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【0→1を生み出す方法論】─ロラン・バルト「種の断定 a/A-a」から #11

【0→1を生み出す方法論】
─ロラン•バルト「種の断定a/A−a」から

はじめに、この記事は自分たち作り手がワクワクするような方法論をまとめ、洋服(作られたもの)を長く大切に扱う文化を育てることを目的としています。

様々な視点を共有したり、対話をする事で、見えてくる新しい発見や気づきが生まれる契機となれば幸いです。そして、それらを残して次に繋げていくという願いを込めています。

この記事のタイトルである【0→1を生み出す方法論】は、元ネタがないモノづくりとはどのようにして可能となり得るのかを考察した内容となっております。この記事を理解すると、独自性のあるモノづくりが可能になります。

こんな人におすすめ💡
✅パタンナーやデザイナー
✅ファッションの専門学生
✅ものづくりを仕事にしている人
✅既にMOYGをしている人

前回の記事でイマニエル•カントが提唱していた【目的なき合目的性】という概念を使って、普遍妥当性を持つ美とか何かを探りました。そこから名作を作るにはどうしたら良いのかという考察をしたのが前回の投稿になります。

先に👇こちらの記事を見て頂くと、今回の問題提起の輪郭がはっきりと浮かぶかと思います。


《注意点》
この資料は形而上学的な内容を含みます。出来るだけ、よく分からない用語などは意味を※マークを付け、文章の最後に意味を付け加えております。

それでは行ってみましょう!


問題提起として


多様性を受け入れ個人を尊重しようという文化がますます強くなり、「自分らしく生きたい」「何にも縛られずに自由に生きたい」といった言葉が多く見られるようになってきました。

そして、モノがありふれた現代では独自性がいかに重要かということを日々感じながら仕事をしています。

独自性(オリジナリティ)は、このような〝他とは違う自分らしさのある”だとか、〝社会の中で氾濫する情報や人々に埋もれんとする個々のポジション取り“という意味などが含意していると思います。

一方で、モノの起源や根源(オリジン)という意味もあります。この記事では起源や根源となるもの(=独自性)はどのようにして生まれるのか?を言語化してみました。

カントの《目的なき合目的性》という概念を使い、名作と呼ばれ得る物を作り出す方法論があったとしても、さらに深層にある《原型》とやらを認識してものづくりをしなければある問題に座礁してしまうのでは?と島村は考えています。
それは一体どんな事なのかを説明します。


現在の服作りには、ある暗黙の了解があるのではと日々感じるのです。それはトレンチコートやデニムジャケットなどに代表される《原型》とされる服がまず前提としてある事。

そしてそれらの服を元ネタにしてさまざまなブランドが「らしさ」を求めて味付けをするのです。

図1:トレンチコート

例えば、トレンチは塹壕という意味でWW1の際にイギリス軍が開発した、戦争時の防水コート。トレンチコートのデザインにはいくつかの特徴的なものがあります。

•エポレット:肩に付いているタブ
•ガンフラップ:銃を撃った際の衝撃を抑える為のあて布
•アンブレラヨーク:後身頃にある雨避け布

これらは戦争用の防水コートとは何かを考えた結果として生まれたディテールであり、それらの集合体がトレンチコートの原型なのです。

正直、学生の時からずっと不思議でした。教科書的に「このデザインはこの名称である」と伝えられてデザインの手札の一つとして持っておくことに違和感を感じていました。

服のデザインをするときに頭の中にある引き出しから過去に学んだ原型の断片を意匠的に組み合わせて作り上げることが服作りと言って良いのだろうか、、というモヤモヤです。(でもそれ以外の正解が分からない…)

つまりこのように元ネタ《原型》が先立ってあることで、(形骸化された)これらのディテールが正であり、本物であるという風な無意識の決めつけが起こり、洋服の可能性を自らに狭めてしまっているのではないかということです。

言い換えると固有のデザインが公共性の高いものとなると、本来の目的とは異なる文脈でのものづくりがなされてしまっているのではないか?そして素材や形態や色彩などの表層的な側面がより注力されているのではないだろうか?

この学生の頃から疑問だったことをようやく自分の中で消化できそうになったのでこのnoteにシェアしていこうと思います!洋服作りだけに関わらず、モノづくりをしている方やファッションの専門学生にとっても有益な情報となるようにまとめました!

できるだけ分かりやすく理解できるように、一つずつ説明しているのでゆっくりとみて頂けると幸いです。

まずは下記の図解を整理し、理解をする事で新しい視点が見えてきます。

図:2 物の表層と深層

この図解は、自分の服作りで非常に影響を受けたある一冊の本の内容から参考にさせて頂いております。黒川雅之さん著の【デザインの逆説】という本に登場する物の表層と深層という図解を参照して作りました。一部分、文章を抜粋して内容を説明します。

物には表層から深層まで多層な構造がある。表層は触れることのできる「素材」や見ることのできる「形」「色彩」などなのだが、その少し深いところには「力学的な調和の感覚」があったり、快適さや不快さに関係する「生理的なもの」があったりするだろう。この生理感覚は形にも色彩にも関係するのだが、その物と人との関係の経験や記憶が背後にある。
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もう少し深層を観察すると形の奥にスタイルが見えてくる。「様式」である。これを感じるためには「文化」を理解する必要がある。文化とは「人や民族の記憶と願望の集積」なのだが、この知識がないと文化を背景とした様式は見えてこない。
様式のそのまた深部に僕は「原型」、あるいは「元型」が潜んでいると考える。

黒川雅之著【デザインの逆説】


先ほどの例で考えると、服作りにはその戦争用の防水コートという《原型》であるトレンチコートがまず元ネタとされます。

その元ネタに対して新しい素材(コットンギャバジンではなく3レイヤー素材)を使ったり、日常使いで使いやすくする為にエポレット(肩章)を無くしたり、女性でも可愛く着れるようにフレアー分量を増やして、フェミニンな雰囲気を出したり、色を変えたりとetc…

これは、やはり《固定化された原型》が前提として先立って存在し、その原型を元に《それぞれの時代に合う素材•形態•色彩》と《文化に根ざした様式》の円環構造が見て取れます。
(下の図参照)

図:3 目的なき合目的性と名作についての全体像
【#2) noteより】

なぜ今、戦争をしていない人がスーツの上にトレンチコートを着るのか。銃を持たない人がガンフラップが付いた服を本当に必要とするのか。

そこにロマンやエレガンスさを見出したり、紳士服の嗜みとして着るという事もあるでしょう。それを懐古主義という捉え方をするのは容易です。

またディテール自体には意味は無くなり、服自体に表象される記号としての役割が作用している可能性も考えられそうです。

絶対的な正解がないからこそ多くの方に共通理解されているものが安心ということかもしれませんが、これらの現象は過去の昔ながらの服の作り方やデザインが権威性をもち、そこに縋ってしまうという自己欺瞞的な盲信の源流を作っている可能性があるのだと思います。

そこには原型が変わらないものづくりの円環構造があり、これをどうにか脱構築的なモノづくりに変換できないのか。───

アパレル業界の模倣問題などはそれの散々たる例ですが、果たしてまだ見ぬアパレルの未来を明るい方向へ導けるのか?それが正解であって良いのか?ということをずっと考えています。

種の断定【(a/A−a)】


…とは言いつつも、服作りに於いて元ネタの無いところ、つまり0からのデザイン(ここでいうデザインというのは、目に見えるディテール、仕様、パターンは勿論の事、形而上学的なところまでを含意します)は可能なのかと甚だ疑問に思われる方が多数であるかもしれません。

そこで、ある一冊の哲学本ロラン•バルト著【モードの体系】の中に登場した種の断定【(a/A−a)】という概念を用いて、言葉の誕生と意味の生成過程を把握し、新しい物が生まれる時に起こりうる事を考察してみました。

👇凄く面白い本です。

人間は自分たちの衣服とことばから、どのようにして意味をつくり上げるのか?
ファッション雑誌の言語をあざやかに分析。文化記号論のバイブルとなった古典的著作。
モードとは、予想外の動きを示すくせに、しかも規則的なもの、つねに新しいものでありながら、知的な理解を越えたものではない――モードがいつも心理学者や美学者や社会学者たちの関心を惹きつづけてきたのももっともであろう。
著者は、現代の人間学にとっての最大の関心事のひとつに遭遇した。それは言語分析を拡大し、文化的現象全般にまで拡張するということ。すなわち本書は応用記号学開拓の、最初の試行のひとつなのである。
『モードの体系』は、具体的には『現代のモード雑誌にことばとして表現されているモードの記号体系』といえよう。

本の説明より抜粋

このモードの体系という本は、流行を意味するモードという文化的現象を、構造言語学の観点から明らかにした本です。
(言語構造学については次の章で解説します)

当時のファッション雑誌に書かれた服の説明(言葉による伝達)を噛み砕いて言語分析するという手法を用いて、モードについて体系立てた本になります。

簡単に言えば、洋服のデザインやディテール自体を【ただの洋服】で終わらせずに、それらの洋服には意味があり言語的な体系が見いだせるのではないか?それによって流行を意味するモードという文化的現象を読み解くことができるのでは?とロラン・バルトは考えました。

確かに、洋服を着ること、ファッションを楽しむということは、自分を表現する材料として使われるという側面から、衣服はコミュニケーションのツールとしても使われているので言語と似ているかもしれません。

この本の分析対象は当時(モードの体系は1972年発行)の雑誌の説明ですから、自分にとっては雑誌の表現に違和感があった事や、フランス語で書かれているものを言語分析した事などは、正直今の日本人が読んでスッと馴染むようなものでは無かったです。

ですが!!!

この本の中に出てくる種の断定【(a/A−a)】という項が0→1のものづくりをする上でめちゃくちゃ重要なキーワードになってくるのでは…!と思いました。

その種の断定【(a/A−a)】とは何かを読み解きます!

結論から申しますと、種の断定【(a/A−a)】とは、非連続に浮遊している様々な事象(その総体を自然と呼んでも良い)の中から、あるひとつを選択し、その肯定された種(a)とそれ以外の選択されていない類(種のクラス:A=a1.a2.a3.a4…)の対立関係を詳らかにして、aの存在自体を認めることと定義しています。
(この文だけみてもよく分からないですが、後ほど解説します!)

この対立関係を明らかにした上である物質性をもった対象が、人々との共通認識によって存在が規定されます。その共通認識を増やしていく中で、言語が発達し自然(無秩序な状態)から文化(言葉によって存在を認識する世界)への移行が始まり今の社会が形を持つようになったのだと言えます。

この本では種の断定こそが我々人間の知的理解への入口だと書かれていました。(一方で新しい言葉や概念が生まれると周囲を構造化し、分断に追いやる性質もあるという事は念頭においた方が良さそうです)

つまり、これは始まりの始まるところ=0という概念。ゼロというのは何も無いという意味ではないのです。【ある】という事を人間が認識する原点としてのゼロとして解釈しています。
(こちらもややこしいですが、図解にするとシンプルなので下の章で図解を作成しました!)

この種の断定という新しい視点を持つとかなりものづくりで役に立つと思います。言葉で書くと当たり前のように感じますが、あるひとつの物事には差異があって成り立つ、一義的な視点ではなく全てのものは、ある集合の中で多義的に変化するとも言えます。

この種の断定が既に存在している原型から新しい服を創造するのではなく、原型が原型として成立する為の諸要素を選びとって肯定をする事で新しい原型を生み出す事が出来るのではと考えました。

その新しい原型を生み出してカントの目的なき合目的性の考え方を用いればブランド独自の名作が出来ます。

種(a)の実態を洋服で例えてみます。

類(=種のクラス)を【アウター(コート)】とした場合、ダウンコート、トレンチコート、チェスターフィールドコート、モッズコートなど…が種(a)に相当します。

図4: Chat GPTから生成

一般的に(アウターに分類される)種というのは非両立性があり、同じ種のクラス同士では組み合わせて着用すると違和感を生じる可能性が高いです。

この違和感を着崩して合わせる、レイヤードで楽しむという例外はありますが、それが多くの方にスケールするということはほぼ無いといって良いでしょう。(コート2枚着る人は見ないですよね)

つまり、1つの事象に対して目的が同じ物を2つ存在させる意味があまりないということ。

それらのアウター(コート)という類の中で様々な諸要素があります。

●ミリタリー、ワーク、スポーツ、
ドレスなどの用途適合性
●国や風土ごとの様式(スタイル)
●素材、形態、色彩の表層的要素
●思想、文化、遺伝子の深層的要素

↑これらの諸要素までを理解した上でモノづくりをすることができれば《現代の衣服の原型となっている物》とは何かを辿ることが可能となり、《これからの新しい文化や社会に適合する新しい原型》を作り上げることができるのではないか?

そしてそこに0→1となるアイデアの源泉【方法論】が隠されている、それが今回の主張になります。

この方法論を理解するとまだ存在させていない対立関係を作り出したり、差異の体系を作ることができ、新しいモノづくりができるのです!

種(a)が存在する根拠としては、カテゴリー(A)の中での差異を見つけ、全体(A)からaを取り除いて、他の種と明確に分ける事がそれにあたります。

言ってみればそれはそうだ!!、となりそうな事ですか、このaの種の断定が起こる時に0→1の原点が現れるのです。そしてこの原点から出発して言葉の性質に注目すると面白い事が分かってくるのです!ここも後ほど解説していきます。

モードの体系という本は目に見えないモード(社会現象としての流行)の実態を構造言語学の観点から読み解き、モードも言葉と同じように記号的な体系をもつのでは?という視点が斬新でした。

とても面白い本なので読んで見ることをお勧めします!

次の章では、原型となるものを考察する為に構造言語学について解説していきます。言葉と衣服はコミュニケーションの手段として機能している点で非常に似ています。

人が意味を作り出すファッションにおいては、やはり重要となるポイントですので、分かりやすく噛み砕いていきます。

構造言語学の観点から

種の断定【(a/A−a)】の実態を図解で説明してみましょう。

…と、その前に比較言語学から発展した構造言語学についてざっくり把握する事でよりイメージが湧きます。

私たちは普段、言葉を使ってコミュニケーションをとり生活しています。人間と言葉には深いつながりがあり、音や意味をある言語の枠内でルール化しているからこそ違和感なく意思疎通ができるのです。

言語を研究することで人間の起源や普遍性(言語の共通祖語)を探究する学問が比較言語学なのですが、構造言語学はそこから派生して出来た学問になります。

言語をひとつの体系として捉えて、その体系に依存する社会や文化が作られていった背景にある隠れた構造を理解しようとする試みが構造言語学になります。

「近代言語学の父」といわれているスイスの言語哲学者、フェルディナン・ド・ソシュールが生み出した学問です。ロラン・バルトもソシュールの考えに影響を受けています。

まずは、新しい言葉の生成過程から見ていきます!

図5: 新しい言葉(種a)の生成過程

新しいことば(種a)が誕生する以前には、言語化されていない無秩序や自然の中から共通項で切り取られ種のクラスA(=類/カテゴリー)が出来上がります。これは体系的に配列する時の大きいグループにあたります。この切り取られ方を0次的恣意性】と呼ぶことにします。

これは原初の段階であり、今まで連綿と続く長い歴史の中で集落、部族、国家の社会全体が都合よく回るような仕組みとしての分類です。

※言葉の生成過程において段階的に理解しやすいように勝手に命名しています。ちなみに恣意性というのは論理的な必然性を不要とし、一方的で気まぐれな様子のことを指します。


類の中での差異により種の断定【(a/A−a)】が起こり、aとa以外を明確に分けていくと0→1の現象が現れます。ここの切り取られ方を【1次的恣意性】と呼びます。ここの段階でも、体系やシステムに依存しながら恣意的に決まります。

そして言語学で共時態通時態と呼ばれる2つの視点を持つと、この0→1現象をもう少し深く理解することができるのです!

共時態と通時態

図6: 共時的な視点
図7: 通時的な視点

①共時態=ある一時点における言語の構造を捉える視点のこと

②通時態=時間が進む中で言語がどのように変化してきたかを捉える視点

共時的な視点というのは言葉(a)が成り立つ制度やルール、前提条件などを理解する視点です。一方で通時的な視点は、言葉(a)の意味と使用範囲の変遷を理解する視点です。物凄く雑に言えば、その時々での点で見るか、時間軸での線を見るかの違いということです。

先ほど、種の断定の定義を述べた中で、「始まりの始まるところ=0という概念。ゼロというのは何も無いという意味ではないのです。【ある】という事を人間が認識する原点としてのゼロとして解釈しています。」と明記しました。

それはまさに、この共時態(図6)のことなのです!つまり、0→1のモノづくりをしたい場合、共時的な視点が必要になってくるということ。

現在の服作りでは1→1'の発展の仕方が主軸となっているなと薄々感じていましたが、この通時態という言葉を知ってよりそう思うようになりました。

また、ソシュール以前の言語学においても通時的な視点にばかり焦点が定められていましたが、言語はまず、現在の社会でどのように機能しているか(=共時的構造)を研究することが必要だとソシュールは説いたのです。

また、言語学の研究する中で体系と行為によって区別した方が良いともソシュールは言います。それが、ラングパロールになります。重要な言語の性質のひとつです。

ラングとパロール

図8: ラングとパロール

ラングとはある共同体の中で共有される言語体系のことを指します。言語の構造や規則など【=体系】と言い換え可能です。一方でパロールというのは、個々の話者が具体的に行う言語行為【=行為】のことを指します。

ソシュールは科学的に言語を調べる場合、まず共時的な視点を持って、ラングを研究対象とするべきと考えていました。個々の使用によって音や意味、概念が違えば導き出される結論も訳が分からなくなるからです。

社会のルールの中で共通理解を持ってコミュニケーションしているのでラングは社会的な性質を持ちます。反対にパロールは個人的な性質です。

しかし、現代のようにインターネットの普及で個人が使用した言葉が加速度的に広がる現象(2chのネットスラングやミーム化する○○構文など…)が起きて特定の場面で使われ、次第に規則や共通のルールができる事もあるのです。

これは個人的な《使用や行為》によって《体系や構造》が作られているのです。
つまり、ラングはぜったい絶対的な安定性を持たず、絶えず揺らぎのある存在と言えます!

それは何故か?と問う時にもうひとつの言語の性質を見ていくとそれが分かります!

能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)

図9: 能記と所記

●能記(シニフィアン)
→抽象的な音の連なりや記号の形のこと。
【=音や文字】

●所記(シニフィエ)
→頭の中でイメージされる意味内容や概念のこと。
【=物自体や概念】

言葉や文字は伝達の手段として人間が発明した言語記号(シーニュ)です。これはもとより周囲の環境や未分なものを単純化して共同体が上手く機能する為に生まれたものと言えます。

その言語記号(シーニュ)には能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)という2つの性質に分ける事ができます。

言語記号というのは、集合の中での比較(対立関係)によってのみ定義付けが行われます。

加えて、切り取られ肯定された新しいことばが持つ能記(音や文字)と所記(物自体や概念)には明確な結びつきは※無く、恣意的であると言えるのです。これを【2次的恣意性】と呼びます。

※一部、擬音語などに適応しないものもあり、そういった結びつきがあるものは言語学で有縁的であると言われます。

図10: 能記と所記の恣意性

まとめ─そして、実践編へ!

長くなってきたので一度おさらいをします。

現状の服作りでは、公共性のあるデザインが元ネタ《原型》として使われてしまっている為、洋服がありふれた中で同じような服を再生産することに疑問がありました。そしてそれ自体が洋服の可能性を自らに狭めているのではないか?というところからnoteを書き始めました。

そして元ネタの無い0→1のモノづくりをする為に、考え方のヒントとしてロラン・バルトの種の断定【(a/A−a)】という概念を用いてみました。
次にこの概念をわかりやすく理解するには、ソシュールが提唱した言語構造学という学問も把握する必要があったので、言語学用語を見ていきました。

その中で新しい言葉が生まれるときに起こりうる現象に注目して、0→1の解像度を上げていきました。この現象で見えてくる恣意性を3つの段階に分けて新しい言葉の生成過程を説明してみました。

それが👇です。
0次的恣意性 ⇒未分なものからカテゴリー(類)が作られる時の恣意性

1次的恣意性 ⇒0→1の段階で、恣意的に切り取り分ける《種の断定》

2次的恣意性 ⇒言語の性質において能記と所記の恣意的なつながり


これは、、、つまるところ、、、

この3つの恣意性から私たちが理解している物事には環境や社会に依存した記号(シニフィアンとシニフィエ)を公理の前提(物の捉え方のレンズ)として置いてしまっているのです!!

つまり、制度は人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化の変化(レンズの取替え)で別の新しい何かへと変容する可能性を秘めている。唯一の真理なんてどこにも無いのだと構造主義は考えるのです!
(ヒェッ~!!!なんとも面白い!)

「本質は〜である」などと言う人も、周縁にある無意識の前提を約束した上での理論展開になってしまう為、本質は意味もないし、【ある】という事だけを人間の認識の仕組みの上で理解して勝手に結びつけているという事にすぎないのです。

ものすごく言語は曖昧で揺らぎのあるものだとは思いませんか?
本質という言葉も無意味であるし、思考や捉え方が変わると制度や構造の変容が無数にある。

もしかすると衣服(ファッション)もこのように曖昧で移り変わるもので絶対的な正解などないのだから、元ネタ《原型》を頼りにモノづくりがされてしまうのかも知れません。

しかし、だからこそ自由に
モノづくりをすることができるのです!

この1次的恣意性(0→1の段階で、恣意的に切り取り分ける種の断定)を理解し、共時的な視点を持つことで基準や制度を脱構築していく。

そうして多くのレンズを状況ごとに使い分けていくことが新しい《原型》を作るうえで重要になってくるのだとパタンナー島村は考えています。

そして物の捉え方のレンズを無数に持つためには、現状の願望や欲求に素直に従ってみるということが大切かもしれません。この願望や欲求というのは過去の経験や状況によって形成されます。

ここに従わないと、過去に作り上げられた体系や構造(=文化)に包摂されてしまい、自由であるのにも関わらず、なぜか不自由を感じながら過去の延長線上によって未来を見てしまうのだと思います。

文化というものは非常に厄介なもので、時間が経ち文化が成熟する(=制度として合理化が進みきった状態)と必ず硬直化が起きて、意志を堰き止めてしまう原因になる場合もあります。

頭で合理化することばかり考えると、過去がこうだったから〜、一般的には◯◯だからこうした方が良いなどの事象が真っ先に浮かんでくるのです。

”当たり前”=”文化の収斂”というのは思考の単純化と安心をもたらす反面、主体性よりも社会性に重きが置かれます。そうなってくると全体の功利を配慮して余計に身動きが取れなくなってくる場合がある。要は言語化による弊害でもあります。

だから言語化はしすぎると危険ですよということではなく、生存と繁栄の為に人間がただただ恣意的な意味付けを連綿と続く歴史の中で都度行っているに過ぎないという事です。自分たちが持っているレンズというのは環境や状況、関係性によっていくらでも変容する。

そこに良いも悪いも、正解も不正解もない。
つまり価値基準すら本来はない。

だからこそ、物事の捉え方や尺度はいくらでも変える(決める)ことは出来るのです。自分の中に一本太い軸足を持ちながら片足浮かせて、いつでも移動できる足場の軽さを持っておく。これが文化や制度に対する抵抗なのです。

未来は過去からの延長線上(そもそも線やレールすらない、安心したいから勝手に想像してレールを見ているだけ)にはありません。
未来を決めてどう作っていくか考える事。

仮でも良いから、こういう《文化》や《社会》にしたいという強い願望を持つ事。

その為の毎日の小さな決断の連続がほんの先の未来を形作ると考えています。決めた事を形にしていく。決める事で新たな視点が次々と生まれてくるのです。

それは決めた事を作りたい理想の形に変換するMYOGと似ています。
MYOGは人生の縮尺図。
小さな人生そのものなのです。

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こうして0→1を生み出す方法論をまとめてみましたが、次は実践編として具体的に自分が今まで述べた考え方を元にしながら、MYOGで新しい原型を巡る旅をしていこうと決めました!

その為にInstagramを開設して、アウトドアのブランドやファブリックの歴史をまとめたのです。

通時的な視点でアウトドアの変容を知ると共に、共時的な視点で時代ごとの名作が生まれた時の状況などを調べることで、MYOGで自分のしたいモノづくりを深堀しつつ、発信を見て頂いている方の有益な情報となれば良いなと思いインスタの投稿をしていきました。

現在MYOGでは10アイテム程作ろうと決めています。その中でどのようにして考えて作ったのか、レシピ公開やプレゼント企画もしていきます!その後も発信のやり方を変えながら、色々と試していくのでよかったら、覗いてみて下さい~!👇

P.S. このnoteは基本的に自分が哲学本を読んだり、ものづくりをしていく中で面白いと思った内容を4000文字〜10000文字くらいの文章量にまとめています!
そして全て無料で公開しています!
ものづくりをしている方にとって何か学びになればし幸いです。シェアハピ!!!✨

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