夫を眺めるというルーティーン
先日、「夜のルーティーンについて話そう」ということになって、頭がまっしろになった。夜に関しては、ルーティーンと呼べるものがひとつも思い浮かばない。
美容とか、ストレッチとか、かつて「習慣になったらすてきだなぁ」と取り組んだこともいくつかあった気がするけど、みんなどこかに行ってしまったっきり、気配がない。どうやらわたしは、習慣たちにとって居心地のいい場所ではないらしい。
「ロールタイプのアロマを首のまわりに塗ることかな」と切り出した女性から、香りの話題が広がっていく。
香りかぁ。そういえば、茶葉を焙じるお茶屋さんの香りがとても好きで、あの香りに包まれて暮らしたいなぁと、茶香炉を取り入れてみたことがあった。いつの間にか家を出て行った。お香にもトライした。やっぱり出て行った。
しょんぼりしながら、必死で夜の自分を思い浮かべる。何かしら、していることがあるはずだ。必要最低限のタスク以外の、人生を豊かにするためのわたしのルーティーン。
でも、どれだけ思い浮かべてみても、やっぱり何も出てこない。
「夫は、夜あれこれやってるんですけどね〜」と苦笑しながら、ふと気づいた。
あぁ、あるじゃないか。わたしの夜のルーティーン。
毎晩、夫を眺めている。
愛おしさのあまり、という話ではない。毎晩子どもたちがビックバンを巻き起こす部屋を、何事もなかったように初期化する夫がいまだに新鮮で、つい見入ってしまうのだ(手伝え)。
4時半起き朝型のわたしは、20時前には思考活動を停止する。一方夫は、夜型オブ夜型。夕食を終え、白目で泡をふきはじめるわたしの横で、「今電池入れたばっかりだっけ?」と思うほどに、もりもり動く。
食器洗い。
子どもたちの遊び相手。
たまにお酒を飲みながらの読書。
そうして21時になると、子どもたちによって散りばめられた星屑を音もなく元の軌道へ戻し、一同を引き連れて寝室へと消えていく。
お風呂から出たばかりの、まだ湯気を含んだ頭で、片付いたリビングを眺める。夫の余韻を、ぼんやり見つめる。そして、「毎晩、よくやるなぁ」と他人事のように思う。感謝もせず、「チッ、また子どもたちの成長機会(片付け習慣)を奪いよってからに……」と、ちくちく文句をいうことすらある。
幸せがやってくるのは、7時間ほど後のことだ。
朝の静寂。リビングに差し込む光が、部屋の輪郭をゆっくりと拾い上げていく。ふきあげられた台所で出汁をとる。昆布を水に沈める。じわりと広がる色を待ちながら、なんて豊かな時間だろうと、毎朝思う。
「眺めるだけ」だなんて、甘えているのだ。他力本願すぎる。でも、この心地よい夜から朝にかけてのルーティーンが、ずっと続いてほしい。なんとしても、わたしの方が人生を先に終えるようにしたい。夫には限りなく健康でいてもらわなくては。打算まみれのこの計画も、愛と呼ぶのかしらん。
食事に手をかけ、気づかれないように健康を仕込んでいこうか——
せめて「ありがとう」ぐらい、日々のルーティーンに追加したらどうだろう。やはり、すぐに出て行ってしまうだろうか。
