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『旅』の終わりと、新しい年




日めくり


最近、人から日めくりカレンダーをもらった。

毎朝のように寝ぼけた頭によく響くアラームを止めると、その脇に紙の束。

向こう側の透けた薄く、さらさらした手触りの紙をひっぱる。

すると、日付の数字。

そして月の満ち欠けや、星座、ちょっとした名言が印刷された新たなページが現れる。

2026。

新しい年はすでに2週間が過ぎ、世界中の日めくりカレンダーから十数枚に及ぶ『日』がめくられたわけである。

僕はこの地球上にどのくらいの日めくりカレンダーをめくる人、『日めくりカレンダーめくらー』がいるのかまるで想像つかないけれど、毎朝同じ時間に決まった何かをするというのは、なかなか悪くない。

パリッ、という音と共にはじまる一日。

どこかすこしだけ惜しい気持ちを感じつつ、古いページを必要以上に丸めて捨てる。

僕にとって昨日はすでに過去であり、世界は廻り続けている。

日めくりカレンダーに手を伸ばすたび、そのことを思い出す。



半年前という大昔


あけまして、おめでとうございます。

この場を借りて、とっくに出遅れていることは重々承知のうえ、しかし決して忘れていたわけではないのですよ、という姿勢を示すため、あえてご挨拶をさせていただきます。

こういうことをいうのは、いささか僕の理念に反するのですが、なにせ仕事が忙し過ぎました。

新年最初の記事。

書きたいことが様々あるにも関わらず、年末からここまで、個人的な習慣としての執筆をするにとどまっていました。

記事を投稿しなかった間、本当にめまぐるしく僕を取り巻く世界は変化を続けています。

そのひとつひとつは、また土産話としてどこかでお話しするとして。

このあいだ通知を確認したら、noteから三周年の記念バッジが送られていました。

そこで今回の記事は主に、現時点の僕が見ているところ、あるいは"見たい"ところ、という感じのものにしようと思います。

いわば決意表明、というような。



そのために、まずは夏から始めた松本は浅間温泉でのリゾートバイトが終わりを迎えたことをご報告しておきたい。

この記事を作るかたわら、引っ越しの準備も進めていたような状況だった。

思い返すと本当に色々あった半年間。

一年前どころか松本に来る以前のことが、すでに大昔のように思える。

祖母と東京旅行をしたり、湯河原で初リゾバを経験したり、長崎へ長距離車旅をしたこともあった。

あれから、半年。

充実していたと感じる反面、きついことを言われたり、挫けそうになったり、諸々のストレスが身体的不調として現れたりすることなんかもあり。

例えるならば土砂降りの激流のなかを、息を止めながら進んでいるような感じだろうか。

ただ、その日々をなんとか乗り越えた今、水の重みに耐え得る強靭な足腰を得たかと言われれば、別にそんなことはなく。

むしろ半ば強制的に、自分の弱さ、脆さに向き合わされたと言った方がしっくりくるのかもしれない。

お前はここが弱い
お前はこんなこともできない

誰に明言されたというわけでもなく、他ならぬ自分自身にその現実を突きつけていた。

その渦中で『ではこんなちっぽけな自分にはなにができるのか』を考え続ける日々。

そして見出した暫定的ないくつかの答え。

その一つが、例えば英語だった。



極東から、フロンティアを


単に『憧れ』と呼ぶにふさわしかったそれは今、不思議なくらい身近なものになりつつある。

日本の、ホテルの、レストランの。

その限定的な状況において、僕は多少の自信を伴って「僕は英語ができます」と言うことができるようになった。

もちろん、細かな間違いや、実は噛み合っていなかったコミュニケーションや、場にふさわしくない言葉遣いも多々あったことだろう。

それでも毎日のように訪れる海外ゲストと関わる時間は、僕の最大の楽しみのひとつだった。

ディナーのスタッフということで言えば、英語のできるスタッフは僕の他に2人ほど。

僕はこれを好機と捉え、積極的にゲストと関わりに行った。

年明けから数日たった日、僕はとある親子の海外ゲストをレストランに迎える。

なんと、彼らはホテルに4泊もするという。

正直言って、僕はこのホテルのことを素敵な場所だとは思いこそすれ、4泊もするようなところだとは思っていない。

少々値が張るし、周りには4泊分の観光に耐えうるものはなにもない。

いったいどんな人たちなのか。

夕食時、提供や下膳の合間に話したところ、彼ら親子はオーストラリア、メルボルンからやってきたという。

彼の地に興味のあった僕は、色々な質問をし、彼らは親切にそれに答えてくれた。

最終的に僕らはお互いのインスタを交換し、次の日には彼らの松本観光に同行して、ホテルまでの帰り道を自分の車で送り届けるほどの仲になる。

“It’s not work”

そう言ったら、彼らは笑っていた。

“Keep touching”

チェックアウトの朝、せっかくだからなと自宅から見送りに出たら、パパにそう言われた。

彼らがタクシーに乗り込む手伝いをし、フロントのスタッフに写真を撮ってもらい、みんなとハグをして別れた。

松本では珍しく、柔らかい大粒の雪が風に運ばれてくる日だった。

なんて素敵な朝だろう、と思った。

僕はそんな体験を、もっとしたい。

するべきである。

こんな縁も重なって。

僕はワーキングホリデーに行こうと思います。

目指すはオーストラリア、メルボルン。

あるいは単にちょっと長い旅行というだけのものになるのかもしれないけれど。

なにせ海外に行った経験のない人間が、他の国に一年というのは、想像が難しい。

けれど、想像できるようになるということこそが変化というものであり、こうした価値観のうつろいをこそ、僕は近ごろなにより求めているのだった。


連載、はじめます


もちろん、今の自分が以前とはかなり様式の異なるものになっているとはいえ、執筆を続ける意思は揺るがない。

怒涛の年末年始の期間にだって、ここへの投稿はなかったにせよ、ある程度は手を動かし続けてきたし、毎日ほんのわずかだけでも創作に関わり続けてきた。

ただ、スタイルを変えてみようと思う。

具体的には、連載、という形で。

なにも人気作家のネームバリューで発行部数を伸ばそうとする雑誌編集でなくとも、連載に意味を見い出そうとすることは悪いことではないはずだ。

僕自身は、長い作品を追う、ということが得意ではない。

選択肢の限られた子供時代ならば、ハリーポッター、デルトラクエスト、エラゴン、ドラゴンラージャなどの続き物は何度も読み返した。

世間的にも、連載作品というのは少年ジャンプをはじめとして人気を博している事例には枚挙にいとまがない。

そしてそういうものは時間をかけてよく練られているというより、限られた時間の中で即興的に出来上がったものである。

ということは。

どちらかというと、読者のため、というよりも作者、書き手自身のためのシステムとも言えるのではないだろうか。

長編の執筆にしても、言うなれば連載みたいなところはあった。

毎日定量的に、自分に課した締切の中で、そのとき描けるものを描く。

しかし長編の場合、大幅な辻褄あわせというものができるが、連載はそうはいかない。

これが最大の差異だと思う。

形式の変更が僕の創作活動にもたらすもの。

あるいは、私生活の変化を即興的に組み込んでいこうという姿勢。

挑戦してみる価値があるのではないか、と踏んだ。

具体的にはTALESでの発表を考えている。



長い長い山道のさなか。

細かくプロットを立てない創作は、道が常に真っ直ぐに頂上に向かっているとは限らないことと似ているかもしれない。

切り立った崖のために、道そのものが迂回して作られていることはよくあるだろう。

林をかすめていく獣の息づかいに、気配をころすことだってある。

荷を下ろせる手ごろな切り株があれば、ひと息つくのだって、長く歩くためには必要なこと。

珍しい形の葉。
名も知らぬ花。
杖がわりになりそうな丈夫な枝。

そういった、ある種のノイズにまみれた、いや、ノイズの中に入り込むような感覚が、山歩きの醍醐味とも言える。

頂上ばかり見ている人々は、気付かないで通り過ぎてしまうような圧倒的細部に心奪われる。

僕にとっての創作、ないし人生の理想形はこんなイメージだった。

そして、それを象徴するかのように、彼女は僕の前に現れた。



君へ


僕が山を行く旅人だとすれば、彼女は小鳥と言えるかもしれない。

鮮やかな小鳥。

僕にとって、そういうものと出会う偶然も山に入る最も大きな楽しみのひとつである。

小鳥たちのさえずりは静謐な森を彩る音色。はばたきは、足元ばかり気にしがちな僕の目線を空へと導いてくれる指揮。

とある十字路に差し掛かった時、友だちと仲良く枝にとまり、楽しげにきのみをついばむ彼女が僕の目にとまった。

「あなた、どこから来たの」

君の最初の言葉。

「ここじゃない、それなりに遠くだよ」

「ここはとってもいいところよ。私たちのお気に入り。ねえ、すこしお話ししましょう」

「喜んで」

そんなふうな出会いだった。

彼女の生き方を見るとき、僕の世界はこんなにも狭いのだと思い知る。

彼女は木から木、森から森、里から里を、悠々自適に飛びまわる。

たまたま。

本当にたまたま、僕と彼女の道が松本のとある酒場で交差した、という偶然。

詳しいことはまた、どこかで書くこともあるかもしれない。

ただ、今は、僕の身の回りの変化について語るにとどめておこうと思う。

松本でのめまぐるしい労働の日々。

祖父の容体が急変し、「あと数日」といわれたところからなんとか持ち直していること。

耳に残る、君が僕を呼ぶ声。

すべて、過ぎゆく。

それゆえに鮮やかで、それゆえに愛おしく。

君にもらった、日めくりの一枚と同じ。

過去はさっぱり置いていく。

これが『日めくりカレンダーめくらー』の喜びならば。

なんにせよ、30代。

きたる2月5日。

何かの予感をともなって。

僕はその日に呼ばれている。

2025年の漢字を選ぶとすれば、僕はこれ。

では2026年は。

』以上の探求になるということだ。

』とでもしておこうか。

自分の次なる1ページ、異なる世界に想いを馳せて。



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