思想:大衆主義の行き着くところ

あいかわらず大衆主義はバカにされ稚拙で愚かで無知だと言われる。
大衆とは誰かを自覚しなくてはならない。それは私のことである。

余談だが、自分の悩みや苦悩にとらわれる人は、自分以外のものごとについて考えてみるといい。問題に対してどう考えればいいかを知ることになるからだ。

大衆は、そんなに大それた難しいことを言っているのだろうか。
「お金を配れ」とは言っていない。
「賃金をもっと」とも言っていない。

政府が勝手に決める環境破壊や外国人の問題、国民を無視した政治について「何とかしてほしい」という要望があるだけだ。

これらは民間企業が行うのではなく国の施策によるものだ。決定権は国にある。
その施策の不備や問題点が大衆にのしかかってくると「何とかしてほしい」と思うことは自然ではないだろうか。

家畜化された大衆は本来大人しい。愚痴は言うが贅沢は言わない。陰口は叩いても表立って言うのは怖くて言わない。
そんな大衆が「何とかしてほしい」と言うのだから意見を重く受け止めてほしいと思うのは当然なことでもある。

大衆は安心や安全を求め、贅沢を求めるのではなく不安なく暮らしたいだけなんじゃないか。

言葉も通じないような人が、暴力的になって、それを規制する法律もなく、文句を言うと「差別主義者だ!」と罵られ、オマケに自分たちの少ない給金から抜かれた税金をそれらのために使われて、何も思わない人はいないだろう。

それらを解決してくれるなら大衆は静かになる。

バカでもなんでもなく人間なら誰もが普通に感じることだ。
わかっていないのは、国民性の違う日本人以外かエリート主義だけではないだろうか。

大衆主義の行き着くところは満足であり、破壊や闘争ではなく、自由で安穏とした生活なのではないだろうか。

そういった条件を満たす経済や施策を求めるのが大衆主義の言い分のように思う。
しかし、賢さは必須である。「誰かが何とかするだろう」というのは賢さではない。