夫婦関係の基本は「小学生の掲示物」に全部書いてあった件
妻との距離を縮めたくて、ひとりでジタバタしてる中年モンスター・・・オットモンです。
「僕のしくじり」並べておきます。
本編に入る前にこちらの記事もそっとおいておきます👇
それでは本編はこちらです👇
子どもの発表会で感動した日
先日、うちの子(小学生)の発表会を見に行ってきた。体育館には保護者の山。スマホを高く掲げるお母さんたちの隙間から、なんとか我が子を見つけたときのあの感動たるや。
「あの小さかった我が子が、あんな堂々と!!」と、気づけば目がうるうる。
こういうとき、親ってほんと単純だ。
でも、感動しているのも束の間。
帰りに準備になった。
子どもたちが帰りの準備をしている間、手持ち無沙汰になった僕は、ふと廊下の掲示物を眺めていた。そこに貼ってあったのは、まるで人生の教科書みたいな言葉たち。
「あいさつは人の目をみてしよう」
「話を聞くときは相手の顔をみよう」
「人が嫌なことはしない」
・・・え? これ、夫婦関係にもそのまま当てはまらない?
子どもの掲示物を見ながら、なぜか頭に浮かんだのは、妻の顔だった。
まさか小学校の廊下で、夫婦関係の真理を再履修するとは思わなかった。
第1章:「あいさつは人の目をみてしよう」からの夫婦考察
「あいさつ」。たったそれだけ。でも、夫婦になると、なぜかこれが雑になる。
朝、「おはよう」って言いながら、目はテレビの天気予報。
夜、「おやすみ」って言いながら、手はスマホ。
言葉は飛び交ってるのに、気持ちはすれ違ってる。
新婚当初は、妻の目を見て「行ってきます」って言ってた気がする。
それが馴れ合いになると、「行ってきます」と言う声に、「はいはい」って返事が遠くの台所から聞こえるだけ。
…うち、いつの間にか目を合わせない同居人システムになってたのか?なんて。
人の目を見てあいさつをする。
それだけで、空気ってちょっと柔らかくなる。
不思議と、声も優しくなる。
子どもたちはちゃんとやってるのに、大人になるとサボりがち。
「そんなの当たり前じゃん」と思ってるのは、自分だけだったりする。
たぶん、夫婦関係の温度って、あいさつの目線がマジで重要。
目を見て「おはよう」って言うだけで、ちょっとあったかい日になる。
難しい夫婦の会話術よりも、「見て言う」が一番効くんじゃないかと思った。
第2章:「話を聞くときは相手の顔をみよう」って、まさに夫婦あるある
妻が話してるとき、ついスマホをいじりながら「へぇ〜」「そうなんだ」って返してないだろうか。(はい、僕です。気を付けます・・・)
「ちゃんと聞いてる?」と妻に言われて、「聞いてるよ!」と答えた瞬間に、「じゃあ今なんて言った?」と来るあの試練。
下手なクイズ問題よりよほど難しい。
子どもたちは「話を聞くときは相手の顔をみよう」と毎日学校で習ってる。
でも、大人になるとそれをサボる。
人の話をちゃんと聞くって、スキルじゃなくて姿勢なんだよなあと痛感する。
妻が求めているのは「共感の言葉」もそうだけど、「ちゃんと見てるあなたの表情」。
聞いてるフリ王の僕が、何度「へぇ〜」で地雷を踏んだことか。
実際、顔を見て話を聞くと、内容以上に感情が伝わる。
「今日は疲れたな」って一言にも、顔を見ればどんな疲れかがわかる。
それに気づくだけで、返す言葉が少し優しくなる。
僕たち夫婦は、たぶん会話が足りないんじゃなくて、目線が足りないのかも。
スマホ越しじゃなく、ちゃんと顔を見て話そう。
小学生より下手くそな父として、今日から再訓練である。
第3章:「人が嫌なことはしない」…これが一番むずかしい
「人が嫌なことはしない」はこれほど簡単そうで、実践が難しい言葉もない。
しかも夫婦だと、これが地味に刺さる。
「僕は別に嫌じゃないけど?」
これ、夫婦関係を冷やす魔法の言葉ランキング上位だと思う。
たとえば、食器をシンクに置きっぱなし。
「どうせあとで洗うからいいじゃん」って思うけど、それを見て妻が「はぁ…」ってため息つく。
これ、すでに嫌なこと発動してる。
頼まれたことを後回しにするのも同じ。
こっちは「忘れてた」ってだけなのに、妻にとっては「自分が後回しにされた」という気持ちになる。
嫌なことって、意図じゃなくて受け取り方で決まるんだなと最近痛感している。
子どもが守ろうとしてるルールを、大人の僕らが破ってるのはなぜだろう。
結局、「思いやり」って、小学生レベルの言葉なんだよな。
でも、実践するのはベテランでも難しい。
子どもより学びが遅い父、ここに一人。きっと、世の中にも多数。
第4章:そして「ビリーブ」で締めくくる奇跡
発表会の最後は、全員で「ビリーブ」の合唱。
子どもたちのまっすぐな声が体育館に響いた瞬間、なんかもう、感動だ。
純粋に「信じる」ということを歌ってる彼らの姿が、まぶしい。
この歌って何十年歌われてきているんだろうか。30年・・・いやそれ以上だろう。当時の僕はただ歌っているだけだったが、大人になって歌詞カードをふと見ると、かなりしびれる。
「たとえば君が傷ついて くじけそうになった時は
かならず僕がそばにいて 支えてあげるよ その肩を」
・・・あれ?これ、結婚式で誓った意味と同じじゃない?
「信じ合うこと」「支え合うこと」
大人になって、結婚して、時間がたって。
そのうち「信じる」より「疑う」ほうが得意になってたかもしれない。
子どもたちが歌ってくれたおかげで、
「ああ、夫婦もビリーブだよな」と思い出した。
彼らの歌声は、親たちへの再教育プログラムでもあった。
終章:僕たちは「小学生の教え」に戻るのかもしれない
夫婦関係の基本は「小学生の掲示物」に全部書いてあった。
「あいさつをする」「相手の顔を見て話す」「人が嫌なことをしない」「信じる」。
この4つ、どれも無料でできるのに効果は抜群。
僕たちは、難しい心理学や恋愛テクを学ぶ前に、まずこれを思い出したほうがいいのかもしれない。
親として子に教える言葉を、まず自分たちが実践できているか。
それを思うと、ちょっと胸がチクリとした。
あの日の発表会、僕が本当に学んだのは「子どもの成長」じゃなくて「自分の原点」だったかもしれない。
夫婦も人間関係の一部。
だったら、「基本のき」をもう一度やり直すだけで、きっと少しやさしくなれる。
明日の朝、「おはよう」って目を見て言おう。
それが再スタートの合図になるかもしれないから。
「Believe」載せておきます👇
Believe
作詞・作曲 杉本 竜一
たとえば君が傷ついて
くじけそうになった時は
必ず僕がそばにいて
ささえてあげるよそのかたを
世界中の希望のせて
この地球はまわってる
今未来の扉をあける時
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
I believe in future
信じてる
もしも誰かが君のそばで
泣き出しそうになった時は
だまってうでをとりながら
一緒に歩いてくれるよね
世界中の優しさで
この地球をつつみたい
今 素直な気持ちになれるなら
憧れや愛しさが大空にはじけて光るだろう
I believe in future
信じてる
今未来の扉をあける時
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
I believe in future
信じてる
