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初めての海外、「冒険」の始まり(オーストラリア・パース編①)

筆者は、オーストラリア(語学学校と専門分野の研修)とイギリス(大学院)に住んだことがある。
 
海外に住み、そこで暮らした日々について、たくさんの思い出がある。
 
英国の方が住んでいた期間が長く、思い出もたくさんあるが、初めての海外生活となったオーストラリアでの日々は、思い出深いものがある。筆者と海外に関する繋がりは、ここから始まった。
 
もうかなり昔の話だが、あの頃の印象深い日々について、連続した記事として書くことにする。
 
なお、この時のオーストラリア滞在について、基本的には写真を掲載せずに書く。その理由は、今回の記事に出てくるので、お読みいただきたい。
 
 
**************
 
 
あの時、一人で、成田空港にいた。
 
目の前を、多くの人々が行き交っている。全体的に、何か楽しそうに見える。これから始まるであろう、海外への旅に関する高揚感が感じられた。
 
そのような状況の中で、筆者は一人、強烈な不安に耐えていた。
 
 
 
筆者は理学療法士として、病院等で経験を積んでいた。
 
忙しい日々の中、リハビリが上手くいって喜びを感じる事もあったが、悔しい思いをしたことも何度もあった。

そのため、週末には様々な研修の機会に参加し、一ヵ月で休みが一日しかないような時もあった。若かった筆者は、がむしゃらだった。
 
そんな日々の中、興味深い研修に参加した。オーストラリアの理学療法士で、頚部の理学療法の分野で国際的に名が知られているGwendolen Jull氏が来日して、講演会と講習会を開催した。
 
衝撃的だった。アート(技能、臨床における実践)とサイエンス(研究による裏付け)が高いレベルで融合した内容は、素晴らしかった。
 
「これまでに学んできたものとは、レベルが違う」
 
帰宅の途中、電車に乗りながら、そう思った。
 
「いつか、海外で医療を学んでみたい」
 
こうした思いは以前からあったが、明確化されたのは、この時だったように思う。
 
 

海外(英語圏)で医療を学ぶためには、英語も学ぶ必要がある。
 
英語に関しては、上記とはまた別のきっかけがあり、学習するようになっていた。
 
当時、勤務していた医療機関に、英語圏出身の患者さんが来た。筆者が担当になったが、その方は日本語が話せなかった。
 
通訳のアプリなどは、なかった時代である。コミュニケーションを取るためには、英語が必要だった。

しかし、当時の筆者は、英語が苦手だった。読み書きは多少できたが、会話は苦手という、日本の学校で英語教育を受けてきた人にありがちな状況だった。
 
でも、とにかく英語での会話が必要な状況だった。そこで、仕事が終わると、毎晩2時間程度、必死になって英語の勉強をした。そして、数か月が経過すると、まだまだ不十分だったが、英語でのやり取りがある程度はできるようになってきた。
 

 
英語力の向上。
海外で学ぶことへの思い。
筆者の中で、この二つがリンクした。
 
「もう少し英語力を向上させれば、何とかなるかもしれない」
 
このように考えた筆者は、上記の患者さんのリハビリが終わった後も、英語の勉強を続けた。
 
最初はイギリス人の英語教師、次にアメリカ人の英語教師から、個人レッスンを受けた。そして、英語の勉強をしながら、海外で学ぶ機会を探していた。
 
すると、オーストラリアで、理学療法(徒手療法:manual therapy)を学ぶコースを見つけた。4週間、現地に滞在して、知識や技術を学ぶという。講師も、国際的に活躍している方々を多数含む、充実した内容だった。
 
「これだ!」
 
筆者は、早速、行動した。
 
コースに申し込むと共に、インターネットで現地のステイ先を見つけて連絡を取った。また、英語力を更に向上させるために、コースの前に語学学校で英語を学ぶことを考え、現地の留学エージェントを通じて申し込みをした。そして、当時の勤務先に退職の意思を伝えた。
 
これまた、がむしゃらだった。若かった頃の、恐れを知らない行動力と言えよう。
 
 
 
このように、海外で学ぶことへの思いは強かった。それにもかかわらず、出発の日、上記のように成田空港で、筆者は恐怖と不安にさいなまれていた。
 
渡航の準備は整っている。
 
しかし、筆者はこの時まで、海外に行ったことは一度もなかった。加えて、実は飛行機に乗ること自体、初めてだった。

当然のことながら、現地に知り合いは誰もいない。現地のステイ先の人にも、会ったことはない。唯一の頼りは、語学学校の申し込みを手伝っていただいた、現地の留学エージェントだった(ただし、この時点では、メールのやり取りしかしていなかった)。
 
こうしたことを、突然、空港で強く意識したのである。
 
「海外なんて、行きたくない」
 
このような状況で、海外への初渡航をするのは、不安になって当たり前だろう。
 
すると、そんな筆者に、某クレジットカード会社の営業の方が話しかけてきた。

あまりにもネガティブな気持ちだった筆者は、その人に自分の不安を切々と訴えた。今から思うと迷惑な話だったと思うが、その人はクレジットカードの営業をせずに筆者の話に付き合ってくれた。
 
しかし、時間は止まらない。
出発の時間は、刻々と迫っていた。
 
空港内で、暗い表情をしながら歩いていると、「写ルンです」のカメラが視野に入った。
 
この時、筆者はデジタルカメラを持ってきていなかった。生真面目な筆者は、この時の渡航を「修行」と考え、遊びに繋がりそうな要素を排除していたのである。
 
他にも、携帯電話(いわゆるガラケーの時代)も、なくしたら困るので持ってきていなかった。
 
しかし、使い捨てカメラを見て、心が揺らいだ。
 
結局、筆者は、そのカメラを購入した。そのため、この時の旅の様子は、ネガと写真としては残っているのだが、デジタルデータではないので、SNSなどには載せにくい(ただし、後の理学療法のコースについては、仲良くなった海外の参加者がメールで写真を送ってくれたので、デジタルデータで所有している)。
 
やがて、飛行機の搭乗時間がやってきた。
 
初めての海外渡航なのに、この時点では恐怖と不安しかなかった。「行きたくない」というネガティブな気持ちを抑えながら、重い足取りで、飛行機の機内に入っていった。
 
 

*長い記事を、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


*オーストラリアと関連する記事は、以下のマガジンにまとめています。
 

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