【ヨルシカってなに?】なんで若者が熱狂してるの?「読む音楽」の無常と美意識について

孫と年末にあっても何を話せばいいかわからない……

いつからでしょうか、新しい音楽を自分から探さなくなったのは。
レコードからCD、そして配信へと媒体が変わっても、結局耳を傾けているの「最近の音楽は騒がしいだけで、情緒がない」と、心のどこかで線を引いてしまっている自分がいました。

どんどん若い人との心の距離ができていってしまう……そう思うことってありませんか?

今日は、若者たちの間で人気の「ヨルシカ」について取り上げましょう! あんまり聞いてなくても、孫たちとと話題を共有し、有意義な時間にするヒンチをご紹介したいと思います!

顔を持たない「語り部」たち

ヨルシカは、コンポーザー(作曲家)のn-buna(ナブナ)と、ボーカル(歌い手)のsuis(スイ) による二人組です。彼らの特異な点は、徹底してメディアに「顔を出さない」こと。

現代において、ビジュアルやタレント性は大きな武器です。しかし、彼らはそれを放棄しました。「作り手の顔が見えると、作品に先入観が混じる。音楽そのものを物語として楽しんでほしい」という美学があるからです。

これは、私たちがかつてラジオドラマに耳を傾け、声の抑揚だけで情景を無限に広げていたあの感覚に近いかもしれません。演者のスキャンダルや容姿に惑わされず、純粋に作品世界に没入する。そのストイックな姿勢は、今の時代には珍しいほど職人気質で、どこか好感が持てます。

n-buna(ナブナ)が紡ぐ詞は、オスカー・ワイルドや正岡子規、萩原朔太郎といった文豪たちの影響を色濃く受けているといわれています。ロックバンドというよりは「純文学の朗読」を聞いているような錯覚に陥ります。そして、suisの変幻自在な歌声が、その物語に色彩を与えていきます。

なぜ、心に響くのか 〜「夏」と「不在」の美学〜

彼らの音楽に通底するのは、日本人が古来より大切にしてきた「もののあわれ」 です。

ヨルシカの楽曲の多くは、「夏」を舞台にしています。しかし、それは若さが弾けるような眩しい夏ではありません。「もう戻らない夏」「過ぎ去った時間」「亡き人への追憶」として描かれる夏です。

彼らのアルバムは、単なる曲の寄せ集めではなく、全体を通して一つの小説のようになっています。「旅をする青年と、もういないパートナー」「音楽を辞めた若者の葛藤」。そうした物語の行間を、リスナーは想像力で補完しながら聴き進めます。

美しいものは、いつか必ず散る。
かけがえのない時間は、永遠には続かない。

この「無常観」は、むしろ若者よりも、多くの別れや季節の移ろいを見送ってきた私たちの方が、痛いほど理解できるテーマではないでしょうか。彼らが描く「喪失」は、決して暗いものではなく、悲しみさえも美しく昇華しようとする祈りのように響きます。

琴線に触れる、珠玉の三曲

もし、現代の音楽に食わず嫌いをしている方がいれば、まずはこの3曲だけでも耳を傾けてみてください。そこにある言葉の選び方に、きっとハッとさせられるはずです。

1. 『春泥棒(はるどろぼう)』 1.2億回再生

一見、桜の美しさを歌った春の曲ですが、その裏には深い死生観が横たわっています。

【楽曲の解釈】
タイトルにある「春泥棒」とは、桜を散らす風のこと。転じて、時間を奪い去るもの、すなわち「寿命」や「死」のメタファーとして機能しています。病床から桜を見つめる視点で描かれており、散りゆく花に自らの残された時間を重ね合わせる、美しくも切ない楽曲です。梶井基次郎の『桜の樹の下には』に通じるような、桜への畏怖と美意識を感じさせます。

【心に残る一節】

「あともう少しだけ
もう数えられるだけ
あと花二つだけ
もう花一つだけ」

【随想】
この楽曲『春泥棒』において、「桜(花)」は単なる植物ではなく、**「大切な人の残された命(時間)」のメタファー(暗喩)**として描かれています。それを踏まえると、この一節には以下の深い悲しみと美しさが込められています。

  1. 命のカウントダウン
    それまでは「春吹雪」「花散らせ」と情景として描かれていた花が、ここでは明確に「あと二つ」「もう一つ」 と数えられる対象に変わります。これは、漠然としていた「別れの予感」が、目前に迫った「最期の瞬間」へと変わっていく様を表現しており、聴く人の胸を締め付けます。

  2. 祈りと無情な現実
    「あともう少しだけ」という言葉には、「まだ散らないでほしい(まだ生きていてほしい)」という切実な祈りが込められています。しかし、その祈りも虚しく、数は無情に減っていきます。

  3. 静寂への移行
    「もう花一つだけ」の直後、歌詞は「ただ葉が残るだけ」と続き、「春仕舞い(=死、別れ)」を迎えます。散りゆく桜の美しさと、大切な人の命が消えゆく瞬間の儚さを重ね合わせた、あまりにも美しく残酷なクライマックスです。

2. 『晴る(はる)』 7417万 回再生

アニメ「葬送のフリーレン」の主題歌としても知られていますが、単なるタイアップ曲の枠を超えた、重厚な人間ドラマが内包されています。

【楽曲の解釈】
ミュージックビデオなどの描写から読み取れるのは、「亡くなった父(あるいは師)」と、遺された少年、そしてその間にある「記憶」の物語です。今はもういない人と、心の中で対話をする。喪失を受け入れ、それでも晴れやかに生きていこうとする強さが、雨上がりの空のようなサウンドに乗せて歌われます。

【心に残る一節】

「降り頻る雨でさえ 雲の上では晴る」

【随想】
この短いフレーズには、悲しみ(雨)の渦中にいるときには気づきにくい、人生と救いが込められています。

1. 悲しみの捉え方を変える視点
私たちは辛いこと(雨)があると、世界中が暗闇に覆われたように感じてしまいます。しかし、物理的に雲の上へ行けば常に太陽が輝いているように、「どんなに激しい悲しみ(雨)の裏側にも、変わらない希望(晴る)は常に存在している」**という事実を気づかせてくれます。

2. 究極の慰め
「やまない雨はない」という言葉よりもさらに一歩踏み込み、「雨が降っている今この瞬間でさえ、その上空は晴れている」 と説いています。
これは、今泣いているその感情や状況を否定せず、同時に「大丈夫、世界は本来明るいものだ」と俯瞰的な視点から包み込んでくれる、非常に優しく力強いメッセージです。

この一節は、アニメ『葬送のフリーレン』の物語ともリンクし、別れの悲しみを抱えながらも、その先にある美しい思い出や未来を見つめる姿勢を象徴しています。。

3. 『ただ君に晴れ(ただきみにはれ)』 2.6億回再生

軽快なリズムと手拍子が心地よい、彼らの代表曲です。しかし、明るい曲調の中に、大人が抱える「割り切れなさ」が潜んでいます。

【楽曲の解釈】
大人になった視点から、戻れない青春時代を回想する歌です。追憶の中の「君」は、もう手の届かない場所にいる。タイトルの「ただ君に晴れ」は、自分はどうなっても構わない、せめて君の人生だけは晴れやかであってくれ、という祈りにも似た諦念が滲みます。

【心に残る一節】

「夜に蓋をしていた。……だけ。」

【随想】
この「……だけ。」という結びに、どれほどの感情が詰まっていることでしょう。
辛いことや直視したくない感情(=夜)に、とりあえず蓋をしてやり過ごしてきた日々。私たちも長い人生の中で、そうやっていくつもの夜に蓋をして、平気な顔で大人を演じてきたのではないでしょうか。
若者たちの歌でありながら、ここには過去を振り返る大人の「後悔」と「愛慕」が、痛いほどリアルに刻まれています。

人生の夕暮れに響く「有限」の賛歌

ヨルシカの音楽が執拗なまでに描き続けるもの。それは「喪失」であり、「二度と戻らない時間」であり、いつか必ず終わる「命の期限」です。

しかし、彼らのメッセージは決して悲観的なものではありません。
彼らは、散りゆく桜や、暮れていく夏の日差しを通して、こう語りかけているように思えます。
「終わりがあるからこそ、この瞬間は美しく、人生は愛おしいのだ」と。

私たち人間は、老若を問わず、等しく時間の流れの中にいます。
過ぎ去った日々を記憶という宝石箱にしまい込み、やがて訪れる静寂に向かって歩を進める。ヨルシカの楽曲は、その避けられない「有限性」を嘆くのではなく、静かに肯定し、美しく彩ってくれます。

「花は散るから美しい。人は去るから、想い出は永遠になる」

彼らが紡ぐ物語は、人生の多くの夏を見送ってきた今の私たちだからこそ、深く共鳴できる。
流行や時代といった枠組みを超え、ただ純粋に、心に沁み入る文学として。
残りの人生を豊かに彩る一冊の詩集を開くように、彼らの音楽を味わってみてはいかがでしょうか。

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