「エリート魔術師な旦那様の最愛は「使い魔」!? 〜不遇令嬢の仮初妻から始まる溺愛生活〜」第3話

 ……一体、どういうことなのだろうか。

 だって彼女は名門・サマーグロウ公爵家の長女。

 誰からも愛され、尊重されて然るべき人で、折檻などという言葉とは一番縁遠い場所にいるべき女性であるはずだった。

 それなのにそんな人の体に傷がつくなんて、一体誰が何をしたというのか。


「……いや、そんな名門家の箱入り娘だからこそ、その体に傷をつけられる人間がいるとするならば、よほど近しい人間だけであるだろう」


 よりはっきり言えば家族をはじめとした、サマーグロウの屋敷にいる人間たちに。

 当たってほしくなかった想像だが、しかし間違ってはいなかったようだ。


「お体も細く、栄養失調気味であられるようですし……これまで、あまり良い扱いを受けてこられなかったのでしょうね」

「っ……!」


 ……なんということだろう。

 俺はあまりの衝撃に、思わずふらりとよろめいてしまった。


「俺は……俺はこれまでずっと、選択を誤っていたのだろうか?」


 呆然と呟いたそれは、切実な俺の内心の叫びにほかならない。

 ……俺自身の心が、どれだけ傷つくことになろうとも。

 それでも彼女には決して無理をさせまいと誓ったからこそ、俺は縁談が不成立に終わったという辛い現実を受け入れた上に、あの日からずっと彼女の幸せだけを願い続けて、結果として彼女の人生に干渉しない道を選んできたのだ。

 そんな俺の選択の根底にあったのは、彼女は当然のこととして実家でつつがなく生活しているのだという大前提。

 名門家門の令嬢なのだから、当然それに見合う最高の待遇を得ているに違いないと。

 そう信じていたからこそ俺のせいで彼女が今手にしている幸せを壊すことがあってはならないと思い、泣く泣く身を引くことにしたのだった。

 それなのに、彼女が実家で虐待されていただって?

 彼女が、幸せな人生を送れていなかっただって……?

 冗談じゃない。そんなこと、絶対にあってはならないことだ!


「かくなる上はサマーグロウ公爵家(あんないえ)になど、このまま帰すわけには……!」


 思わず唸るように呟いたところで――。


「きゃああっ!?」


 不意に室内から、驚いたような女性の声が響いてきた。


******


 ……ここはどこ?

 ここは現代日本。悪鬼はおらず、魔法も存在しない代わりに、科学技術が発達した世界だ。

 ……私は誰?

 私はそんな世界に生まれ落ちた、しがない一般庶民。人並みに勉強して、就職して、そして……不慮の事故で死んだ。

 ああ、そっか。そうだったのか。私という人間って、実は――。


「異世界に転生していたのか……!」


 はっと目を覚ました私は自分自身が今の今まで重要な事実に気付いていなかったことに、かなりの衝撃を受けていた。

 どうして、忘れていたのだろうか。


「……ああ、そっか。思い出したことは自分が科学技術の発達した日本に生きていたということだけで、それ以上でもそれ以下でもないからかもしれないわね」


 冷静に考えれば例えば今の人生に活かせるような何かを思い出したというわけでもなく、これしきのことを思い出したところで特に意味はないのだった。


「じゃあむしろ、何で思い出したのよ!?」


 思わず遠い目になったところで、私はそれよりももっと今考えるべきもっと重大な事実に思い至ったのだった。


「というか、ここは……一体どこなの!?」


 思い返せばそもそも私って、あのとき悪鬼に食われて死んでしまったのではなかったかしら!?

 だが頬をつねれば痛いし、こうして色々と考えられているのだから自分はまだ生きているとしか思えない。

 そして私が寝かされていた布団は清潔かつ高級そうなものであり、部屋もまた立派な調度品で満たされていた。


「状況から考えるならば誰か裕福な方が、私を助けてくれたということなのかしら? だってここ、どう考えたって、名家の一室という風情なんだもの。……いや待って? あそこに置いてある燭台に刻まれた家紋って……きゃああっ!?」


 こ、これ、私にとって、だいぶ見覚えがあるものであるように思えるわ!?

 もっとはっきり言ってしまうならばそれは、ずっと心から離れないあの人の実家を表すときに使用される家紋であるように見える。

 まさか……いや、そんな……。

 思わず高い声をあげてしまい、一人で狼狽し始めたところで不意に室外から声をかけられた。


「何かあったか? 中に入っても良いだろうか?」

「……っ!?」


 あれから、あまりにも時間が経ってしまっているのだ。

 当然、記憶の中にある声とは異なっている。

 しかしどういうわけか、私にはすぐに理解できた。


「ど、どうぞ……!」


 おずおずと返答するとすぐに、部屋のドアが静かに開かれた。

 そこから現れたのは、切れ長の目が印象的な美丈夫で。

 ……ああ、やっぱり! やっぱり、私の直感は間違っていなかったんだわ!!

 そうなのだ。そこにいたのは今まさに頭に思い描いていた、私の最愛の人にほかならなかったのだった。


***


 ああ、この日を何年待ち望んだことか……!

 全てに耐えてきたのはまさに、今日という日を迎えるため。

 このためだけに、私は日々を生き抜いてきたと言っても過言ではない。

 だから私は万感の思いに浸って言葉を失っていたのだが、彼は私が見知らぬ環境に戸惑っていると誤解したらしい。


「あっ、怪しい者ではないからな? 俺はこの屋敷の主人であるラヴィオン・ウィンターベールだ。倒れているあなたをここに運び入れ、使用人たちとともに介抱させてもらった。目覚めて早々で悪いが、もし気分が悪いなどあれば遠慮なく教えてほしい」


 彼――ラヴィオンさまは少し早口で、必死に私に状況を説明しようとしてくれた。


「っ……! いえ、そんな! 助けてくださり、本当にありがとうございます。体調に問題はございません。あっ、申し遅れましたが私はル……」


 対する私は「ルナリアでございます」と名乗りかけて、しかしそれ以上に言葉を続けることができなくなって中途半端に口を閉ざしてしまった。

 だって、気付いてしまったのだ。

 自分が今、いかにみすぼらしい見た目をしているかということに……!


 彼と再会したらああ出来たらこう出来たらなどと、これまで心の中で思い描いたことは数知れずあった。

 しかしそのどれであったとしても、彼の前に立っていたのはなるべく完璧に装った自分自身だ。

 だって、好きな人の目に映る私はなるべく綺麗であってほしいじゃないか。

 たとえ、彼と結ばれなかったとしても。

 それでも彼の記憶の中に一欠片でも残るとしたならば、それはできる限り美しい私であってほしい……。

 そう願っていたというのに、現実とはかくも無情なものであった。


 まず視線を落とせばすぐ目に入るのは、艶のない黒髪に、水仕事のせいで荒れ放題の指先だ。

 顔は化粧っ気などなく、体もここ数年の待遇ですっかり痩せぎすとなっており、ロゼットのような女性らしい柔らかな体つきとは程遠くなってしまった。

 また着替えさせてくださったようなので今は違うにしても、倒れた当時に着ていたつぎはぎまである簡素なワンピース姿だってばっちりと見られてしまったに違いない。

 これが……こんなのがルナリア・サマーグロウ(わたし)だと思われるの!?

 というかこんな身も心もボロボロの女が名門・サマーグロウ公爵家の令嬢であるルナリアだと主張したとして、誰が「はい、そうですか」とすんなりと信じられるというのよ……!?

 結果として、私の口からこぼれ落ちたのは――。


「ル……そう、私は『ルーナ』! ルーナでございます!」


 ――ルナリア(じぶん)ではない、全くの別人を装う言葉で。


「そ、そうか……」


 私の勢いに押されたのか、彼は少し驚いたように呟く。

 だが、私の名乗りを疑いはしなかったようだ。

 「ルーナ……ルーナ、か……」と噛みしめるように何度かぼそりと復唱していた。

 そんな彼の姿を懐かしさや愛おしさの綯い交ぜになった複雑な気持ちで見つめながら、しかし振り切るように一度目を閉じてから私は彼に頭を下げる。


「どうした?」

「窮地から救っていただいたばかりか介抱までしていただいて、本当にありがとうございました。しかしこれ以上ご迷惑をおかけするわけには参りません。起き上がれるようにもなりましたし、そろそろおいとまさせていただこうか、と……」


 なにせ、彼にとっては私など見知らぬ他人にすぎないのだ。

 幼い頃に一度会ったとはいえ、そんなものは覚えていなくて当然のこと。

 覚えていたとしても今の私とは結びつかないに違いないし、いずれにせよ彼が私をこれ以上助けなければならない義理など全くないわけなのだ。

 だから意識がない間に助けてもらったのはともかくとして、これから先も彼の優しさや正義感に縋るのは良くないのではないかしら……?


「俺を置いて行かないでくれ……!」

「えっ?」

「あ、いや。こほん。言葉を間違えた。ルナ……ルーナさんは、ここでもう少し療養していたほうが良いと思うんだ」

「しかし、これ以上こちらに置いていただくわけには……。そこまでしていただく資格など、私にはございませんから……」

「資格? 資格か……。つまり、ここにいるのが嫌なのではないのだよな? ここにいる理由さえあれば、しばらくは気兼ねなく過ごすことができるだろうか?」

「……? それは、まあ……」


 頷いてみせると彼はしばらく視線を彷徨わせて何事かを考えている様子だったのだが、「そうだ!」と呟くや私とまっすぐに視線を合わせた。


「一つ、あなたに頼みたいことがあるんだ。もし良ければ……俺の妻になってくれないか?」

「つま? ああ、妻ですね。………………って、妻っ!?」


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