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考える蛇だった

透き通った夜に外気を吸うと、冷たい空気が喉に当たる。呼吸が意識されて、ああ、生きているのだと、強く感じる。蛇になってしまったこの体でも同じようだ。誰も入ってくるはずのない十乗一間の下宿で、いつもの様に寝っ転がっている。とぐろを巻くということを、ほんとうにするとは思っていなかった。ベッドの上でお上品に体をしまい込み、しゅるしゅると声が漏れてしまうのに合わせてしっぽをぺたぺと振っていた。気になるそのしっぽを触れることもできず、それはとうに諦めていた。

蛇は、元から友達が多いわけではない。家族も絶縁状態で、学費だって自払だった。だから、こんな状況の蛇を尋ねるものは何もいなかった。はやくて、家賃を滞納された大家が訪れて、一週間後にでも学生が失踪したと報じられるくらいだ。

蛇は、医療の象徴の生き物だと聞いたことがある。思いのほか強くなにかに巻き付くことができるし、爬虫類の人類や多くのペットとかけはなれた生態に、昔の人が神聖さを感じても無理は無いと思った。

蛇は生まれてこの方、幸せになったことがないと思っていた。いや、一人暮らしをしている大学生という時点で恵まれていると思うかもしれないが、蛇が人間だった頃、どんな汚い仕事もして手に入れたお金だった。水商売だってしたし、詐欺に近いこともした。褒められた人生ではなかった。
また、親は生きているのに「生きていなかった」。蛇に対して、もう親と呼ぶなと言い切ったのだ。蛇は、親が死ぬことより親が生きているのにいないことの方がよっぽど辛いのだと知った。しかも、その家庭の崩壊は蛇の起こしたことだった。蛇は所謂教育パパに育てられた。父親は京大コンプレックスだった。子供がもう居ない今でもSAPIXの合格実績を眺めるくらいには。そんな父親にそそのかされて来た大学で、蛇はやりたいことができなかった。周りはいい大学だから出ろという。でも蛇は、必死に受験して、あんなに血のにじむ努力をして、やりたかったことが出来ない自分を許せなかった。
何より辛いのが、生きる度それが蛇自身の責任になることだった。若いうちはかわいそうだ、最近の言葉で言えば毒親育ちだと可哀想と言ってもらえた。それが今はどうだ。蛇は、死んでも美しくない年になってしまった。毒親の元で育った可哀想な蛇は、可哀想な大人になってしまった。
考えすぎなことはわかっている。これでさえ恵まれてるなど百も承知だ。ただ、蛇は賢かった。自分の恵まれなさと、恵まれたところ、そして幸福、不幸、それについて哲学的に考えることは出来たが、解決できるほどには頭が良くなかった。結果、人間も自らの生存も憎んでしまった。これはきっと、生き物として終わっしてしまっているのだろう。

ニーチェを読んだ。彼は、蛇のダウナーに酔い尽くした思考を、刺激した。蛇には「これが人生が、さらばもう一度」というほどの度胸も思考に対するあきらめもできない。運命愛とは、あるものではない気がするのだ。勇気あるひとが、勇気を持って、未来に取り組むために手にするもの。いわば戦利品である。生存バイアスだ。
蛇自身の哲学が解けないだろう。どんな哲学者にも。解いてもらったとて、 蛇の心には響かないだろう。蛇のように考える、中途半端な賢い人は多くいる、でもここまで自ら孤独を選ぶことは無い。なぜなら、蛇は自分が最も愚かで救いようがないと思ってしまっているからだ。そんなところから、太宰治への嫌悪感は生じている。同族嫌悪だ。

かろうじて蛇は人間の頃の顔が思い出せた。美しい女だった。美しいからこそ何もかもを免除されてきたような女だった。ただ、絶世の美女ではなかった。唯一のプライドがそこにあると言うのに、若く美しい女は苦悩を経ることもせず蛇のことを越していくのだった。美しさでも。富でも。女性としての幸せでも。素敵な親と、手を繋いで育ったのだろう。蛇に唯一想像がつくのは崩壊しきった家庭のみであった。家庭を築くと言われると、あの陰鬱とした雰囲気、声を出すのもはばかられる近況感、誰一人が愛ゆえになにかすることはないのに辛うじて家族の形を保っていたあの日々も思い出す。それを、幼少期に気づいてしまった蛇は、不幸であった。しかし、家族に殴られた訳では無い。だからこそ、そんなことは大したことがないと言われるのが怖くてずっと抱えてきた、蛇の中でいちばんの秘密かもしれなかった。
蛇はプライドが高く、更には悲劇のヒロインだと思い込んでいたかった。それが可哀想な自身を愛する最後の手段だと信じていたから。しかしだからこその悩みも多かった。悩みを言うことは自慢をしてしまうと同時に、同時に再建できないほどに深く傷を付けられると判っていたから、口にはしなかった。無邪気で無知な人間の、何気ない発言に傷つくことは人にはよくある事だが、蛇は自分の性格を鑑みて、耐えきれないだろうと考えていた。つまりは、蛇は、嫉妬に狂っただけでなく、ものすごい小心者で、中途半端な頭脳に何より苦しめられた被害者だった。

賢い読者諸君は『変身』(カフカ)を思いついただろう。もしかしたら、周りとの関係が蛇の心を動かすかもしれない。この半生を悔いるかもしれない。しかし蛇にそのような可能性がないのは、前に述べた通りであった。蛇は、こうして思い出す作品群を走馬灯のようだ、と思った。穏やかで、切なくて、甘かった。蛇のような生き物にもこんな瞬間が赦されるのかと、信じてもいない神に感謝をしてしまいそうだ。

蛇はベットから降りて、キッチンにたった。どうせ、人間の時からなにもしなかった。五体満足でなくなって初めて健康に感謝するとはこういうことか、と思ったが蛇は自己の能力の低さに元より絶望していた。だからどうせできなかったね、と嘲笑するだけしかできなかった。

死んでも美しくない歳になってしまった。蛇年齢でどうかは分からないが、人間としては「うら若き女性」ではもうない。不謹慎極まりないが、若い子が人生を燃やしていく様を蛇は美しいと感じていた。浅い人生経験なりに悩みきって、完遂できるかもわからぬ手段で最期を覚悟する思春期の少年少女には、まるで天使がたまたまこの世に来ていて、ふと、役目を終えてどこかに行ってしまったような想像を重ねてしまう。きっと次は幸せになれる。そう無責任に願う蛇は、きっと蛇以外にもそのような人々がいると信じている。

蛇は自分のからだをみた。自分はどうだ。道端で乾びる。この暑い中、水も飲まずに外に出かけたらきっとそうなる。それが蛇なりの、最期の選択になりうる。しかしきっと、誰もが目に停めない。登下校中の小学生のおもちゃになる程度だ。たとえ生まれ変わったとして、そのような未来しか選べない自分が愚かで可愛らしくて、思わず微笑んでしまった。

この世の人は信じたら救われるかもしれないが、自分だけは違う。

蛇は疲れて目を閉じた。そうするとぐるぐると視界が回り始めた。受験を終えた日。浪人が決まった日。「泣くことは頑張ってきた自分に失礼だから泣かないんだ」と強く言い切る自分が、世界一かっこいいと思った。親がおめでとうと言ってくれた。尊敬する先生に頭がいいねと褒められた。
蛇はこれがほんとうの走馬灯だと意識した。だって、こんなにしあわせだったわけがないから。

死ぬ前くらいは、ご都合主義なんだね。蛇は最後に布団に潜ろうとしたが、そんな力も残っていなかった。美しく死ぬ事が叶わないなら、なにひとつ夢は叶わなかったな、と呟いたことが声になっているかは蛇には判らなかった。

とある少年が亡くなったと、大学内で有名になった。死因があまりに珍しかったためにその話は拡散された。彼は毒蛇と共に寝て、噛み殺されたのだという。まるでクレオパトラのようだ、と

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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千崎 叶野 わたしが本を出版するための材料になります。本の購入、日本語文法の学習、出版に向けての準備等々。わたしに流れる血肉になります🍷