日にち薬――氷のブルーと共に暮らした5年がかりのグリーフワーク
春から夏、秋から冬
季節の変わり目は
一雨ごとに気温が変わります
肌寒い雨から
第二子の葬儀の帰り道を思い出しました
息子が書いたあの子のエピソード
良いお兄ちゃんになるボタンを押した日
https://note.com/karasu_toragara/n/n3f78cb49238c
原体験: 幼い日の「宝探しゲーム」と、死別から7年経った今
https://note.com/karasu_toragara/n/ne843326a5492
再び家族になる――夭折した父の「後始末」として傷を引き受けた三人の話
https://note.com/karasu_toragara/n/n7a70d11b35ea
私のプライバシーなど、息子と話し合って
第二子のことは性別を書かずにいます
あの子のペンネームをヒカリとつけようと
息子から提案がありました
それで本稿から、第二子をヒカリと呼びます
2017年夏
ヒカリは大学を卒業する春、精神障害を負いました
入退院を繰り返し精神保健福祉手帳は2級から1級になりました
暴れたりする病気の出方ではなく
私ならやり過ごせるような刺激で
病状が悪化することに苦しみました
ヒカリの傾聴を続けた息子は
負った障害と残った力のバランスが悪く
あれは苦しいと案じる14年でした
細かなことは省きます
その日、室内で倒れ救急車を呼び
大学病院へ搬送され
心電図を見ながら医師から
臨終を告げられました
葬儀屋さんとのご縁
私の観察なのですが
葬儀社さんは2,3社病院に待機なさって
おられるように感じました
「(葬儀社の)心当たりは有りますか」と
声をかけられたので
とっさに息子の所属教会を伝えると
(ヒカリもクリスチャンなのです)
「ならうちです」と葬儀社さんが担当に
ついて下さり
まずは突然死なので検死の対応を
調整して下さいました
大学病院とは別の担当の先生が
検死をして下さりました
同じことを質問される
大学病院で「ご愁傷さまです」と
3人の警察官の方にお声がけ頂きました
そのまま、繰り返し、5回ほど
ヒカリの死や暮らしに関して
質問されました
行きは救急車ですが
帰りの足がありません
警察の方が自宅まで送って下さりました
そして
そのまま、午前4時頃のことなので
町は寝静まっていますから
音を立てないよう
室内の確認がありました
ドラマの鑑識官のような方はおられませんが
警察の方はそうした知識もおありだと
私は思いました
疑っているならここにはいません
警察の方々が引き上げられ
朝になり牧師の携帯に報告すると
すぐに飛んできて下さりました
息子の家族
ヒカリの牧師
というだけの
クリスチャンではない私も
親身になっていただけてありがたかったです
つい、「自分が疑われたように感じた」と
警察の取り調べへの愚痴を牧師に伝えると
温和に「警察が疑うなら、鈴木さんはここにいません」と
慰めていただきました
息子は「本当に大変だったと思う。警察の方々は
ヒカリが事故で亡くなったことを、確かなのか
お仕事して下さったと僕は思うよ」と慰めてくれました。
慎ましい葬儀を済ませ、冷たい雨の中
ヒカリの骨壷は息子が抱いて
広くなった部屋に戻りました
(あの頃も今も、トラガラは別世帯なのです)
息子からは1年、私には5年
ヒカリを亡くして私が老いたことや
これ以上ない悲しみを経験していることは
息子も察し見守ってくれました
外から見て1年くらいは心配だったそうです
私の中でヒカリの喪が終わったと感じたのは
5年です――
私は映像が浮かぶタイプです
だから残酷な描写は目に焼き付くので見ないようにしています
とても主観的ですが
悲しみも多様であることを色で表現してみます
伯母 あたたかみのあるピンク
父 明るいオレンジ(金色に近い)
夫 暗い青
ヒカリ 水晶のように透明度のある氷のブルー
伯母と父は大往生の老衰ですから、死別は悲しくても
明るい色彩を伴います
ヒカリの「氷」は透明なだけでなく温度もありますから
色に例えてみて自分でも興味深いです
5年と申し上げたのは、5年間
例えばヒカリと歩いた町の道を歩くと
映像で簡単にヒカリが目に浮かぶのです
スピリチュアルな経験というより
単に鮮明な記憶として
それが5年経つことで
確かに覚えているのですが
すぐに目に浮かぶ状態では無くなりました
日にち薬
グリーフワークに関して、息子も牧師も
私をそっとしておいてくれました
Amazon Musicに息子がクラシックのアルバムを
入れてくれてあったのですが
それではなく
ひたすらモーツァルトを流し続けました
ラジオではなく
他のクラシックでもなく
あの時期の私はモーツァルトを必要としていました
ヒカリを簡単に思い出せる心理状態ですから
音楽は気を逸らす意味もあったかもしれません
私が高齢で14年療養した子を亡くしたことも
関係するかもしれませんが5年必要でした
見守る方にとって5年は長いでしょう
人により必要な時間は変わるので
急かさずにいてあげられるような
見守り方が出来るといいかもしれないと
経験者として思います
悲しみ
夫の時は、大黒柱がいなくなり生活の責任がありますし
夫の実家の菩提寺に納骨してしまうと
のちのち大変だと直感したので
隣町で同じ宗派のお寺に墓を買い
夫の墓を建てることから
新しい暮らしを建て直していきました
ですから、悲しむ暇も無いですし
6年彼の闘病に付き添ったので
疲れ果てていたことと
出来ることをした実感はありました
ヒカリに関しては
他の道は無かっただろうか
大学で主席になるほど努力することや
資格取得のダブルスクールなどを止めて
あの子が好きだった語学を趣味として
学べば発症を遅らせられただろうかと
あらゆる「もしも」を考えました
息子は意見が違います
おそらく遺伝的なストレス脆弱性を持っているので
数年遅らせることは出来ても
発症は避けられないだろうと
確かなことは、ヒカリが出来る限りのことをして
生き抜いたことです
限界を超える悲しみを受けると
その渦中のことを
覚えていられないのかもしれません
忘れたというより
記憶が無いように自分では思うのです
状況はことなりますが、子を亡くす方は
柳田邦男さんのように、他にもおられます
筆舌に尽くしがたいといいますが
本当に悲しいことは言葉で語れないだけでなく
自分のキャパをこえあふれてしまうため
記憶が断片的になり、語れないのかもしれません
私にとって人生で一番悲しい出来事でした
冷たい雨がすぎ、関東は空気が澄んで遠くまで見える
美しい冬が訪れます
悲しみは美しさと隣接するのかもしれません
