見出し画像

ゴリラの筆圧、転がる鉛筆

コバジョとは小学校3年生の時に同じクラスになった。

クラスの中で絵が上手い子は何人かいるだろう。
それが彼女だった。ただ、うまいのレベルが違った。
幽遊白書やセーラームーンの下手くそな模写を右掌の膨らんだ部分を真っ黒にしながら描いていた自分とは違い、彼女はすでにある程度自分の絵柄を確立し、オリジナル漫画まで描いていた。
ネットはおろかケータイやピッチもない時代に小学生でよくあれだけ描けたなぁと今でも感心する。
温和で嫌な言葉を使わない彼女は人当たりもよかった。
今もそうだが彼女を慕う友達は多かった。

コバジョはファイナルファンタジーが好きで
デジモンアドベンチャーが好きで中学に上がる頃には二次創作もよく描いていた。
彼女は四六時中漫画を描いていた。
私も描くには描いていたが絵の勉強や練習もせず、オチの弱いドラクエ4コマ漫画を自由帳に描くぐらいだった。
その間にも彼女の漫画はどんどん仕上がる、そのぐらいのスピードで描くので、中高になると筆の速さが、一緒に趣味で描いている絵描き好き達とは比べ物にならないぐらい早かった。

幼い頃コバジョは私のことを名前で呼んでくれていたがなぜか途中から「キミ」と呼ぶようになった。
「キミは本当に面白いなぁ」
「キミの描く〇〇はスキだなぁ〜」
これは大人になってもずっとそうだった。
私は「コバさん」と呼んでいたがオタクに目覚め始めた頃、当時のオタクカルチャーからか「コバ嬢」と呼び始め、その後ずっと「コバジョ」と呼んでいる。

コバジョと私はたまたま同じ高校へ行ったが、彼女は特進クラス。
私はギリギリの一般クラスだった。彼女は漫画を描きながらもちゃんと勉強をしていた。
私は授業中にシャーマンキングのコミックスを隠れて読んでいた。
でも全然隠れられてなくて、怖いと有名な歴史の先生にでっかい三角定規でバシっとされた。


コバジョは昔から筆圧が非常に弱かった。「鉛筆が転がるぐらい筆圧弱いんだよね」と言っていた。それに対し、鉛筆の跡がノートにくっきりつくほどに私の筆圧と鉛筆を握る力はゴリラ並に強かった。
筆圧も絵のスピードや上手い下手に関係あるんじゃないか?とまで思えた。
彼女にシャーペンを握らせると何を描いているかわからないぐらい薄い下絵ができる。一方私はシャーペンの芯を折りすぎて果てにはペンの先の細い銀色の軸まで曲げてしまい何度もシャーペンをお陀仏にした。
あまりの対比っぷりに二人でよく笑っていた。

その頃お互いにポップンミュージックという音ゲーにどハマりし、毎日放課後、学校近くのSATYのゲーセンに通い、お小遣いをそこに投じた。
今までも友達だったが、ポップンをきっかけに更にコバジョとの距離が縮まった。
あの譜面がムズい、とかこのキャラが好き、などと盛り上がり最高に楽しかった。
コバジョはポップンもそこそこ上手かった。
一緒にポップンの同人誌を合作して、京都みやこめっせやパルスプラザという小さい会場で行われる同人誌即売会で販売などもした。
周りが服だメイクだとお小遣いやバイト代を使う中、私たちは同人誌即売会の出店料や原稿用紙にコピック、トーン(あとポップンミュージック)などに使っていた。
また、自分でHPを作るのが流行っていた時代だったので周りの絵描きはみんな自分のイラストを自作HPにUPしてはBBS内で身内とキャッキャしていた。


彼女はスクウェア(今で言うスクウェア•エニックス)に就職するのが夢だった。

修学旅行、京都のド田舎から初めて東京へ行った時、班行動で彼女のリクエストでスクウェア本社を見に行く、というプランが組み込まれていたくらい。
他の班は大体東京タワーやTVで見たことのある竹下通りなどで買い物をしていた。

コバジョは京都のゲーム業界の専門学校へ行った。

結局彼女はスクウェアには入れなかったようで違う会社に務めつつ、創作活動を続けた。pixivやクリスタに漫画をアップしてはランキングに入ったり、と彼女の漫画を目にする人も増えていった。

大人になり、東京のコミケに遠征もいったが「一次創作漫画はやはり売れないな」といいながらもオリジナルの漫画をシリーズで何冊も描いては発刊していた。
私はファンタジーとは無縁の絵をずっと描いているが、彼女は前世中世の人だったのかな?と思うほど宮殿やファンタジー系の描写がうまかった。

同時期コスプレをする人が世の中にたくさん出てきた。それまでは「ウィッグ被るとかちょっとヤバイ」と思われるぐらいコスプレはそんなに主流ではなく、やっている人口も今ほど多くなかった。でも好きなキャラの服が着れるのだ。とても楽しそうだ。ということで自分達もあれよあれよとコスプレ界隈へ足を突っ込んだ。当時は衣装なども売っておらずみんな手作りで楽しんでいた。今は衣装もAmazonや専門ショップなどで買えるからいい時代だなととても思う。自分も例に漏れず服を見よう見まねで作った。その延長で私は服飾の道へ進み、のちにアパレルデザイナーとして15年勤務することになる。

コバジョにはお姉さんがいる。お姉さんはコスプレイヤーだった。妖艶な雰囲気で美しく、一緒にコスプレをしてもらったこともある。いわゆる「合わせ」というやつだ。
太秦映画村でお姉さんやコバジョ、他の友達たちとBLEACHのコスプレをして写真をバンバン撮りまくったこともあった。

海外の観光客がWAOー!といって通りすがりにバシャバシャ撮られたりもしていた。

太秦映画村に観光に来たら、アニメの格好をした女たちが集まって撮影会。ほんとにワォーである。

私が地元を離れたというのもあり、20代後半ごろから彼女とは年に1回会えたらいいぐらいの感じになった。
このころはすでにネットが普及していたのでSNSや漫画投稿サイトなどで彼女の情報はたまにチェックしていた一方、私は忙しさを理由に絵を描かなくなってしまった。いつまで経っても絵が上手くならないのもあった。絵の勉強というのが本当に嫌いだったのだ。デッサンやクロッキーが楽しくなく基礎を回避してきたタイプである。20年も手癖だけで絵を描いてきてしまった。愚かとも思うがそういう性格なので仕方がない。ゴリラの手から転がった鉛筆を 拾い上げることはなかった。

彼女はいつでも描いていた。

仕事をしながら、幼い頃に夢見た「やっぱり漫画家になりたい」という気持ちでファンタジー漫画を描き続けていた。コバジョのおじさんが亡くなった時、葬儀の蝋燭の番をしながらも描いていた。
季刊誌に読み切りが載ったよ!と聞けば地元のオタク仲間全員が 踊り出す勢いで各々本屋に雑誌を買いに行った。
決してメジャーな雑誌ではないが「すごい。身内から漫画家が出た…」と感動し、彼女のページだけ何度も読んだ。


同じ頃、コバジョに難病が見つかったらしい。
年々彼女は声が枯れ もともと細い体はさらに細く、身長も縮んだのではないかと思わせるほど華奢になっていった。
難病の詳細も聞くに聞けず地元に残った近しい仲間だけが知っている感じだった。初め、病気だと知らず「どしたんその声?」と彼女のカスカスの声に対してノー天気な感想を言っていた。「なんかコバジョずっと風邪引いてるな」と思っていたのだ。
私の結婚式にも来てくれたがおそらく体がしんどかったかもしれない。それでも披露宴でドラクエやFFの音楽を流す演出を楽しそうに喜んでくれた。

彼女はそれでも描いていた。
毎年お正月には描き下ろしのオリジナルイラストを印刷した年賀状に 一言添えて送ってくれていた。ずっと上手いし どんどん上手くなるな〜と思いつつ自分は生まれた我が子の写真を印刷した年賀状に一言添えて返していた。

30代半ばのある年、古民家をレンタルし、地元のオタク仲間とあつまってハロウィンパーティならぬコスプレパーティをおこなった。

コバジョは容体が良くなく「一瞬だけ顔を出す」と連絡をもらっていた。
彼女は親の車にのり古民家の玄関先に来てくれ、みんなとそれぞれたあいない話してすぐに帰った。それが彼女との最後だった。

ちなみにその時、私は何を履き違えたかゲゲゲの鬼太郎のコスプレをしていた。彼女がこの世で最後に見た私の姿が、黄色と黒のちゃんちゃんこを着てゲタをはいた姿だったかと思うと、今でもちょっと申し訳ない
頭に乗せていたフェルト細工で作った親父は何を思っていただろうか。

その翌年の年賀状には描き下ろしのオリジナルのイラストが印刷されたものに「今年の目標は生きる!」と一言書かれていた。

わたしはとくに気にも止めず、病気なんだよな、頑張るんやで、ぐらいにしか思ってなかった。

その数ヶ月後、訃報が入った。


家族葬との事だったが地元のオタク仲間がコバジョのご家族に頼み込んで、すぐに行ける数人だけ見送りに参加させてもらった。

今思えば迷惑な話だったかもしれない。

でも私は葬儀に参加させて頂けて、最後を送れて本当によかった。

葬儀の最後のお別れの時、
コバジョの妖艶なお姉さんは彼女の右手に鉛筆を握らせた。
お絵描き仲間の中で誰よりもペンを握り続けた彼女は最後の最後までペンを握っていた。

棺桶の中にお花をみんなで入れる時静かに眠るコバジョの顔をみた。
最後に見た彼女は更に痩せて、とても小さく感じた。しかし昔から持っている芯の強さはそのままのように思えた。
それまで我慢していたものが一気に込み上げ、小さく嗚咽を漏らしてしまった。
棺桶の蓋は閉じられた。

自分のおばあちゃんやおじいちゃんの葬儀よりも泣いた。
それほど彼女は私の人生に影響を与えたのだろう。

私は出産をきっかけに転がった鉛筆を拾い上げた。
現在、ありがたいことに絵の仕事をしている私は、ふとした瞬間に彼女の事が脳を掠める。
鉛筆を落とした時やポップンミュージックのアーケードを見た時、ファイナルファンタジーの続編が出た時、デジモンがリメイクされた時は「コバジョ、続きが出たよ〜」と心の中で語りかけている。

私が鬼太郎だった時、もう少し 今やってる事やこれからの事を話しておけばよかったなぁと少し思う。

今日も変わらず私はゴリラのような筆圧でガリガリとアップルペンシルの先を削りながら仕事をしている。
キミも最後に握った鉛筆をもう落とすんじゃないよ。


創作大賞応募作品


いいなと思ったら応援しよう!

OYONEE./およにぃ 私の活動を応援頂けると嬉しいです☺️ いただいたチップはイベント出展費用やグッズ制作に使用させて頂きます♩