哲学:賢い大衆主義

人間の心理は利己的であるが、それは心理学的な説明では可能であっても、理性的な思考を説明することは難しい。
問題解決思考はそういった理性的な思考の一つではないか。

「問題をどう解決するか」は「どうやったら得をするか」という思考とは少し違う。
例えば、「移民の問題」に直面している人がいるとして、そのことについて考えることは損得の話とは違う。

自分の問題ではないことを解決しようとする思考は人間独自のものではないだろうか。

未来の日本社会が不安といわれるこの時代について考えることは、自分の利益もそうだが他人の利益をも含む。生存に関する問題でもある。
そのことについて「どう考えるか」という思考は、慣れていないとしても考えるべき課題でもある。他人任せにして放置していてはならないのではないか。

ポピュリズム(大衆主義)だと揶揄する者もいるが、社会を形成しているのは大衆である。
エリートが間違わないという保証はなく、間違った時に、それを方向転換させる力は「失敗」に頼るしかない。それでは遅いのだ。

少なくとも大衆は、そのブレーキになるべきではないか。
ブレーキはどうでもいいところで踏んではならず、危険を予知する賢さも必要だ。

エリート主義者は、大衆をバカだと思っていることだろう。「何もわかっていないくせに」と思い込んでいるに違いない。

確かにエリート主義の思想が奏功することもあるだろう。しかし、それが「今だ」と言えるだろうか。

エリート主義を大衆主義で全て批判することをよしとはしないが、エリート主義だから問題ないということもない。

エリート主義がこれまでに一度も失敗したことがないと断言出来るだろうか。
なぜ失敗したのかを説明できるだろうか。

大衆主義は失敗するかもしれないが、それはエリート主義も同じだ。

大衆主義が懸念されるのは、利益ばかり欲しがるバカな大衆主義のことである。
昔と違って、個人で勉強する機会はその気になれば大学レベル以上にある現代は、バカな大衆主義と同じではない。そこを見誤ってはならない。

ひとりひとりが勉強すれば現在の問題を解決できるに違いない。

こんなことを考えてしまうようになった。