あえて言う。これは“リベラル”を名乗る人たちへの問いだ
こう思う人もいるだろう。
「それは一部の問題だ」
「自分たちは関係ない」
その感覚こそが、問題を繰り返す。
あえて言う。
これは、いわゆる“リベラル”と呼ばれる人たちに向けた話だ。
■ 「正しさ」を掲げる側ほど、自分を疑わなくなる
あなたたちはこう言う。
「弱者を守る」
「声なき声に寄り添う」
その言葉自体は、間違っていない。
だが、その“正しさ”を強く信じるほど、
自分たちの行動を疑わなくなる。
・説明は十分だったのか
・理解は本当にあったのか
・リスクは共有されていたのか
こうした当たり前の確認が、抜け落ちる。
なぜか。
「自分たちは正しい側にいる」という前提があるからだ。
■ その“善意”が、人を巻き込んでいないか
気づいてほしい。
あなたたちの周りには、
すべてを理解した上で動いている人だけがいるわけではない。
・雰囲気で参加する人
・信頼して任せる保護者
・意味を深く考えないまま関わる若者
その一人一人が、
本当に状況を理解していたと言い切れるのか。
もし違うなら——
それは「共に行動した」ではなく、
“巻き込んだ”に近い。
■ 正義は、ときに暴力になる
これは厳しい言い方になるが、あえて言う。
正しさは、使い方を誤れば“暴力”になる。
・疑問を持てない空気
・逆らえない雰囲気
・流れに従うしかない状況
それらはすべて、
外から見えにくい“圧力”だ。
そしてその圧力は、
往々にして「善意」の形をしている。
■ 見たくない現実から、目を逸らすな
今回のような出来事が起きたとき、
多くの人がこう考える。
「それは例外だ」
「本質とは関係ない」
だが、本当にそうか。
その構造を見ないままにすれば、
同じことは繰り返される。
■ 最後に
これは思想の話ではない。
誰が正しいかの話でもない。
ただ一つ、問いたい。
あなたたちの“正しさ”は、
本当に誰も傷つけていないと言い切れるのか。
その問いから逃げる限り、
何も変わらない。
目を逸らさずに、考えてほしい。
#社会問題 #構造の問題 #善意の暴走 #情報リテラシー #教育問題 #メディア批判 #本質を見ろ #思考停止するな #問題提起 #note記事
