音楽で友達が増えていく話②

眠れない夜なので、続けて書くことにする。

ひとつ前の記事では、主に幼少期の話をした。
今回は小学校に上がってからの音楽の話をしようと思う。

音楽番組は食い入るように見ていたので、一応ある程度の流行りの曲は押さえていたはずだったのだが、唯一通じない曲があった。
私のクラスはなぜか嬉しいことがあると、力こぶポーズを両手に作り、がに股でやったやったと左右に揺れるのだ。

すぐ覚えられるフレーズは頭に残ったが、家に帰るとそんなに嬉しいこともないので、やったやったは自発的には出なかった。

ある時クラスメイトが、やったやったの後に歌があることを教えてくれた。少し衝撃的だったのだが、歌ってもらうことにした。

「葉っぱ1枚あればいい~」と、子供ながらにわざとらしいビブラートを効かせながら歌うその姿は、なんとも逞しく見えた。

気になる。どうしても。やったやったの正体が。

その日はたまたま家に滅多に帰ってこない父が三畳一間でこそこそパソコンをいじっていた。
父と話したことがバレると母の機嫌がいささか悪くなるのだが、やったやったの正体の方が気になってしょうがなかった。好奇心には抗えない。たったの7歳である。
父はすぐVHSをゴソゴソ取り出しテレビをつけた。
そこに写ったのは葉っぱ1枚を股間にはっつけ、腰に手を当て微笑んで歌う男たちだったのだ。

大人になった今は理解できるが、多分母は私が真似するだろうと思って視聴することを避けたのだろう。

当時の私は土手に落ちてるエロ本とか、椅子で寝ている方のスポーツ新聞の後ろの方みたいな、なんとも如何わしいものを見た気分であったが、歌詞は聞いている限り下ネタ系ではなかったし
私が見たことによって怒られるのは父だろうと責任転嫁する気満々だったので、母が帰ってくるまでの三時間、葉っぱ1枚の男たちを見続けた。
お陰さまで次の日から学童保育での帰りの挨拶はバイキューになったし、やったやったの正体が分かったことにより、クラスメイトと馴染むことも出来た。

その正体がこちらである。



葉っぱ隊で「YATTA!」いやそのまんまじゃん。

笑う犬の冒険を見たのは、この父との会話の日のみだったが、今でも私の記憶に強く焼き付いている。

そして今もなお、元気がない時に聞くと、この単純な歌詞が私を元気付けてくれるのだ。

小学生にもなると、流行り廃りのスピードは早い。
葉っぱ隊が終われば、次はORANGE RANGEだ。
体育館のステージに立てば、
ステージ爆発3秒前!3!2!1!キリキリマイ!と勢い良く飛び下りて叱られたものだ。
パンチラパンパン♡何て言った日にはなんとも言えない空気感が教室中に漂った。
大人の無言の圧力は怖いものだと学んだのもこの頃である。

私は有り難いことに習い事をさせてもらっていた。
バトントワリングというものだ。
一応ダンスなので、もちろん音楽に合わせて踊るのだが、ある日町内会のパレードと舞台のオープニングセレモニーに私たちのバトンチームが選ばれてしまった。
時間的に楽曲をひとつ増やさないといけなくなり、渋谷のマンバ出身のコーチが提案したのは
ゴリエのMickeyだった。
水10皆知ってるよね~?と当たり前のように話すコーチについていけなかった。やったやった以来、二度目の焦りである。
21時就寝の私が知るわけないのだ。

知っていたのは上級生とか年の離れた兄弟がいる同学年の子達だったので、別に知らなくても良かったのだが、「知らない方」に分類されたくなかった私は水曜22時に初めて家出を企てたのだが、失敗に終わる。
どうしてもワンナイでMickeyが見たかったのだが、良く聞けば毎週都合良くやってくれるわけではないそうだ。私は安心してゴリエのMickeyに執着することをやめることが出来た。
そしてなぜか家出を企てたことがチーム内の噂で広まり、そんなに情熱があるならと訳が分からない理由でセンターに抜擢されたのもいい思い出である。得たものはアクロバットのスキルだけであった。



そうこうしているうちに、ヒットチャートは消費と生産を繰り返し、唯一半年もったものと言えば
細木数子の「あなた死ぬわよ」と
ペ・ヨンジュンの「あなたのことがチュキだから」
であろうか。
小学生特有のデュクシと同じくらいの頻度で使っていた気がする。迷惑すぎる小学生である。

この頃私は母が極秘で引っ越しを進めていることを知っていた。そう遠くないうちに転校してしまうのだろうと怖かった。
予想は見事に的中して、お別れ会もしないまま私は生まれた町を去ることになった。
冬休みが明けた頃、元のクラスメイトから手紙が届いた。
8歳そこらの一緒にバカやったガキが、元気ですか?から始まって中身がつまった手紙を書けるはずがない。
一番記憶に残っているものは隣の席の男の子の手紙で
「そちらの町にはどんな音楽が流行っていますか?こちらはORANGE RANGEです」と。
どちらかといえばド田舎から田舎に越したので、こちらの方が都会なのだが。

手紙の最後には以心電信の歌詞が書いてあり、嬉しくなったことを覚えている。
だっていつも僕らは繋がっているんだ、と。

20年たった今、当時のクラスメイトとは全員疎遠です。

こちらも都合良く、エモい思い出にはならなかったのである。

続きはまた今度。



https://youtu.be/cVnDeVVoU8k?si=fhpjhDcZp1f2bNvV









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