手話通訳の利用について
今、とあるろう者の投稿が話題になっています。
今、とあるろう者の投稿が話題になっています。
正直に言うと、最初に投稿を拝見した時は、私も少し強い違和感を持ちました。
「通訳を使うことを甘えだと言っているのかな」
「日本語が苦手なことを努力不足だと言っているのかな」
と受け取ってしまい、これは危うい考え方ではないかと思いました。
ただ、その後コメント欄も含めて何度か読み返しているうちに、もしかすると少し違うのかもしれない、と感じるようになりました。
私の受け取り方が正しいかは分かりませんが、発話者さんが言いたかったのは、
「情報保障は不要」
「通訳を使う人は努力不足」
ということではなく、
「通訳者は限られた存在だから、自分でできることまで何でも通訳者に頼るのではなく、自分で解決する力も大切にしてほしい」
ということだったのかな、と感じました。
私も、通訳者不足の現状はとても深刻だと思っています。
また、実際に通訳者が困っている場面や、周囲の聴者や手話ができる人に過度に頼ってしまっているように見える場面に出会ったこともあります。
だから、「何でもかんでも人に任せるのではなく、自分でできることは自分でやってみる力も必要」という考え方自体は、私は分かる部分があります。
また、私も子どもの頃、親(ろう者)に対して日本語についてモヤモヤした経験があります。
日本語が苦手なこと自体に腹が立ったのではなく、「苦手だから仕方ない」で止まってしまい、少しでも分かろうとする姿勢が見えないことに、強い苛立ちを感じたことがありました。
(だから努力が足りない!と言いたいんじゃない)
なので、発話者さんが言っていたことも
「できない人を責めたい」
「日本語が苦手な人を否定したい」
というより、
「できることまで最初から諦めたり、誰かに任せきりにしたりするのは違うのではないか」
という気持ちだったのかな、と私は受け取りました。
ただ一方で、この話はとても誤解されやすいとも思います。
なぜなら、通訳を使うかどうかは、外から見ただけでは判断できないからです。
軽い受診や定期検診に見えても、実際には薬の説明、副作用、検査結果、今後の治療方針など、大切な情報が出てくることがあります。
また、本人の日本語力、体調、緊張の強さ、医療機関側の筆談対応の質などによっても、必要な支援は変わります。
だから、「この程度なら通訳は必要ない」と他人が簡単に判断することは難しいと思っています。
そして、手話通訳は聴覚障害者だけのためにあるものではなく、医師や職員など、相手側が正確に伝え、正確に受け取るためにも必要なものだと思います。
情報保障を利用することと、自分で解決する力を身につけることは、本来は対立するものではないはずです。
自分でできることを増やすことも大切。
でも、必要な場面で通訳を利用することも大切。
その両方があっていいと思います。
今回のやり取りを見ていて、私は最初に感じた怒りだけで終わらせずに、少し立ち止まって考える必要があると思いました。
特に、
「通訳者が足りないから、本当に必要な人に回るように、自分でできることは自分でやろう」
と聴覚障害者自身が考えてしまう現状については、きちんと向き合わなければいけないと思いました。
本来なら、必要な人が必要な時に、遠慮せず通訳を利用できる社会であるべきです。
それなのに、利用する側が「自分が使ったら他の人に回らないかもしれない」と考えなければならない状況がある。
そこには、個人の努力だけでは解決できない社会の問題があると思います。
だから私は、発話者さんの言葉にすべて同意するわけではありません。
でも、この方をただ責めるだけでは、この問題の本質を見落としてしまう気がしました。
「自立する力は大切」
「でも情報保障は権利」
「通訳者不足を利用者同士の我慢で埋めるべきではない」
この3つを、同時に考えなければいけない話なのかなと思いました。
最後に、この方はご年配のろう者の存在を失念していた事や通訳制度について知らなかった事を反省しています。
今回のことを通して、学ぶと共にみんなで考える事が大事なのかなと思います。
