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“おっぱい” という言葉のエネルギーはどこから?

中学生の頃から尽きることのなかったこの問いに、
真正面から向き合った結果を示したいと思う。

“おっぱい” という言葉には、他の言葉にはない確かなエネルギーがある。

ひとたびその言葉を聞けば、
世の男性は一瞬にしてモネのお花畑の世界へ誘われてしまうのである。

アート名画館HPより引用
アート名画館HPより引用


ただ、そのエネルギーの正体は謎のままだった。

そもそも、初めてあの “滑らかな平和の双丘” のことを「おっぱい」と称した世紀の天才大賢者は誰なのか。

語源を調べてみると、こちらのサイトに素晴らしいまとめがなされている。

1.「ををうまい(おおうまい)」が約まった説
2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じたとする説
3.中国春秋時代の学者、王牌が転じたとする説
4.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」説

もっとも有力とされているのは1で、幕末の1859~60年に書かれた『於路加於比(おろかおい)』という文献に、おっぱいの意味が書かれている。
この本は笠亭仙果こと柳亭種秀によって書かれた随筆で、「乳汁をおつぱいとは、ををうまいの約(つづま)りたる語なるべく」という記述があるとのこと。

この説が正しいと仮定するならば、おっぱいはあの丘のことではなく、母乳を示す言葉だったということになる。

少し悲しい気もするが、結果的にはノーベル平和賞待ったなしであることにかわりはない。
柳亭種秀さんに盛大なる拍手を。

脱線してしまったが、エネルギーの話に戻して、
“おっぱい”という言葉のもつ莫大なエネルギーの源泉は何なのかを探っていく。

まず、この問題を語るにあたって、
自我を得た時期以降に、実際のおっぱい(衣類で覆われていても)を目の当たりにし、その存在を認知しているという前提があることを抑えておきたい。おっぱいそのものを知らないという状況が基本的に考えにくいためである。

もし仮に、おっぱいを知らない者に「おっぱい」と言葉を投げかけて、テストステロンが湧き出てくるようなことがあれば、それはもうとんでもないことである。

簡単に整理しておくと、
・いまあなたは、おっぱいを知っている
・しかし、おっぱいという言葉はまだ知らない

この状態にある。

ここで初めて “音” について議論したい。

個人的な見解だが、「ぱ」の音がエネルギーコアなのではと考えた。
 

「おっあい」「おっいい」「おっうい」「おっえい」「おっおい」「おっかい」「おっきい」「おっくい」「おっけい」「おっこい」

いくら続けていっても、脳ミソ揺さぶるメロディはみつからない。
著しく、温かさと優しさに欠ける

一方、「は」行にのみ許された「〇をつける権利」を当てはめてみると

「おっぱい」「おっぴい」「おっぷい」「おっぺい」「おっぽい」 

親しみやすさや温かみが生まれてきた。
言うまでもないが、やはりおっぱいは別格だ。
輝きが違う。

他にも「ぱ」のつくものをあげてみる、

パン(ぱん)、パスタ(ぱすた)、パイン(ぱいん)、パプリカ(ぱぷりか)、パンダ(ぱんだ)、パンツ(ぱんつ)、パセリ(ぱせり)、パフェ(ぱふぇ)など、

やはり、同じように親しみやすさや、温かみを感じる。
ひらがなで表すとなおさらである。

実際、各メーカーからも「ぱ行」の文字を含む生き物や食べ物などの「ゆるグッズ」展開は非常に多いように感じる。

実際に親しまれるから、売れる。

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ただこの要素だけでは、包み込むような平和的優しさが足りない

“おっぱみ”


が足りないのだ。
「ぱ」は必要条件であって十分条件ではなさそうである。

では仮に、「お」が違う文字だったらどうなのかを見てみよう。

「あっぱい」「いっぱい」「うっぱい」「えっぱい」「かっぱい」「きっぱい」「くっぱい」「けっぱい」「こっぱい」「さっぱい」「しっぱい」「すっぱい」「せっぱい」「そっぱい」「たっぱい」「つっぱい」「てっぱい」「とっぱい」「なっぱい」「にっぱい」「ぬっぱい」「ねっぱい」「のっぱい」 、、、

どうだろう。
いくつか、気になるものがある。

「にっぱい」「ぬっぱい」「ねっぱい」「のっぱい」
このあたりは、“おっぱい” というあまりにも高尚な言葉がまだ存在していなかったとしたら、比較的違和感はないのではないだろうか。

ポイントは、おっぱいの曲線美にあるのかもしれない。

見てほしい、以下は黄金比(人間が最も美しいと感じ、視覚的に安定感を得られるとされる比率)である。

おっぱいそのものではないか。

Wikipediaより


曲線ということは角がないということ。
また、しっかり形として存在するということ。

つまり、「か行」のような角のある音や「さ行」のような薄い音は、おっぱいには相応しくないということになる。

さらに、よく見てみると、
「い」の音も角がなく、音としてしっかり存在している。

つまり、こうして
おっぱいという存在に対して、五十音をもって名前をつけようとしたとき、自ずと「おっぱい」以外の音は残らないのではないかという推測ができる。

「お」「っ」「ぱ」「い」

すべての音が調和して、あたたかさ、優しさ、平和的なエネルギーを生むのだ。

「乳(ちち)」や「乳房(ちぶさ)」と言う音には、その独特のエネルギーはない。
※もちろん、否定しているわけではない、良さが違うだけである。

柳亭種秀さんが「おつぱいとは、ををうまいの約(つづま)りたる語なるべく」と綴ったのは、
「なんとかもっとこう、おっぱいにふさわしい音を!」と、考え、必然の結果として「おっぱい」という音にたどり着いたのではないかと期待したい。

音以外にも、おっぱいという言葉のエネルギーを説明する要素はないかと考えてみたが、思い当たらず涙を流す結果となった。
(文字の形にも魅力があるが、おっぱいという言葉は聞くだけでエネルギーを感じるため議論からは外している)

ただ、少なくとも、
“おっぱい" という言葉の持つエネルギーの一因には、
その揺るぎない造形美と、造形美にふさわしい音との調和で生み出されているということを説明できたのではないだろうか。

そして全日本男児には、この奇跡をもっと噛みしめてほしい。
おっぱいは噛みしめないでほしいが。

一生をかけて探求していく価値のある、おっぱい。
皆さんの哲学も聞かせてほしい。


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