「らしさ」の残骸
「……その薬の飲み方、あなたらしいね」
食後にキッチンで薬を飲みながら、ふと、伊藤くんに言われたことを思い出していた。
久々に体調を崩し、病院でたくさん薬をもらった。朝はええっと、これとこれ。夜はこれも。
パチンと指で薬の容器をこじ開け、たくさんの空の容器を目にした瞬間、何十年も前のそのセリフがふと蘇った。
「……その薬の飲み方、あなたらしいね」と、彼は言ったのだった。
伊藤くんは、地元の友だちだ。物知りで腰が低く、歩く知性のような人だと記憶している。冬は、落としたら床に穴が空きそうなほど重い革ジャンを着ていた。親は警察官だった。
中学時代に同じ塾に通っていて、知り合ったのだ。頭のいい高校に行って、頭のいい大学に行って、今も何かの研究をしていて、大学の先生みたいなことをしている。中学以来、久々に再会しても、彼の柔和で頭が切れる印象は変わらなかった。
ジェントルな雰囲気を身にまとい、壊れたパソコンの修理方法から、新宿で明け方フラフラになった心身に優しい台湾料理屋まで、本当になんでも知っている人だった。いつだって、そばで相談したい。一家にひとり、伊藤くん。
伊藤くんの好きなところは、どんな欠点も否定しないところだ。
「なるほど、そういう考え方、いいね」
「いや、悪いことだとは思わないよ、そういうところが “らしさ” じゃない?」
「そんな風に見たことなかったなぁ、面白い視点だね」
彼には、マイナスを肯定的に捉え直す変換フィルターみたいなものが備わっていて、会うたびに自己肯定感を上げてくれる。
あのフィルターがあれば、きっと育児もうまくいくんだろうと、この歳になってしみじみ思う。
そんな伊藤くんに、一度だけ薬の飲み方を指摘されたことがある。昼間飲み忘れないように持ち歩いていた錠剤を、何かのタイミングで見られたのだろう。
「……その薬の飲み方、あなたらしいね」
そう言いながら、彼は錠剤をつまみ上げ、不思議そうに眺めていた。野生動物の習性を観察するかのような挙動である。そして「斬新だなぁ」と付け加えた。
え? 薬の飲み方って、個性とか出る?
パカっと錠剤を取り出して飲むしか、方法なくない……?
「一体、どんなところが、私らしいのでしょうか」
腑に落ちず、おずおず聞いてみると、彼は答えた。
「薬は、飲んだら捨てるでしょう? 普通。その、空になった部分は。」

フィルターを通さない言い方に変換すると、雑だとか、奔放とか、そんな類のことを彼は言っているのだろう。
言われてみれば確かに、私の錠剤には、“残骸” が多く存在している。4錠入りで、残り1錠しかないのに、いつまでも金魚のフンのように、空っぽの部分がくっついている。
へぇ、ここってすぐ捨てるのか。
考えたこともなかったけれど、伊藤くんに指摘された途端、空っぽを保有し続ける無意味さと野暮ったさが恥ずかしくなった。
飲んでしまった部分は切り分けて捨ててしまった方が、クールだしスマートだ。なぜ今まで、気がつかなかったのだろう。
知性と習慣は細部に宿る。ぜひ私も、彼が「普通」とするような素敵な薬の飲み方をしてみたい。いや、しよう。今そう決めた。
「私、今日から、その空っぽを捨てる側の人間になります!」
——というのが、もう、15年以上も前の話だ。
今ではすっかり、クールでスマートに薬が飲めるようになった、と言いたいところだけれど、相変わらず私は、錠剤フィルムを残すスタイルから抜け出せていない。
何度かトライしてみたけれど、続かないのである。いつまで経っても「あと3錠くらいあると思ったら、いつの間にか最後の1錠だった」みたいなことになってしまう。相変わらずキレイに飲むことに憧れてはいるけれど、これが私の「普通」なのだ。
そういえば一度だけ、満点の星空を見に、伊藤くんが深夜の日光までバイクを飛ばしてくれたことがあった。星空の解説も、もちろん伊藤くんがしてくれた。
まだ夏に分類される時期だったのに、深夜の日光は凍えるように寒い。震えていると、伊藤くんはあの異常な重さの革ジャンをサッと差し出してくれた。
何かの答えを探るように、瞳の奥をじっと見つめる伊藤くんを、同じように見つめ返す。瞳の奥には、何も見えない。
革ジャンは重くて硬いばっかりで、体はちっとも温まらなかった。
===
食事を終えた夫が、食器を下げにキッチンに入ってくる。
ふと興味が湧いて、聞いてみた。
「薬ってさ、飲んだ部分はちゃんと捨てる? そのままにしてる?」
夫は、考えたこともない、という怪訝な表情を浮かべて、「……そのままかな」と答えた。
なるほど、なるほど。
残った薬を袋に戻しかけたとき、パキッと空の部分が割れる音がした。一瞬、捨てるチャンスだと思ったけれど、気にせずそのまま袋に戻す。
飲みきりタイプは、残り数錠。全部飲んだ最後の日には、管理袋ごとゴソっと捨てるのだ。その爽快感を、伊藤くんはきっと知らない。
伊藤くんが見つめていた「私」と、彼の瞳に映らなかった「私」は、相変わらず私であり続けている。今頃、伊藤くんのあらゆる性質も、形を変えながら、彼であり続けているのだろう。
元気にしているかな。今でもあの重い革ジャンを着ているだろうか。薬は相変わらず、残骸を許さずキレイに飲んでいるだろうか。いつか会うことがあったら、聞いてみたい。
ああでもない、こうでもない——
思考は泡沫。朝キッチンに立ち、ぼんやりと浮かんでは消えていく、日常の思考エッセイの連載です。
【back number】
#1 プリンと、夫と、修造と
#2 1. 0倍速の失恋
