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【生きづらさからの便り】#16社会的共通資本としての文化施設

国立の博物館と美術館の収入を巡る数値目標を文部科学省が初めて設定しました。東京国立博物館や国立西洋美術館などを運営する3つの独立行政法人が、本年度から2030年度までに取り組む中期目標として、展示事業にかかる費用に対して入館料などの自己収入の割合を、現在の50%台から2030年度までに65%以上、さらには将来的には100%にまで引き上げるということだそうです。自己収入の割合が40%を下回る施設については再編の対象にするということも宣言されており(国立科学博物館を除く)、将来の閉館もあり得る事態となっています。文化施設の採算を無視することはできませんし、収益性の健全性を保ち、持続可能な運営が求められることは事実です。しかし、自己収入の割合を65%台へ、さらには、将来的には100%を目指すというのは、本来、営利目的ではない文化施設の趣旨を否定するものであり、数値目標としてはあまりにも高すぎるものです。まるで「儲からない文化施設は必要ない」と国が宣言しているようです。
 博物館や美術館は文化活動を営む施設です。文化活動を経済活動と同一視し、市場原理である「収益性」という尺度で測ることは極めて不適切であるという他ありません。しかし、国家が管理すればいいのかといえばそういうわけでもないということを指摘しておく必要があります。もちろん、国家の支援が政策面、財政面などで必要であることは言うまでもありません。しかし、国家が文化を管理するということは、権力によって文化活動が取捨選択される可能性があり、まさに「隷属への道」でもあります。
 筆者は文化施設や文化活動の営みを考える際、宇沢弘文先生が提唱した「社会的共通資本」の概念でこれを捉えることが重要であると考えています。社会的共通資本の定義について、宇沢先生は『社会的共通資本』のなかで次のように述べています。少し長いですが、引用することにします。「社会的共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。・・・(略)・・・社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。」なお、宇沢先生は、その管理については職業的専門家がフィデュシュアリーの原則に基づき管理することにも言及していますが、ここについては議論の余地があるというのが筆者の見解です。しかし、一旦置いておきましょう。
 人間は「生産」と「交換」を通じて、連帯する類的存在です。これは、マルクスらが明らかにした概念でありますが、マルクスのいう「生産」や「交換」というのは、商品生産・交換には解消できない、含みのある概念であると考えるのが自然です。『賃労働と資本』においては「活動を交換し合う」、『ドイツ・イデオロギー』においては「相互に作り合う」と論じられており、人間と人間の接触が何かを「生産」するということの直接の契機となるはずです。そして、この「生産」と「交換」には“文化”というものも当然に含まれるはずだと考えるべきではないでしょうか。文化とは、人間にとっての創造性を発揮し、自己実現を図るものであるはずです。それが商品に矮小化されることが「市場原理」に他なりません。
 そうした文化を生産・交換する場こそが、市場ではない、文化施設なのです。文化施設とは、文化を創造・継承・発信する場であると同時に、何重にも織りなす社会的な意義を持つものです。先ほども申し上げた通り、文化を「生産」し「交換」する直接的な契機は、人間と人間の接触にあります。その人間と人間の接触の機会を提供することができるのは、文化施設に他なりません。昨今では、社会的孤立の問題も深刻化しています。国も孤独・孤立対策推進法を制定してその対策に乗り出しています。令和5年の調査では、約4割〜5割の人が孤独を感じているという調査もあります。社会的孤立とは「日常生活若しくは社会生活において孤独を覚えることにより、又は社会から孤立していることにより心身に有害な影響を受けている状態」と定義されており、社会参加の権利が阻まれている状態でもあります。法律では「社会のあらゆる分野」で対策を進めるとしています。文化や芸術を通じた他世代間の交流、地域コミュニティのつながりの創出を実現できる場所としても文化施設は重要な意義を持ちます。さらに都市という枠組みで捉えた時に、都市とは、生計を立てるために必要な所得を得る場であると同時に、人々が互いに密接な関係を持つことによって、文化の創造と維持を図っていく場でもあります。都市自体がまた、社会的共通資本であると考えられるわけですが、社会的共通資本としての都市においては、人間と人間の接触の場としての文化施設が必要不可欠です。人間が人間らしく生きるために「文化」は必要不可欠な「酸素」と同じであり、この「酸素」を収益性のみを追求する市場原理で測ることはあり得ません。文化芸術立国を掲げ、孤独孤立対策においても「社会のあらゆる分野」で対策を進めるという方針を掲げている国が、自らの方向性を否定するかのような政策である、この文化施設への数値目標は、あり得ないものであり、撤回を強く求めたいものであります。

《参考文献》
①東京新聞「〈社説〉文化施設と収益 儲からねば不要なのか」2026年4月20日07時36分掲載記事
https://www.tokyo-np.co.jp/article/482978
②宇沢弘文(2000年)『社会的共通資本』岩波書店
③マルクス著.服部文男訳(1976年)『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』新日本文庫
④マルクス・エンゲルス著.服部文男訳.解説(1996年)『[新訳]ドイツ・イデオロギー』新日本出版社
⑤株式会社NTTデータ経営研究所「令和7年度地域における孤独・孤立対策に関するNPO等の取組モデル調査 公募のお知らせ」2025年4月22日
https://www.nttdata-strategy.com/newsrelease/news/kodoku_koritsu_koubo/
⑥内閣府孤独・孤立対策推進室「孤独・孤立対策について」令和6年9月30日
https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/001309353.pdf
⑦内閣官房HP「孤独・孤立対策推進法」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/suisinhou/suisinhou.html

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