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書くことをあきらめた日から、いま語るということへ

学生時代、大江健三郎も読みました
社会人になり出会った夫には、

なぜか『資本論』のレポートを書けと勧められ、テストされると感じ
「失礼しちゃうわ」と思いつつ
悔しいのでレポートを書いた思い出があります。若かったです

漱石が気持ちにしっくりくる、そんな学生でした

1960年代後半の書くということ

文系サークルでガリ版刷りの同人誌を出します
大学3年の時の教育実習を青春物として
私小説にし発表することは出来ました

けれど、あの頃の私は世間がせまく
色んなことに怒りを覚える若者でした
そんな気持ちを私小説にするために
自分と向き合うこと
心の内面を見つめることは
精神的なバランスを崩すと感じ
私は筆を折りました

足が弱く体力が無く
自由になる時間も少ないですから
状況も許さなかったのでしょう

自己開示ということ

長野の田舎での体験
あの頃目にした経験
薬が無く助からなかった母
題材は持っています

けれど戦後の貧困を私小説化することは
能力だけでなく自分の中のタブーがあったと思います

例えば、学費・本代・定期代など交通費・学食代など
自分で働いて捻出する学生でした
現代と文化も少し違って、原宿や下北沢は学生時代に
行ったことがありませんし
上野や浅草のアメリカから輸入された古着も知りませんでした
私も友人も

通学とアルバイトに着ていく服はあるのですが
デートに着ていく服が無い経験はしました

これは20代前半の当時は言葉に出来なかったことです
人生経験を積みいろいろな方がおられることを学び
そして、もう20代では無く78歳になったから
昔のこととして言えるのでしょう

noteという場で思うこと

私小説にしなくても様々な方法で
表現することを選べる点が魅力です

学生時代の私は
同窓生は学費を出してもらえる方も多いので
経済的にゆとりがないことは
どうしても言えないことでした
惨めであるという気持ちより
生存のために弱みを見せられないといった
禁忌に近い、議論の余地の無い感覚でした

だから、経験の不足や、自分で自分にブレーキをかけるなどして
書けないことは理解が出来ます。若者に限らず、いくつであれ

私は仕事や家事や育児を通し、行動で語ることを選びました

それは、二人の子どもたちや、息子のエッセイに登場する犬と猫達
それぞれ見ていてくれたようです

原稿用紙だけが表現方法ではない
そう思いつつ
今の私は、noteの使い方を練習しています



同じ商品では無いですが、こういう鉄鍋の中華鍋で
炒めものも揚げ物も作っていました
毎日のお料理も、クリエイティブだと私は思うのです
今は重くて使うのは大変ですが、
40代から20年ほど、これで料理した日々がありました


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