見出し画像

引き出す言葉、深める言葉―母として、足の悪い小学生として

母としての私と言葉

子どもに言葉を教える頃のことです
はじめは話しかけるようにしました
月齢で数ヶ月頃から「あー」とか「うー」といった喃語 なんご
話すようになるので
何か言いたそうで、でも言葉が見つからない様子を観察しました

私が2,3パターンを用意して
こういうことが言いたいの? と確認すると
幼いなりに納得することもあるようで
この繰り返しで言葉を獲得してくれたようです

昭和の知育玩具ですからアンパンマンではありませんが
ひらがなを組み替えて
例えば「こうするとトラガラだよ」と
子どもの遊びを通して教えることで
本人が試行錯誤します

文字も書こうとしますので
書き順を教えることで
スムーズに綺麗に書けると理解したようでした

少女時代の私と言葉

発見が遅れた骨結核

医師を恨んで悪く言うのではなく
当時の村の大人たちの評判なのですが
隣町の先生は「大雑把である」「従軍されていたからか
牛や馬を診るかのようだ」とされていました
村の診療所で間に合わない時は
この先生にかかりました

小学一年で骨結核による痛みが出ており
もちろん当時もレントゲンはあったのですが
発見が遅れ
小学五年で骨結核と診断された時には
患部である足の切断が必要と言われました

この時期は、家族がそばを通る振動も
痛いほどでした

父が、切断だけは避けてやりたいと
もう少し電車でいった町の医師を探してくれ
手術を受け、松葉杖で歩けるようになったのは
小学五年の終わりのことでした

ですから運動会で走った記憶は一回しかありません

児童福祉がほぼない時代を生きて

先生の方針で、給食のパンなら衛生的に運べるため
ガリ版刷りのわら半紙のプリントと一緒に
近所の同級生が届けてくれました
学校に行けないときの接点はそれだけです
もちろん教科書はあります

教科書とプリントを読むことと、月刊誌を購読している子が村にいて
読み終わると貸してくれる友達が2人いました
図書室が利用できない時期はこの3つから学びました
もちろん家族と話し、教わることもします

そのためか、進級する際に、先生から
口頭試問される時に、困ることなく答えることが出来ました

足が治り通学して

父は農作業で留守、きょうだいも学校ですから
狭い部屋の縁側の向こうの空を見上げ
色々なことを想像しました
雲の形から様々なものをイメージし
その中には母の笑顔もありました
今にして思うと
一生分の寂しさを経験した時期でした

足が理由で通学出来なかったので
勉強の遅れや対人関係の葛藤はありませんでした

手術は無事成功し
ランドセルと松葉杖で通学できるようになりました
やっとみんなと同じようにできると
子どもなりにすべきことが頭にあり
移動の自由を取り戻した喜びは実感しにくかったです

しかし図書室に行けるから本はあります

児童文学と伝記を中心に読みました
当時は物が無かったので
まだ貸し出しはされておらず
図書室で読んでいました

語彙の獲得は、こう振り返ると
中高生時代に伸びており
小学生時代はその基礎が育ちました

まとめ

子育てと私自身の言葉の獲得を振り返りました
現代はネットやお子さん向けの製品があるので
あの頃の私のように事情がある子も
その子のペースで学ぶ機会があることは
とてもいいと感じています

私の振り返りが
どなたかのお役に立てば嬉しいです
読んで下さりありがとうございます


2025/10/20 コングラボードいただきました。ありがとうございます

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集