【ここじゃない何処かに行きたいあなたへ】─人生の沿革をガレージブランドから探してみる企画 #37
─作らされる沿革
人は必ず居場所を求める。
「このままでは駄目だ」
「ここじゃない何処かに行きたい」と。
全てがフィクションの中に生かされているようでいつまでも現実感が持てないのは、頭に描いた理想を誰にも壊されたくないと大切に閉まったままでいるからだ。経験よりも本やネットで得た知識が先に体内に取り込まれ、予測する力だけが肥大化してしまう。だから理想なんてものを考えることもやめて見ないように…なんて場合もある。
一体いつになったら現実をリアルに感じられて、本当の自分になれるのだろうか?
そんな自分などは無いと思いながらも、何故か夜行バスの高速道路にずっと乗せられているような感覚。1年があまりにも早すぎた。
「あぁ、まただ。行き先が違う」
そして、ずうっと扉が開かない。
心の中のテロリストにジャックされたままで、抵抗する力も起きない。
─自由を求めて
実際、24-26歳くらいはあっという間でそんな事をいつも考えていた。ちょうど仕事に慣れてきた頃と重なる。慣れは退屈を呼ぶことを知った。動かないと楽しさが生まれにくい。でも動けない感覚だけが確かな手触り感を持って自由意志を剥奪する。
この頃から哲学本を読むようになった。この嫌なモヤモヤは何だ?言語化されないと人は不安に陥るのか。
色んな本を読んでも分かったようで分からない。情報を情報のままにしているからだ。そこに実践や経験が伴わないと身体感覚として血肉にならない。このモヤモヤがずっと嫌だった。
また、権力を持った大人を見るのも嫌だった。
それは自分が臆病で人の目を見て話すのが苦手な隠の者であるとは別の理由だ。歳を重ねるにつれて、存在感が増したオーラの中にある多くの他人の期待と責任を背負った立ち振舞いが、見えない刃で喉元を突き刺されているかの如く不自由さを露呈させるからだ。
YouTubeで管理職は罰ゲームと言われてしまうのも無理はない。
人生のコントローラーを自分の心の中に顕現したテロリストに奪われないために、自由な身軽さと何かしらの軸が必要だった。
こういった事は多くの人が感じたことのある悩みなのではないだろうか。言っちゃいけない雰囲気と言葉にすることの恥ずかしさで、こんな悩みを吐露することを憚るのはいつの時代もそうだったかも知れない。
(そういえば子供の頃、ズバリ言うわよって番組を見てた母親は何か不自由を感じて泣いていたのかも知れない。今の時代はスパチャで推しやYouTuberにファンが人生相談してるよなぁ。みんな何かに縋りたい。自分はそれが読書とモノづくりだっただけだ。内向型90%は伊達じゃない。)
─理想の体系があるはずだ
そんな中で出会ったのが今発信している
MYOG(アウトドアギアの自作すること)と
UL(ウルトラライト)だ。
この2つの言葉は自分の価値観に合っていた。
貝殻の無いヤドカリの如く何かに縋りたい気持ちで自分の居場所になるのではと想像した。
でもまだ何か足りない気がする。
理論立てる何かが欲しい。直感的に心震える感動も欲しい。そんな中でロラン・バルトやジャン・ボードリヤールの思想や哲学(の一部)を触れることになり多いに感動した。まだまだ未熟な考えではあるが、少しずつ思考の粒度が細かくなってきている実感を持てるようになった。哲学本や経験を通じて一生やっていくのだろうと今は思う。
想像した理想を少しずつ形作ることの過程に心震える感動を見出したい。本当は自由も不自由なんてものは無くて、意味付けしているのは自分の頭だと理解すると、別に何だって良いと思えるようになるし、心が軽くなる訳だ。
その理想の形を求める過程を楽しみ、感動を作ることを体現している解の内のひとつに、ガレージブランドが挙げられるだろう。
─ガレージブランドとは?
ガレージブランドとは、
・大企業ではなく
・少人数、時に個人
・自宅や小さな工房(=ガレージ)から始まる
・作り手自身がユーザーである
こうした条件を満たすブランド群を指す言葉だ。
ULとガレージブランドを結びつけて歴史的な背景から話すと長くなるため割愛するが、熱量を持った個人が過程を楽しむという文化は数多くの人々を熱狂させる萌芽になる。そしてその熱狂は電波を通じて多くの人に届く。
似たカルチャーにギークカルチャーというものも存在する。ギークはパソコンオタクの事を指し、ギークたちは技能や成果物(個人の能力に帰属させない)を私有ではなく共有を理想とし、オープンソースで無料で公開できるようにしているのがほとんどだ。
これらは、一部の人間が独占する事なく全体に広がりを得ることで社会全体の進捗につながると信じているからだ。カウンターカルチャーはインターネットが普及しきったSNS全盛の今だからこそ社会のスキマをデザインする鍵となる。
─何を信じるかで沿革は変わる
熱狂は何かに価値を感じているからこそ起きる現象だと思う。価値は、信じることと否応無しに相関関係を持つ。ある物や商品が価値を持つのは、全体でこれは●●だと信じられているから。そういう物だと決めているから。その約束事を守る方が社会での生存や繁栄に有利に働くから。
などと言い換えることができる。
熱狂的なブランドのひとつに最近上場したHUMAN MADEがある。アパレル不況の今、プロパー消化率100%と営業利益率28.2%(2025年1月期)メディア等に掲載する広告費は0という意味の分からない数値を出している。これは何かを信じているからとしか言い表せない。NIGO氏なのか?
(気になったので有価証券報告書を見てみたら、事業モデルやスケールモデル構築が面白すぎたので今度noteで分かりやすく記事にしていきたい)
👇有価証券報告書を載せておくので良かったら
https://www.jpx.co.jp/listing/stocks/new/um3qrc00000285s4-att/11HUMANMADE-1s.pdf
有価証券報告書なんて見るような世界線にいなかった人生ではあるが、知らないものに出会うのはやはり面白い。その有報の中で沿革がある。
「沿革」とは、企業、組織、団体の歴史的な発展や変遷に関する情報をまとめたものです。企業サイトの沿革や社史を書くことは、その企業の成り立ちやストーリーを伝え、ブランドへの興味や信頼性を高める重要な要素となります。
沿革とは、移り変わりであり、何を信じたのか、その先に残ったものを沿革と表現できる。ガレージブランドのような小さな共同体の沿革を調べることは、人生の沿革を自分で作り上げている過程を覗くことなのかも知れない。
いいかげん現実とつながりたい。
その為のリサーチをしよう。
そして発信した知識を血肉にする為に実践もする。ちょうどMYOGでバックパック作りと並行してガレージブランドを調べるのは良さそうだ。
よし、人生の沿革をガレージブランドの中から探してみよう!
この企画は、パタンナー島村の人生の沿革を確かなものにしていく為の作業です。
この記事を読んだ方もぜひ自分の沿革を作り上げる為に尊敬している方々の沿革を覗いてみるのは如何でしょうか。
おわり。
今回の記事はエッセイ風に書いてみました。
ですます調ではなく少し真面目な感じ。
でも普段はですます調の方が好きで、堅い感じは苦手です。一生ヘラヘラして生きていきたい!
以下の文章は作り手の視点というマガジンで記載した文章です。是非読んで下さい。
この続きを今はゆっくり書いている段階です。
✅作り手の視点
言語には3つの恣意性から私たちが理解している物事には環境や社会に依存した記号(シニフィアンとシニフィエ)を公理の前提(物の捉え方のレンズ)として置いてしまっているのです!!
つまり、制度は人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化の変化(レンズの取替え)で別の新しい何かへと変容する可能性を秘めている。唯一の真理なんてどこにも無いのだと構造主義は考えるのです!
「本質は〜である」などと言う人も、周縁にある無意識の前提を約束した上での理論展開になってしまう為、本質は意味もないし、【ある】という事だけを人間の認識の仕組みの上で理解して勝手に結びつけているという事にすぎないのです。
ものすごく言語は曖昧で揺らぎのあるものだとは思いませんか?
本質という言葉も無意味であるし、思考や捉え方が変わると制度や構造の変容が無数にある。
もしかすると衣服(ファッション)もこのように曖昧で移り変わるもので絶対的な正解などないのだから、元ネタ《原型》を頼りにモノづくりがされてしまうのかも知れません。
しかし、だからこそ自由に
モノづくりをすることができるのです!
この1次的恣意性(0→1の段階で、恣意的に切り取り分ける種の断定)を理解し、共時的な視点を持つことで基準や制度を脱構築していく。
そうして多くのレンズを状況ごとに使い分けていくことが新しい《原型》を作るうえで重要になってくるのだとパタンナー島村は考えています。
そして物の捉え方のレンズを無数に持つためには、現状の願望や欲求に素直に従ってみるということが大切かもしれません。この願望や欲求というのは過去の経験や状況によって形成されます。
ここに従わないと、過去に作り上げられた体系や構造(=文化)に包摂されてしまい、自由であるのにも関わらず、なぜか不自由を感じながら過去の延長線上で未来を見てしまうのだと思います。
文化というものは非常に厄介なもので、時間が経ち文化が成熟する(=制度として合理化が進みきった状態)と必ず硬直化が起きて、意志を堰き止めてしまう原因になる場合もあります。
頭で合理化することばかり考えると、過去がこうだったから〜、一般的には◯◯だからこうした方が良いなどの事象が真っ先に浮かんでくるのです。
”当たり前”=”文化の収斂”というのは思考の単純化と安心をもたらす反面、主体性よりも社会性に重きが置かれます。そうなってくると全体の功利を配慮して余計に身動きが取れなくなってくる場合がある。要は言語化による弊害でもあります。
だから言語化はしすぎると危険ですよということではなく、生存と繁栄の為に人間がただただ恣意的な意味付けを連綿と続く歴史の中で都度行っているに過ぎないという事です。自分たちが持っているレンズというのは環境や状況、関係性によっていくらでも変容する。
そこに良いも悪いも、正解も不正解もない。
つまり価値基準すら本来はない。
だからこそ、物事の捉え方や尺度はいくらでも変える(決める)ことは出来るのです。自分の中に一本太い軸足を持ちながら片足浮かせて、いつでも移動できる足場の軽さを持っておく。これが文化や制度に対する抵抗なのです。
未来は過去からの延長線上(そもそも線やレールすらない、安心したいから勝手に想像してレールを見ているだけ)にはありません。
未来を決めてどう作っていくか考える事。
仮でも良いから、こういう《文化》や《社会》にしたいという強い願望を持つ事。
その為の毎日の小さな決断の連続がほんの先の未来を形作ると考えています。決めた事を形にしていく。決める事で新たな視点が次々と生まれてくるのです。
それは決めた事を作りたい理想の形に変換するMYOGと似ています。
MYOGは人生の縮尺図。
小さな人生そのものなのです。
─ロラン・バルト「種の断定 a/A-a」から
ほんとうのおわり。
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【MYOG進捗状況】
2025年11月⇒進捗率43%(4/10)
【note進捗状況】
2025年11月⇒進捗率37%(37/100)
これらの進捗は2027年4月までに達成する目標です🔥エイエイオー!
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ここまで読んで下さりありがとうございます。
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P.S. このnoteは基本的に自分が哲学本を読んだり、ものづくりをしていく中で面白いと思った内容を4000文字〜10000文字くらいの文章量にまとめています!
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