振り向くと、次男は大粒の涙をポロポロとこぼしていた。
「捨てたくない……!」
私は瞬時にすべてを理解した。
彼は、人生で初めてパンツに穴をあけ……というか「愛用していた服を自分の意思で捨てる」のだ。愛しいものとの別れを自分の意思で決め、自分の手で葬ろうとしている。今まで、彼の代わりにすべて私が担っていた苦しさだ。
手放せば永遠の別れ。一部が破れているとはいえ、絶対履けないかと問われれば、否。心だって揺れるだろう。
うん、わかる。わかるよ次男の気持ち。
なんせ、ほぼ毎日履いてたワードローブだものね。ゆる〜いナマケモノのイラストも絶妙で、はじめて那須どうぶつ王国で本物のナマケモノを見たとき「パンツと一緒ぉぉぉ!!!」って大興奮してたよね。
愛着あるものを捨てる次男のつらさに寄り添えなかったことを、私は反省した。しかし個人的には、引き出しの奥で眠れしやつらの存在の方が気がかりだった。もっと履いてあげてよ、あの微動だにしないパンツたちも。
そう、いい機会ではないか。
引き出し界の革命が、今目の前で起きようとしている。時代の大きな流れは、誰にも止められない。
私は、次男と新しいパンツとのご縁を結ぶべく、大急ぎで引き出しまで走った。失恋には、新しい恋が一番。どこだ、どこにいる、次男の傷を癒せるニューフェイスパンツは!

引き出しを漁ると、色違いのナマケモノと目があう。
さすがはアソートパック。基本的には柄違いでアソートにしてほしい派だけど、この時ばかりは色違いでセット組してくれた西松屋に心から感謝だ。
私は勝利の旗を振りかざしながら、そっと次男に色違い(青)のナマケモノを差し出す。笑顔になった次男だが、すぐ暗い表情に戻ってしまった。
「これ(緑)がいいの。これがお気に入りなの……」
こうなったら究極の二択作戦しかない。
育児経験者たるもの、誰もが必須スキルとして身につけている「選択してほしいゴールはブラさず、過程を二つ提案することで子どもの満足度・納得度を上げ、結果的に意図したゴールに誘導する」作戦である。
「もう一回履いてから、さよならする? それともきれいにお洗濯してから “今までありがとう” ってさよならする?」
次男も、捨てた方がいいことは理解している。だからこそ苦しいのだろう。
「もう一回履いてから捨てる」は、踏ん切りがつかない彼にとって、かなり有効なのではないか。「捨てる」と言わずに、あえて「さよならする」と言い換えるのもポイントだ。
今こそ別れめ、いざさらば——。
しかし次男は首を横に振り続ける。
愛されてるな、ナマケモノパンツ。ちょっぴり羨ましい。
ほとぼりが冷めた頃にしれっと処分しても、彼は気づかないだろう。正直、今までいくつものお気に入りを、そうして闇に葬ってきた。
しかし今回は、明らかに抵抗の意を見せている。下手すると、取り返しがつかないこと(※)になりかねない。
(※)
例)今から1時間以上泣いて暴れて近所に通報される
例)「パンツがないなら保育園に行かない!」宣言
例)今すぐ買ってきてとせがまれ西松屋に行くも廃盤or売り切れ
地雷を踏まずに、どうにか次男の心を落ち着かせたい。捨てない以外の選択肢って、あるんだっけ?
「と、とりあえず、カーチャンあずかっとね!」
こうして、最後の洗濯を経た穴あきパンツは、今私のデスクの上にある。微笑むナマケモノたちは、どこか誇らしげで、少し寂しそうだ。
あれほど情けをかけていたパンツだが、次男がパンツの所在を確認することは、その後一度もない。なんなら、もう忘れている可能性すらある。忘れているなら、このままそっと……と何度も思うけれど、あの日の涙がちらついて、どうしても手が伸びない。
とりあえず、ヤリが降ろうと、竜巻が発生しようと、私は週末西松屋に行く。まだ売り場でナマケモノ(110 or 120サイズ)が微笑んでいることを願うばかりである。
※後日、西松屋にナマケモノパンツはなく、次男もすっかり忘れた様子なので、潔く処分しました。ありがとうナマケモノパンツ、長いことありがとう。
