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『毎日ハナコ』という、夫しか読者のいない日記連載をしていた話

「はぁッ!」

思わず、胸の奥を指ではじかれたような声が出た。早朝の静かなリビングに、驚いた自分の声が小さく響く。

ちょっとした調べものがあり、今はもう使用していないGmailアドレスの送信履歴をあさっているときだった。10年ほど前の、すっかり記憶から抜け落ちたメールの地層から、想定外の化石を見つけてしまったのだ。

『毎日ハナコ 0705』


送信日は、2016年7月5日。すぐ下には、『毎日ハナコ 0704』。

『毎日ハナコ 0701』
『毎日ハナコ 0630』
『毎日ハナコ 0628』



日付ちがいの同じタイトルが、ザクザク出土する。

それはなんの前触れもなく、唐突にはじまっていた。たまにサボっていたのだろう、ときおりタイトルが『時々ハナコ』になったり、『これからは多分また毎日ハナコ』になったりしている。最古の化石は、さらに1年前の2015年7月31日に発見された。

同じタイトルのメール送信履歴。びっしり〜


送付先は覚えている。夫だ。懐かしさのあまり、ふっ、と笑みがこぼれる。そうそう。夫婦間でこんなメールのやりとりをしていたっけ。1年も続いていたのに、すっかり忘れていた。

ちなみにタイトルの「ハナコ」は仮名で、ほんとうはそこに自分の名前が入っている。

毎日+自分。

このタイトルから、中身をご想像いただけるだろうか。毎日のわたし——わざわざ伝えるほどではない、けれどそっと残しておきたくなるような日常の断片——について書かれたものを、一方的に夫に送りつけていた。返事を強要しない、一方的な「やりとり」だ。


突然あらわれた化石を目の前に、わたしはにわかに興奮した。内容はまったく覚えていない。せっかくだからと、いくつかのメールを適当にクリックし、中身をたしかめてみる。そこには、10年前の日常が、当時の姿のまま眠っていた。

写真も添付されていた。これがスエーデンかぶ。


ジブリのヒロインに魅了されるあまり、現実の恋がうまくいかない先輩への憂慮。美女の同僚となかよくなり、ランチをする以上の関係性へ発展したことをよろこぶゲス心。エトセトラ、エトセトラ。誤字脱字を気にせず、おそらく読み返すこともせず、日々の記録が奔放に記されている。

10年前の日常はどれもみずみずしく新鮮で、わたしの乾いた記憶を潤した。純度100%のドキュメンタリーでありながら、知らない誰かの人生をおすそわけしてもらうような心地だ。

どこか既視感があるなぁ、と感じ、すぐにそれが「日記」だと思い至る。メールの体を成しているけれど、これは日記の連載といっても差し支えない。わたしは1年間、夫というたったひとりの読者に向けて、せっせと日記を更新し続けていたらしい。


きっかけは、なんだったんだろう。2015年7月以前の地層を掘ってみても、ヒントになりそうな形跡はない。ただその年は、新婚1年目でもある。若い夫婦のじゃれあいと考えれば、あながち変なコミュニケーションでもない。(たぶん。)


とりあえず、調べものはあとでいい。わたしは肩をぶんまわし、目の前にあらわれた極上の化石たちを一つひとつ取り出し、眺めてみることにした。

はじまったばかりのころは、ひどくテンションが高い。新しい遊びを思いつき、ワクワクが止まらなかったのだろう。お弁当の具材解説、仕事終わりの飲みの誘い、食器洗いへの感謝。どんな内容であっても、つねに語り口は楽しそう……といえば聞こえはいいが、黒歴史と言えなくもない。

証拠隠滅したくなる衝動を抑えながら進むと、そのうち工夫が見られるようになった。夫を介在させることで、ただの日常をエンタメ風味に味つけしたくなった様子がうかがえる。中には文体を方言でアレンジしたり、書き出しのバリエーションに熱量を注いだりするものもあった。

突然の方言シリーズ。広島弁?
筆者は栃木県出身であり、朧げながら方言変換サイトを頼ったような記憶あり。


メールはどれも、仕事の始業前やお昼休憩をみはからった時間に送られていた。土日とおぼしきタイミングで更新が滞るのも、完全に週5日勤務OLのバイオリズムだ。12月30日には『毎日ハナコおさめ』、始業日らしい翌年1月4日には『毎日ハナコはじめ』が送られており、妙な律儀さも感じられる。

たまに夫から返信が来ていたり、夫がフォーマットにのっとって送った『時々タロウ※』も見つかった。新婚の初々しさが、瞳から全身に回って、なんだかくすぐったい。(※こちらも仮の名)


様子が変わったのは、2016年の2月ごろだった。なにが起きたのかは、内容を見ればすぐにわかる。妊娠発覚だ。ほのぼのした日常記録は、妊婦のリアル実況に変わる。つわりの愚痴が続いたかと思えば、今度は壊れたロボットのように、エンドレスでポテトを欲する食欲の暴走。

そのうち『毎日ハナコ』は、シリーズタイトルを冠さない通常のメールに埋もれはじめた。出産に向けた書類のやり取りや、抱っこひもの候補リスト。現実が、遊びを追い越したか。そのまま2016年7月25日を最後に、連載は事実上の無期限休載を迎えている。


ほんとうにこれで最後かなぁ? と、しつこく地層を掘る。年末年始の暦の情緒をタイトルに反映させるくらいなのだから、休載にあたってそれらしい挨拶があってもよさそうなものである。

しかし考えてみれば、2016年の7月は産休に入った月だ。もともと仕事の合間の習慣のようだし、引き継ぎなどのドタバタで更新が途絶えてしまったとしても仕方ない。



「ふぅ……」

懐かしさではち切れそうな肺から長く細く息をはき出し、わたしはノートパソコンの画面から視線を外した。ニヤニヤと上がってしまう口角をごまかすように、肩をポキっとならす。

最高だ。うやむやな幕切れは腑に落ちなかったものの、今が夜なら『毎日ハナコ』を肴に一杯やりたいぐらいだった。一度も続いたことがないと思っていた日記を、これほどつぶさに残していた事実もうれしい。やるじゃないか、わたし。

ときめきのような余韻にひたりながら、しかしわたしは「もうひとつの記憶」をゆっくり掘り起こしはじめていた。Gmaiの送信履歴には埋まっていない化石。スマホを握り、LINEのアイコンをタップする。『毎日ハナコ』の連載開始は、2015年7月。妊娠発覚が翌年の2月。たしか、それよりも少し前だったはずだ。

夫とのトーク履歴をさかのぼると、やっぱりそうだった。画面に並ぶ生々しい文字が、ズンとした重苦しさを一気に引き連れてくる。

2015年の4月。仕事のプレッシャーで人生の加減がわからなくなり、仕事中に倒れた。たくさんの管に繋がれ、東京産と書かれた血液を体内に流し込まれながら、シーツがひんやりするところを手足で探るぐらいしかやることがなく途方に暮れていた春。それが、連載開始の少し前に起きていた「もうひとつの記憶」だった。

倒れてから、わずか3ヶ月後。人生の足場を失いかけて消えてしまいそうだったわたしが、なぜ急に『毎日ハナコ』なんていう能天気な連載をはじめたのか。誰に頼まれたわけでもない。コメントもつかない。そもそも読者はたったひとりだ。それなのに、毎日、まいにち。

もう一度、過去の自分に焦点を合わせる。楽しげに夫に語りかけるわたし。書くことは、くだらなければくだらないほどいい。そう思っていそうな、奔放にふるまうわたし。

メールを読み返しているうちに、「あ……」と声にならない音が漏れた。

"回復"だ。

からだに馴染ませるように、ことばには出さずもう一度つぶやく。胸の奥に、懐かしさとは別の余韻がじわりと溶けた。

『毎日ハナコ』は、消えかけそうになっていた日常の輪郭をなぞり直す、回復の儀式だったのではないか。当時はなんの脈絡もない点の遊びだったけれど、10年後に振り返ると、はっきりと線で見える。

軽くて意味もなく揺れる空気だけを、胸いっぱいに吸い込みたかった。自分を否定し、押し潰す思考のすべてを、頭の中から放り出したかった。

暮らしには本来、隙間がたくさんある。ふっと空気が通り抜け、気持ちを明るく、軽やかにする隙間。狭くなってしまうと苦しくて、どこにも行けなくなってしまう。その隙間をふたたび広げるために、わたしは2015年7月31日、Gmailで『毎日ハナコ』を立ち上げた。毎日網をふり回し、隙間の断片をつかまえては、夫が待つGmailの採取箱に放り込む。そうして、自分自身を救っていたのだ。


「ヘモグロビンの数値があと1下がっていたら、命に関わるレベルでしたよ」

そう説明する医者の横で、わたしの手を強く握ってくれた夫。不特定多数へ、では、きっとだめだった。自分だけに向けて書いた日記だったら、暗い底の方へ、自分自身に引きずりこまれていたかもしれない。既読機能のないGmailというエアポケットに向かって、リハビリのように日常の断片を送り続けることが、あのころのわたしには必要だったのだ。


夫は、覚えているだろうか。今ふたたび素知らぬ顔で『10年ぶりハナコ』を送ったら、どんな反応をするだろう。いたずら心がむくりと立ち上がったけれど、手を止めた。埋もれていたからこそ、価値がある。夫の記憶は、あの地層の中に眠らせておくほうが、きっといい。

かつて自分が遺した愛おしい化石にそっと土をかけるように、わたしはノートパソコンの画面を閉じた。パタン、という軽い音が、朝陽が差し込み出したリビングにやわらかく響く。

当時のような切実なサバイバルは、もう必要ない。けれど、やっていることは、今も変わらないなぁと思う。わたしは今日も、日々の隙間をじっと見つめることで、自分を健やかに保っている。

そろそろ朝ごはんを作らなくては。そう思いながら、ゆっくり椅子から立ち上がる。

はじまっているのだ、今日も。数年後には、きっとまた忘れてしまう、隙間だらけの一日が。







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