やっぱり、大根葉ふりかけ
長男(8歳)が、小さな大根の束をわさわさ持ち帰ってきた。

小指のようなちびっこサイズのものから、しっかりした太っちょまで、ビニール袋(大)にぎっしり入っている。
学校で育てている大根の間引きをしたらしい。不恰好なサイズ感がかわいらしく、ちびっこも太っちょも、総じて立派な葉をつけていた。
これは、ふりかけ祭りだな——
「先生がね、葉っぱはふりかけにするといいよって言ってた!」と長男が報告する。
ええ、そうでしょう、そうでしょう。
これはふりかけ一択でしょう。
先生は、よくわかっていらっしゃる。
私は心の中で大小さまざまな大根たちを両手に持ち、小躍りした。
何を隠そう、私は青菜(特に大根やかぶの菜葉)で作るふりかけが大好きなのだ。つい先日、ふりかけ用にかぶを迎えたばかり。
菜葉で作るふりかけは、最高だ。
まず、味がいい。細かく刻んだ葉をしらすと一緒に炒め、胡麻やおかかもたっぷり。味付けは、砂糖もしくはみりんに、醤油をジュッと入れるだけ。
合わせるのはじゃこでもいいし、ツナや桜海老、ベーコンや豚肉も合う。みじん切りにした蓮根を入れて食感を出しても楽しい。最後に大葉をたっぷり加えるのがお気に入りだ。来るものを拒まないそんなフレンドリーさも愛おしい。
ミネラルやビタミンもたっぷりとれて、アレンジも効く。我が家では混ぜおむすびにすることが多いけれど、オムライスやパスタにもいいし、春巻きの具材に足したり、ポテトサラダと和えてもおいしい。
想像するだけで楽しくなって、夕飯の準備を足早に済ませ、翌朝のためのふりかけ作りに取り掛かった。
ザクザクと茎のあたりを切る音。手に伝わる振動。ひとつひとつのステップが心地よくて、ますます想いが募る。
大根の葉はえぐみが少し強かったので、冷蔵庫で控えていたかぶの茎部分も参戦。大根とかぶのミックスふりかけにすると、なかなかのボリュームになった。ちびっ子は漬物に、太っちょは唐揚げにして、その晩の食卓に添えた。
ふりかけ祭りの準備でワッショイしている一方、冷蔵庫の中に置き去りにしているかぶの「本体」が気になっていた。
※本体というと「いやいや葉っぱも本体でしょうよ」という話になってくる。あの白くて丸っこいところは実は根ではなく茎なのだ。「茎」で進めると話がややこしくなるので、あえて「本体」と言わせてほしい。葉を愛するものとしては、苦渋の選択である。
葉に対する愛は深いが、本体に関しては正直あまり興味がない。大変恐縮だが、「葉っぱを買ったらついてくるので食べている」という温度感である。
味噌汁に、サラダに、漬物にしながら、「でも私は葉っぱの方が好き」だと強く思う。ふりかけを作れば作るほど、罪悪感に苛まれる。葉ばかりを愛し、純真な本体をなおざりにする自分は、なんと傲慢なのだろう——と。
本当は、かぶをまるごと愛したい。それが、命をいただくものとして正しい態度であるように思う。でも現実には、葉だけを愛し、あの白くて丸っこい部分を “副産物” と捉えている自分がいる。
「じゃない方」のためにせっせと課金したり受け入れたりするということは、誰でも身に覚えのあることだろう。
シール欲しさにポケモンカレーをねだられたら「いや、本体のカレーいらんなら欲すな」と思ってしまうし、「好きじゃないけどいいの、彼お金持ちだから」というカップルを見かけたら「彼本人を愛せないとこの先辛いよ……?」と切ない気持ちになってしまう。
本人たちの好きにしたらいいのだと思いつつ、ざわつく気持ちは、かぶの本体(カレーであり、彼)を蔑ろにしている自分に、ブーメランとして返ってくるのだ。「じゃない方」を愛している自分自身に。
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翌朝から、大根&かぶの葉ふりかけ祭りが開催された。
1回目は、しらすと炒めて、お稲荷さん。
2回目は、桜海老と合わせて、混ぜおむすび。
3回目は、ツナと一緒に、チーズトースト。
なにも全部ふりかけにせず、いろいろ楽しめばいいのだけれど、ふりかけを思いっきり楽しんだ。
普段、青菜で炒めものなんて作ろうもんなら、断固として無視を決め込む子どもたちも、うまいうまいとモリモリ食べる。少しだけ残った葉の部分をしれっとお味噌汁にも入れたのだが、警察犬のごとく嗅ぎ分けて、箸でヒョイっとつまみ上げ、椀の外に追い出されてしまった。めざといやつらである。
大根葉ふりかけを味わっているうちに、歳を重ねた。日常の一部として淡々と過ごす誕生日だった。
それでも誕生日というのは、なにか特別な感慨深さがあって、周りへの感謝や人生の軌跡、これからの自分についてぼんやり想いを馳せてしまうものだ。
ふりかけを食べながら迎えた誕生日の朝に、ふと思った。葉っぱが好き、そう思う自分を、受け入れてみたらどうだろうかと。
「まるごと愛すべき」という価値観は、ある種の呪いだ。葉っぱが好きだという事実の中で、本体への配慮がどこまで必要だろうか。一筋に葉っぱ推し。ただそれだけのシンプルな話なのだ。
しがみついている思い込みや呪いは、自分らしさや世界の秩序を形作ってもいるから、守るべき部分もある。しかし、気付かぬうちに頑なになっているところをフッと緩めたら、きっともっと、人生は楽しくなるし、優しくなる。
この一年は、自分にかけている小さな呪いを、一つひとつ外していきたい。思いがけずふりかけに人生を説かれたような、感慨深い誕生日の朝である。

▼このnoteを書いた人

食の仕事14年目。8歳5歳3歳の母。自家製好き。Xでは朝ごはんの知恵袋を発信中。noteのフォローはこちら、Xはこちらからお気軽に!
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