麦茶を作らない夫に、ひとこと言いたい。
気温が30度近くなってきた。
今年も日本中の夫婦に「あの戦い」が始まる季節だ。
そう
「麦茶を作ってくれない夫なんなの?」
という妻様方のお怒りポストが増える季節。
「やべ、それで怒られたことあるわ」という夫さんも
「あ、それで怒ったことあったわ」という妻様たちも
ちょっと一回冷静になってこの話を聞いてほしい。
僕が1cmだけ容器に残された麦茶を見て思うことと、夫婦円満を育てるにはどう向き合うべきか考えた結論。

🫗|それって、名もなき家事…?
こういう、ちょっとした家で発生するタスクを「名もなき家事」と呼ばれている。
が、正直お茶を作るのはたいした家事じゃない。
これは普段お茶を作らない側の人間が言っていたら「いや作るのだって一度洗ってからパックを取り出して…▽%&#&"4」とキレられるかもしれないが、僕はいつも作る側の人間。
どちらかというと、うちの妻神様はしれっと空になった容器をキッチンに置き去りしにてニコニコお茶を飲んでいる。
だからもっぱら僕が気づいて作ることのほうが多いのだが、それでもあえて言いたい。たいした家事ではない。
(妻神様ももちろんやってくれます。気まぐれに。)
💔|なぜお茶ひとつで夫婦喧嘩になるのか
考えてみたけどはっきりはわからない。
けど、なんとなく思うのは「やってあげてる」という気持ちとそれに対する「感謝」の有無なのかもしれない。
お茶を作る側の僕はそもそも「お茶を作ってあげた」という感覚がない。「なんでやってくれないんだよ!」とか思ったことがない。
別にそれは、絶対に飲み切った最後の人がやらなくてはいけないものでもないし、気づいた人が気づいた時にできればいいと思っているから。
だから「なんで自分ばっかりやらなきゃいけないんだ!」とかも思わないし、回数が平等じゃなくたってなんら気にかけない。
むしろ妻神様に貢献するチャンスが到来してウキウキする。空になったお茶ケースがあるのは、ラッキーですらある。
そこまでいくと愛妻家を超えて変態なのかもしれないが、僕はずっとそんな感覚でお茶を作っている。
でもこれが「やってあげてる」という感覚になってしまった場合、やらない側への不満や怒りが湧くのは気持ちはわからなくもない。
🙏|感謝されないと家事はただの負担になる
僕がこうして気持ちよくお茶を毎回作れるのは、うちの妻神様がいつもちゃんと作ったことに気づいて「わ!ありがと!👼」と言ってくれるからだと思う。
たしかに感謝の1つもされないようになったら、僕もいつか「なんでいつも僕が作ってるんだ!」とプンプン怒り出すかもしれない😡💭
別の記事でも書いたが、夫婦の間には「感謝」の言葉は欠かせない。
いつもやっている家事でも、こうした小さなアクションひとつでも、感謝の言葉が何より重要になる。
金八先生的な漢字のお話になるが、「ありがとう」という言葉は「有り難し」から来ている。
有り難いということは、当たり前じゃないということ。
もちろんお茶が勝手にポットに再生され溜まっていくことはなく、誰かが「お茶を作る」ことにコストをかけて動いた結果、そのポットにお茶が入っておりすぐに飲めるようになっている。
それは、有り難いことなのだ。
何気なく交わされる「ありがとう」だけど、その裏には「当たり前じゃないことをやってくれて感謝しているよ」の気持ちがある、と勝手に思っている。
逆に言えば、この「有難う」の気持ちがないと、やって当たり前だろ?というのと同じになり、それはケンカの元になる。
なので、もし読んでくれているのが「いつも作ってもらう側」の方だとしたら、もちろん明日から気づいたら率先して作るのも良いが、もし作ってもらったことに気づいたら心から「ありがとう」を伝えることをオススメしたい。
ちなみにこれだけだと妻神様がズボラに見えてしまうので弁解させていただくと、僕の方が何か気づいてしてもらうことは多い。
コーヒーの瓶を出しっぱにしたり、いつの間にかご飯作っている間に同時に洗い物を進めてくれていたり、キリがないほどに。
ほんとにいつも、ありがとうね🌱

