【散文】孤独の意味は
姪が「いないいないばあ」という言葉を発したのは、あと1ヶ月足らずで1歳になるというこのタイミングでのことだった。
僕はここ3ヶ月のあいだ、金沢から遠く離れた神奈川の地に働きに出ていた。
なので、共有アプリに投稿される画像や動画でしか、姪の近況を知ることができなかった。
姪はまるで僕の存在が発育を妨げていた、とでも言わんばかりにすくすく育っていた。
ハイハイにはじまり、つかまり立ちに、つたい歩き。
今では離乳食を経て、柔らかいお菓子やごはんつぶまで食べられるようになっている。
外に出て「いないいない」していたのは僕のほうなのに、どこか置いていかれたような気もするのだった。
姪が生まれた去年の7月ごろから、何人かの親戚や高校の頃の同級生からも「子供ができた」という報告が続いた。
こういう出来事というのは、不思議と重なって訪れるときがある。
波のようなものなのだろうか。
僕はなにを隠そう子供が大好きである。
そういう知らせには本能的な祝福の気持ちが湧くし、どれだけ画像を見ていても飽きることはない。
現在、僕のインスタアカウントのリールは赤ちゃんと爬虫類と英語を教えてくれる人々で構成されている。
もちもちほっぺや、ぱんぱんの腕と足、美しく並んだ艶めく鱗なんかを見ると、日々の疲れが癒される。
ただそういうものを一通り見終えて、iPhoneを置くとき。
どうしても感じずにはいられないことがある。
孤独。
圧倒的な孤独。
無数の蟻がたかるように侵食する孤独。
今ここには赤ちゃんも母親も父親も、大蛇も、カメレオンも、コモドドラゴンも、陽気なアメリカのおっちゃんも、きれいなブロンドのお姉さんもいない。
僕だけ。
その変えがたい現実に、ふたたび端末に伸びる手。
しかし同時にそれが気休めであることにも気づいていて。
画面を伏せると、静けさ。
ああ、そうだった。
僕は一人なのだ。
どうしようもなく、孤独なのだ。
液晶画面という光源を失った夜の闇とともに訪れるその実感とともに、逡巡。
じゃあ……。
じゃあ、この今。
この現在。
僕が孤独である意味。
それは何なのか。
僕に子供がいない意味は。
ちょうどいいミルクの温度を知らない意味。
夜中にけたたましい泣き声で起こされていない意味。
我が子の決定的瞬間を残そうとカメラを構えていない意味。
どちらがおむつを替えるかで言い争っていない意味。
愛する人を胸のうちに抱いていない意味は。
旅。
旅に出よう。
ふと、そんなことが浮かんだ。
旅を続けるんだ。
孤独から逃れるためではない。
孤独をなんとかしようとするのではなく。
連れて行く。
世界は広いけれど、近いということ。
誰もいない穏やかさ。
自分として生きることの素晴らしさも、教えてもらったから。
助手席は空いている。
思うがままに。
誰かが手放してしまった風船みたく。
遠慮しなくてはいけない人はいない。
楽しませたい人もいない。
面倒をみなくてはいけない対象もない。
だとすれば。
僕は、自由じゃないか。
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