働き暮らすこと――父と牛と荷車と帰り道
牛と私
4,5歳のことですから背丈は100cm前後の頃です
牛が使う餌ばちはその頃の私がまたいで入れるくらい
バスタブ程度の大きさに相当します
牛が餌を食べてしまえば軽いので
私でも引きずって動かすことが出来ます
牛が食べるうちに餌ばちが動いてしまい
牛小屋の奥に行ってしまうから
それを手前に持ってくる
すると父が、父の育てた乾燥させた藁を切るので
ふすま(ぬか。白米を生成した後の表皮)や
冬なら乾燥させた大根の葉などを
必要な分だけ持ってくることが私の仕事でした
遊んで帰って来る時に
牛の好きな草をおみやげに持ってくることもします
だから、牛は私のことを
「この家の小さな子」と覚えてくれ
例えば睨むように角を向けるようなことは無かったです
乗せてもらう戸惑い
牛の首側ではなく骨盤のあるお尻側に
父が乗せてくれたことがあります
牛の手綱を持ち私を支えてくれます
4,5歳のことですから
またがっても牛は大きくて足が届かず
馬のように太ももではさむことが出来ません
鞍も無いですし短毛種なので
つかまるところもなく
父が喜ばせてくれる気持ちや
牛が振り落とさないように優しく
歩いてくれることは分かるのですが
歩けば右に左に牛の体が動くので
落ちないようにバランスをとった覚えがあります
雨の日の犬のかおりを獣臭いと呼ぶとすると
牛は干し草のような香りとして覚えています
頑張り時の原体験
当時は1950年代なので道は舗装されておらず土でした
盆地だから坂もあるし、底の方には川も流れています
一番太くて荷車がすれ違える程度
農道は荷車が通れる程度
あぜ道は人が歩くだけ
このように道も種類がありました
私の記憶では塀は無く
電信柱はおそらく木製で
道の端には田畑もありますし
民家もありました
田舎のお宅は敷地が広いので
垣根の向こうに畑と果樹園があり
その奥にお宅が建っています
果樹園はりんご・もも・ぶどう・梨・洋梨などを
全て一度にではなく
この中から選んで育てているお家もありました
土の道で未舗装ですから
削れてしまい水が溜まりやすいところは
砂利でならしてある箇所もありました
そんな悪路で坂道だと
父と牛が引く荷車が動かない時があるのです
牛が引ける重さにしてあっても
通りにくい道があります
4,5歳の私はものごころがつけば
家族がそういう時には
全力で力を出すものだと理解しているので
紅葉のような手で荷車を押した記憶があります
子ども心にやりきった記憶はあります
しかし、父や牛からすれば
手伝おうとする気持ちを感じることはあっても
軽くなるほどの力で押すことは出来なかったでしょう
家族と協力することの原体験です
思えばこの年になるまでこう生きました
黄昏時の帰り道
あの頃は夕暮れを過ぎると盆地ということもあり
すぐに真っ暗になってしまいます
だから父と牛と帰る頃は黄昏時に近い
すこしだけ仄暗い空でした
荷車が田畑で荷物を降ろしており
空車になっていると
父が荷車に乗せてくれることがありました
車輪が木製で鉄で補強してあります
荷車は板を渡しておらず構造がむき出しです
だからクッション性は無いので
痛いと思いつつ乗りました
それでも楽しいのです
一日の仕事を終えている開放感も
幼いなりにあったかもしれません
自分で歩かなくても乗っていれば運んでもらえることも
珍しい経験でした
足が治ってから自転車の乗り方は覚えましたが
それは11歳頃でしたから
見慣れた山並みの上に空があり
隣の集落とうちの集落の境の橋が見え
家の軒に生えている木が過ぎ去っていく
下を見ると地面が見える
石やぬかるみが流れ去っていく
自分で歩く時には見ることに専念出来ないですから
非日常の原体験でもありました
それは車窓と似て
景色が変わり景色が流れていきます
人と牛が歩く早さの荷車だから
もっとゆっくり
けれど歩くよりも視界が開ける
そんな環境で中学1年生まで田舎の子として育ちました
下町は駅が近いので自転車が無くて済む環境ですから
何もかも変わりました

