延々に続くかと思われたお婆さんのお話がとてもためになった話【言葉の力】
おばあさんの一言94
今日学校のママ友とカフェでお喋りしていた時のこと。
おしゃべりも終盤に入り、一息ついたころ・・・隣に座っていたお婆さんが、いきなり会話に入ってきた!!
そのおばあさん、ご本人が言うには「94歳」とのこと。
94歳!?にしてはおしゃれすぎる!!若い!!
頭にはビジュー付きのフェルト生地の黒ベレー帽、
爪は深い赤色の艶々ネイル、真っ赤な口紅、
ビーズのチョーカー、白色だけどシースルーなショールを肩がけし、
そして上瞼にはそれはそれは鮮やかな
エメラルドグリーンのアイシャドー!!!
えぇ〜おっしゃれ〜〜。。
お婆さん、唐突に喋り出した。
「あなたたち、言葉に力があるわね・・。さっきから喋ってるのが細々と聞こえてくるけど、自信があって”思考”しているわね!!」って。
本当・・?
ただのママ同士のお喋り(相手には悪いか^^;)なんやけど〜〜😂と思いつつ。
そのお婆さんの話、全体を通すと支離滅裂でちょっと何が言いたいかわからなかったんだけど、話の節々でなんかめちゃくちゃ良いこと仰るんです。
時間は皆平等である
お婆さん(※断片的な話なので少し改変してます):
「あのね、私たちの時代ってちょうど戦争してたでしょ?女性は家を守る、国を守る、役割なんて一つや二つくらいだったのよ。やるべきことなんてもう決まってて、それは単純だった。」
「でも今は違う。女性も男性も、色んな選択肢があるでしょ。ほら、パソコンをひらけばAIだのなんだのって、情報がありすぎるじゃない。スピードも目まぐるしく変わる。女性の役割も、色々選べる。選択肢が多すぎるわ。」
「私たちは多様性の社会で生きてる。SNS(94歳のお婆さんは確かにSNSと言った)なんて見てたら、もう何が本当かも分からないじゃない。嘘もほんとも、全てがそこに混在してる。」
「だからね、私が言いたいことは、自分が本当に何をやりたいのか、しっかりとそれだけに集中することよ。他のいろんな人の言葉に惑わされちゃダメなの。」
「たくさんの情報があって、多様性があって、いろんな人の意見がある。そんな世界で、いろんな言葉にあっちこっち行ってたら、その時間が本当に私、無駄だと思うのよ」
「何度も言うけど、自分の本当にやりたいことにしっかりと目を向けて、それ以外のことにあれこれと”無駄な時間を費やさないことよ。”」
「どんなに偉い人でも偉くない人でも、貧乏でも金持ちでも、全ての人生において与えられている平等のものは、”時間”よ。」
お婆さんは何者かは知らない。ーーけれど本質を突いた力強い言葉を持っていた。
お婆さんが言うに、なんだか有名人の名前がポツポツ出てきてその人たちと会って・・のような話をされていたので、タダモノではないはずだ。
芸能人のようなオーラを感じた。
他にも。。
悪い人と握手しちゃダメ:「94年間生きてきて、運気を遠ざけるような人とは絶対に握手をしない。性格の汚い人とは握手をしなかったわ。」
運は自分で掴みにいくもの:「運まかせ神頼みとか全く信じない。運気を上げるために、自分からいろんな人に会って、実体験を共にすることで運を自分で掴み取ることが大事よ。」
などなど会話の要所要所で名言が飛び出している。
我々は、少々呆気に取られながらも、お婆さんの流暢なお言葉に半分魅了されていた。
その後もずっと15分ほど一人で話し続けておられたのだが、さすがに習い事の息子を迎えに行く時間も迫っていたので、お暇させて頂いた。
94という数字がもたらすもの
94歳。昭和6年。子供時代は戦前の不安定な時代を過ごし、青年期には戦後を体験した、まさに激動の昭和を体感した人と言えるだろう。
今はもう、何もかもが”充足”しきっている。
スーパーに行けば何もかもが揃う。お金があれば何でも手に入る。情報も全て網羅されている。平和が当たり前の日本で過ごしている。
しかしその一方で、何もかもまだまだ満ち足りていない気がするのはなんでだろうか?
今は自分たちが一体何者で、どんな未来が待っているのか想像もできない、どうしようもない不安に駆られるのはどうしてだろうか??
情報過多。多様性。試行錯誤。迷いながら進む道。無計画性。迷子。迷路・・・
きっと、誰もが感じたこと一度でもあるだろう。
自分には何が向いているのか?
何をしていけば良いのか?何が”正解”なのか?
それを続けることでどんな未来が待っているのか?
他にもこういう”何者”かになれる選択肢があるのではないか?
やっぱり、自分には別の”路”があったのではないか・・・?
たくさんの情報に埋もれ、自分のやりたいことが何なのか分からなくなってしまう。他の情報に惑わされ、圧倒され、どんどん望んでいた方向とは別の方向へいつの間にか走り出してしまう。
お婆さんの言葉には、確かにその94年分の苦労してきた重みがあった。今は趣味がたくさんあって迷ってしまうそう。
でも、お婆さんの瞳は真っ直ぐだった。たくさんの趣味がある中でも、自分が何をすべきかがよくわかっていた。
「あのね、もうこの歳になると、昨日と今日が一緒ではダメなのよ。昨日は昨日。今日は今日で精一杯やりたいことをやる。明日はまた、一生懸命そうやって生きるのよ。1日1日が当たり前じゃないのよね。」
お婆さん。すみません。記事にさせていただきましたが、自分が改めて
”時間”というものを軽視していたように思います。
一生懸命生きることは何か?
そして、自分の本当にやりたいこと一点に注いでいく。
いろんな人と関わり、会話をし、結びつき、実体験を大事にしていく。
時間というものは、みな平等に与えられたものとして、一瞬一瞬を大事にしていきます。
あの15分間はとても貴重でした。
ありがとうございました✨
最後までお読みいただき誠にありがとうございます🌟
💐最後に、AIより激動の時代を生きたお婆さんの時代背景を載せて終わりとします。
🌸 昭和初期に生まれた子供の暮らし
1.幼少期(1930年代前半〜後半)
家にはまだ電気・水道が整っていない地域も多く、井戸水を汲み、ランプや行灯を使う暮らしが残っていました。
食事はお米中心ですが、農村では芋や雑穀が主食になることも多かったです。
おやつは、焼き芋や干し柿、手作りのお団子など素朴なもの。駄菓子屋は子供たちの楽しみでした。
遊びは竹馬、けん玉、お手玉、ビー玉、紙芝居。お金をかけず自然や身近な道具で遊ぶのが当たり前でした。
2.小学生の頃(1937年〜1945年:日中戦争〜太平洋戦争)
1937年に日中戦争が始まり、1941年には太平洋戦争に突入。子供たちも「戦争の時代」を強く意識する生活でした。
学校では「修身」や「国語」よりも軍国教育が色濃く、ラジオ体操や行軍訓練なども日常的に行われていました。
男の子は竹槍訓練、女の子は兵隊さんのために千人針や慰問袋を用意するなど、子供でも「国のため」に働かされました。
空襲が激しくなると都市部では疎開もあり、親元を離れて農村で暮らした子も多くいました。
3.青年期(1945年〜1950年代)
1945年、終戦を迎えたときは14歳前後。戦後の混乱期に青春を過ごした世代です。
食糧不足が深刻で、サツマイモやカボチャが主食に。闇市で物を買ったり、配給制度に並んだりするのが日常でした。
学校教育も大きく変化。戦後はアメリカの教育制度が取り入れられ、「男女共学」や「自由な学び」が始まりました。
青年期には、ラジオや映画、のちにはジャズや流行歌(美空ひばりなど)が若者の心を癒す娯楽となっていきました。
✨ まとめ
94歳(昭和6年生まれ)のお婆さんは、
幼少期はまだ昔ながらの素朴な生活
少年少女期に戦争を経験し
青年期は戦後の混乱を生き抜いてきた世代
まさに「激動の昭和を体感した人」といえます。
だからこそ、現代の私たちにとっては想像もつかないような「強さ」と「知恵」を持っていらっしゃるんですね。
ありがとうございました✨
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