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「好きを仕事に」したはずの店を、自分で閉じた。── 強みは「探す」より「設計する」。

はろー、Pです。

「なぜ、別府で店を始めたんですか?」

大分・別府で小さなコーヒーの店をやっていた約2年間、僕がいちばん多く聞かれた質問です。お客さんにも、友人にも、初めて会う人にも、何度も聞かれました。

そのたびに、僕はそれっぽく答えていました。「神奈川から移住して」「コーヒーが好きで」。間違ってはいない。でも、口にするたびに、心のどこかで「いや、それが本当の答えじゃないな」と思っていたんです。

その店を、2026年の3月末、僕は自分で閉じました。

おかしな話なんですが——いちばん多く聞かれたその問いに、僕がちゃんと答えられるようになったのは、店を閉じたあとでした。

今日は、その話をさせてください。「自分の強みがわからない」「やりたいことが見つからない」と感じている人に、たぶん、いちばん渡したい話です。

見つけたつもりの店だった

もともと僕は、神奈川、東京で長く組織の中にいました。人を育てたり、チームをまとめたり。やりがいはあったけれど、人間関係に少しずつすり減って、ある日、思ったんです。

「自分の意思で、いちから設計できる場所がほしい」。

それで、別府に移り住みました。そして始めたのが、コーヒーの店でした。

ここで、ひとつだけ正確に書いておきたいことがあります。僕は、コーヒー屋がやりたかったわけではなかったんです。

本当につくりたかったのは、「人が集まって、ちょっとした対話が生まれる場所」でした。誰かがふらりと入ってきて、短い会話があって、また出ていく。そういう時間の中で、僕自身もこの街に馴染んでいく。——そんな場所が、ほしかった。

その「やりたいこと」と、「自分にできそうなこと」を掛け合わせて出てきた答えが、たまたまコーヒー屋だった。それだけなんです。

つまり、コーヒーは目的じゃなく、対話の場をつくるための器でした。でも当時の僕は、それを「やりたいことを、見つけた」と思い込んでいました。

いま振り返ると、つまずきの種は、ここにありました。

「好きを仕事に」と、世の中はよく言います。でも、僕は——その好きの解像度が、まだ低かったんです。

「人が集まる場が好き」「誰かと話すのが好き」。そこまでは、ぼんやり見えていた。でも、それを叶える形がコーヒー屋である必然性は、本当はどこにもなかった。解像度の粗い好きのまま、いちばん手前にあった器を、つかんでしまった。「好きを仕事に」が間違いだったんじゃない。好きのピントが、まだ合っていなかっただけなんです。

数字は、上がった。労力をかけているうちは。

店を回し始めて、気づいたことがあります。

コーヒー屋は、「コーヒーを売る商売」として、最適化を要求してくる。

売上、回転、原価、客単価。お店として続けるなら、当然そこを見にいくことになる。僕は、もともと数字を組み立てるのは、わりと得意なほうでした。だから、ちゃんと労力をかけて、数字を上げにいった。

そして、その労力をかけているうちは、数字は、ちゃんと上がっていきました。

——ただ。

ある時から、小さな違和感が、芽を出し始めたんです。

うまく言葉にできない、「なんか、違う」という感覚。最初は無視できるくらい小さなものでした。でも、その違和感に一度気づいてしまうと、もう、なかったことにはできなかった。

違和感に気づいたら、力が入らなくなった

不思議なものです。

違和感に気づいた瞬間から、それまで当たり前にかけられていた数字を上げる労力に、前みたいに力を注げなくなっていったんです。

理由は、あとからわかりました。僕がやりたかったのは対話の場をつくることで、コーヒーを売ることそのものじゃなかった。 数字を追う作業は、本当の目的のための手段だったはずなのに、いつのまにか、それ自体に毎日の労力のほとんどを使っていた。

測れる数字が、測れないやりたかったことを、静かに押しのけていた。

違和感は、たぶん、それを教えにきたサインでした。「お前がいま力を注いでいる場所は、お前が本当に向かいたい場所と、ズレているぞ」と。

いま思えば、あれは——あの頃ようやく、好きの解像度が上がってきた、ということだったんです。ぼやけていた好きのピントが、少しずつ合ってきて、「あ、自分が本当に好きなのは、コーヒーを売ることじゃない」と、輪郭がはっきりしてしまった。だから、もう前みたいには、力を注げなくなった。

そして——力が入らなくなれば、当然、数字はそこから、落ち始めました。

これは、店をやっている人だけの話じゃないと思います。仕事をしていれば、誰にでも起きる。最初は「こういう場をつくりたい」「こういう人を助けたい」だったはずなのに、いつのまにか、数字や評価という測れるものが、目的の席に座っている。手段が、目的を飲み込んでいく。

数字が落ちたことより、落ちていく自分を、どこかでホッとして見ている自分のほうが、よっぽど正直な答えでした。

でも、ちゃんと残っていたものがある

誤解しないでほしいのは、あの店は失敗じゃなかった、ということです。

店をやっていてよかった、と心から思える事実が、ちゃんとありました。

「この店が好き」「このコーヒーが好き」——そして、「Pさんが好きだから来てる」。そう言ってくれる人が、ちゃんとできていたんです。

これが、何より大きかった。だって、それはつまり——僕が本当につくれていたのは、コーヒーそのものじゃなく、「人が集まって、対話が生まれる場」だった、という証拠だから。

数字じゃないところに、僕のやりたかったことの結果は、ちゃんと出ていた。ただ、店の構造が、それを見えにくくしていただけだったんです。

閉じる、も、立派な設計だった

だから僕は、閉じることにしました。年末年始のあたりから少しずつ店を休む日をつくり、3月末に、正式に。

倒れたんじゃない。勢いでもない。違和感を、無視しなかっただけです。

閉じる、は撤退じゃありませんでした。やりたいことに、労力を戻すための設計 でした。器を手放して、本当につくりたかったものに、もう一度まっすぐ向き直るための。

選択ミスじゃなく、選び直し。あの決断に、僕は納得しています。

強みは、店の中に埋まっていなかった

おもしろいのは、ここからです。

閉じようと決めた頃から、僕は note を書き始めました。 最初は、ただの記録のつもりで。

でも、書いているうちに、それは自分と向き合う時間になっていきました。書くこと自体が、ジャーナリング——内省の道具になっていった。そして気づけば、今の自分と、これからの自分の解像度が、どんどん上がっていったんです。

そこで、ようやく見えました。

店でやりたかった「人が集まる」「対話する」「問いを立てる」は、消えていなかった。形を変えて、いまも続いている。 書くこと、伝えること、人の人生やビジネスの設計を手伝うこと——として。

つまり、僕の強みは、コーヒー屋の中に最初から埋まっていたわけじゃなかったんです。

店を開いて、数字を追って、ズレを感じて、閉じて、書いて——その全部を通り抜けて、あとから輪郭が出てきた。コーヒー屋は、遠回りに見えて、いまの僕の設計図の、いちばん大事なページになりました。

そして、いまならあの問いに答えられます。「なぜ、別府で店を始めたの?」——人が集まって、対話が生まれる場所を、つくりたかったから。 コーヒーは、その入り口だった。それは、店を閉じたいまも、形を変えて続いています。

強みは、探すものじゃなく、あとから設計されるもの

世の中は、「自分の強みを見つけよう」「やりたいことを探そう」と言います。だから僕らは、どこかに本当の自分が埋まっていて、それを掘り当てればいいんだと思ってしまう。見つからないと、「まだ出会えていないだけだ」と焦る。

実際、「自分の強みを理解できている」と答えられる人は、3人に1人ほどしかいないそうです(※)。つまり、わからないのが、ふつう。あなただけじゃありません。

でも、僕が遠回りの末にたどり着いたのは、こういうことでした。

強みも、やりたいことも、そして好きも——最初から、くっきり在って見つけるものじゃない。

はじめは、みんな解像度が粗い。選んで、やってみて、ズレを感じて、選び直して、また動く。そうやって少しずつピントが合っていく。その過程で、あとから設計されていくものなんです。

だから、もし「好きを仕事に」がうまくいかなかったとしても、それは好きが間違っていたんじゃない。ただ、解像度を上げる途中だっただけ。僕の場合、それを上げてくれたのが、店を閉じる経験と、書くこと——つまりジャーナリングでした。

正解の道を最初に選べた人が、強くなるわけじゃない。選んだその道を、自分の手で正解にしていった人——ときに、潔く選び直した人が、強くなる。

この法則は、大きな決断だけの話じゃありませんでした。つい先日も、同じことを体で思い出したんです。ここ数日、なんとなく気分が浮上しない朝が続いていました。動く気になれない、と思っていた。でも実際は、順番が逆でした。気分が乗ってから動くんじゃない。動いてから、気分がついてくる。 大きな選択も、小さな一歩も、同じ原理でできている。

何度でも書きます。人生は、正解を選ぶゲームじゃない。選んだ選択を、あとから正解にしていくプロセスだ。 僕は、そう思っています。

おわりに:あなたのうまくいかなかった選択へ

もし、あなたがいま、

  • 「自分の強みが、よくわからない」

  • 好きを仕事にしたはずなのに、なぜかしっくりこない」

  • 「数字や評価は悪くないのに、なぜか満たされない」

  • 「あの選択は、失敗だったのかもしれない」

そう感じているなら、最後に、これだけ伝えさせてください。

強みがわからないのは、いま、あなたがまだ動いて・選んでいる途中だからかもしれない。見えないのは、欠陥じゃない。好きがしっくりこないのも、間違えたんじゃなく、解像度を上げている途中なだけかもしれない。

やりたいことと、力を注いでいる場所がズレ始めると、人はちゃんと違和感を出す。 その小さな声を、無視しないであげてほしい。数字や評価が落ちることより、自分の心がどこを向いているかのほうが、ずっと正直な指標です。

そして——うまくいかなかった選択も、やめた選択も、まだ強みになる途中かもしれない。閉じる、降りる、選び直すは、逃げじゃなく、立派な設計です。

強みは、探さなくていい。
選んで、動いて、あとから正解にしていけばいい。

僕が自分で閉じた、あの小さなコーヒー屋が、それを教えてくれました。

人生というゲームを、ファンタスティックに。


※「自分の強みを理解できている」と答えた人は32.9%(株式会社ジェイック「20代・30代の求職者『自分の強み』に関する調査」より)。

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選んだ道を、正解にしていくnote|シロクマファンタスティック ここまで読んでくれて、ありがとう。もし"この設計図、効いたな"と思ってもらえたら——コーヒー一杯ぶんの応援が、次の一冊の燃料になります。気が向いたら、ぜひ。