はい、忘れ物【せりふ三題噺】
軒先につららが垂れ下がる季節になると、ケンちゃんたちの町内会では「三輪車レース」が開催される。
大の大人が必死に三輪車を漕ぐ様は、滑稽でもあり、盛り上がりもする。
ことの発端は、自転車屋「サイクル佐々木」の親父が、孫を連れて公園に遊びに行った際に、三輪車で遊ばせたことからだった。
かわいい孫が
「じいちゃんも乗って!
楽しいで!」
と言い、孫のかわいい申し出にデレデレになりながら三輪車に乗ったものの、うまくこぐことができない。
その様子を、孫がケタケタと笑う様子を見て
「じいちゃんには難しいな~」
と苦笑いしながら、三輪車から降りると同時に、頭の中では、ペダルの重心、クランクの角度、車軸のブレ——三輪車とはいえ、機構は乗り物や…という自転車屋の血が騒いでいた。
その日から、佐々木の親父の三輪車修業がはじまり、最初は笑っていた町内会メンバーも、オレもやってみようかな…と乗り始め、いつしかそれが町内会イベントへと発展していったのだった。
今年の三輪車レースの優勝賞品は、総菜屋の人気商品エビフライ10本ということもあり、出場者たちの気合は頂点に達していた。
レース本番の日。
年明けから、三輪車のメンテナンスと特訓をしていたケンちゃんは、朝から気合が入っており、軒先のつららを眺めながら
「…路面の凍結に、注意せなあかんな…。」
と、呟いている。
そして、
「ほな、行ってくるわ。
今日の晩御飯は…エビフライやで」
と言って、力強い笑顔を見せた。
靴を履いて出発しようとするケンちゃんに、さつきは
「ケンちゃん、はい、忘れ物」
と言って、「必勝」と書いてある鉢巻を渡す。
ケンちゃん、コクリとうなずいで受け取り、颯爽とレース会場へと向かった。
レース会場には、すでに三輪車がずらりと並んでいた。
カラカラと乾いたタイヤの音だけが、妙に大きく響く。
吐く息は白く、アスファルトはうっすらと冷えている。
「位置について——」
その声で、町内会が静まり返った。
さつきはケンちゃんを見送りながら
(晩ごはん…カレーつくっとこ。エビフライトッピングできたらええな。)
と、思っていた。
この日の晩ごはんは、普通のカレーになった。
おしまい。
遅刻しちゃったけど、書けたので投稿します!
