noteをはじめた理由:日記に喰われた日
noteをはじめた理由なんですが、色々あります。
ひとつは自分のためにはじめた育児記録が日常を侵蝕し出したこと。
育児日記のススメ
子どもが生まれる前から、いろんな人に「すぐ忘れちゃうからね、メモした方がいいよ〜」と言われていました。あっという間の赤ちゃん時代、今だけだよ〜って。
長男出産後すぐ日記を開始したんですが、子どもが動き出すにつれ、子供の成長と自分なりの発見が嬉しくて書くことがドンドン増えていき、生後半年くらいには、毎日日記に1時間ほどかけてました。
毎日子どもの写真を撮っていましたが、もっといい写真が撮りたくてミラーレスカメラを購入したのもこの頃。
正確に言うと、出産後、急にブチ切れるようになった妻に恐れを成したパキ夫が、誕生日プレゼントを前倒ししてくれました。
4年間毎日2000字の育児日記
写真と動画を毎日撮影し、仕事復帰までは日記にその日のベストショットを載せると言うのも課しており、記述に大体1時間。
最低2000字〜旅行になると1日の記録で5000字くらいになることもあり、乱射のようなタイピングで打ちまくるんですが、…2時間3時間はかかります。睡眠時間削ってました。
次男アフ郎が夜泣きが激しいタイプだったのもあり、徐々に精神を蝕まれまして、あろうことかパキ夫と子どもにひどく八つ当たりするようになってしまい、日記>日常と主従逆転、完全に自分がコントロール出来ません。
睡眠時間確保のために寝た方がいいのは分かってるのに、やめられない。
今日1日の朝起きてから夜寝るまでの子供達の行動、子どもに関する私の気づき、おもしろ発言、困り行動への推察、覚えているだけ全部書きたい、書かねばならない。
もはや書くのが苦痛でも書く、義務感と責任感。
過去の空白と "今だけ" の呪い
誰にも言われてないのに自らに課した謎の責務の理由はおそらく、育児日記がなくなると、育休中の生活何をしていたかが記憶の彼方に消えてしまうという焦り。
「今だけだよ〜」っていう優しい言葉は、そうなるともはや内面化した呪いでしたね。
3人のママである友人の「小さいころのことって本人たちは覚えてないから、『(赤ちゃんの時は面倒みなかったのに)遊んでくれるからお父さんの方が好き』とか言ってきたりして、もうなんていうか・・・大変すぎて自分の記憶もないし、その時の時間そのものが『無』だよね」と言う寂しそうな笑顔を思い出す。
パキムラも過去ブラック企業で働いて、自分の写真もなく、12年くらいほとんど何していたか記憶と記録がないこともあって、もう自分の人生をそんなふうにしたくない、私は確かにここに居たと、未来の自分に証明したい!と思っていたのかな。
もはやただの強迫観念
最初の頃こそ大きくなったら子どもに見せようなんて考えてましたが、子育ての愚痴とか家族への八つ当たりの内容とかも書いてあって子どもには見せられないし、そもそも毎日2000字以上ある日記、何千本も、誰も見る気しない。
自分でも見直すことはほとんどないし、馬鹿げてるのはわかってる。でも書くのがやめられない。面白いことがあるとすぐ「これは記録しよう」と自動的に思ってメモしてしまう。本当に強迫観念に近くて、日記が書けなかった日は、写真や動画や記憶を可能な限り辿って後日書き直したりしてました。
自分の人生の断片を放流してみるということ
最近になって色々肩の力が抜けて折り合いをつけられるようになってきたこともあり、日記10行くらいで済ますこともありますが、そもそも、育児日記だから仕事のこととか自分のやりたかったこととか悩みとか、書いてないんですよね。
自分の人生が消えてしまうのが怖くて書きまくってるのに、手応えも無いし目的もない、それどころか勉強や趣味に充てる時間も日記を書いており、自分の歴史は何も積み上がっていかない矛盾に限界も感じていました。
そんな訳で、育児日記だけじゃなくて、とにかくこの止められない頭の中の記憶と言葉どもを、noteの川に放流しよう、巡り巡ってどこかで誰かの役に立つかも・・・と思って書き出したという感じです。
思いつきから実行までは割と早かったと思います。
なかなか放流できない卵たち・・・
なんですが、とにかく書き散らせばいい育児日記と違って、さすがにゴミまで放流できないし、色々思いつきすぎるのにまとまらないまま、アイディアの卵のリストが積み上がっていって、なかなか記事として書き上がりません。
とは言え、ゆるゆると、どこかの海で生きてくれと思いながら、少しずつ卵からかえした子どもたちを川に放流していきます。もう少し書く頻度はあげたいなと思ってはいます。
変な記録癖
子供の時からたまにこれ!と思ったことを記録したがるところがあり、例えば12歳の時から30年ほど小づかい帳〜家計簿をつけ続けています。ADHDと家計簿って基本相性悪いと思うんですけど、この変な強迫観念の記録癖で、金遣いが適当な割に破産せずに助かってる部分はあったと思います。
あとは覚えてる限りだと、初めて彼氏ができた時に、セックスの回数を正の字で手帳につけてました。1年半くらいで飽きてやめたけど・・・そんなことして何するつもりだったんだろうか、自分でも不明です。
その後手帳は紛失しました。
洋服アプリで大量の洋服管理とかもしてまして、これは実用的でいいですね。リスト好きなんで、タスクリストやほしいものリストをカテゴリー別にいっぱい作ってしまうのですが、そこは整理が苦手な特性上、リスト自体がたまに何処かに行ってしまいます・・・
ホーディング
収集癖が病的になったものをホーディング(いわゆるゴミ屋敷になってしまう人々など)というのを知ったのですが、記録のホーディング(デジタルホーディング)もあるそうなんです。
デジタルになる以前も、例えば、33年間ニュース番組をビデオで記録し続けたマリオン・ストークスという方がいたり、現像さえ追いつかない大量の写真を誰に見せるでもなく死ぬまで撮り続けたヴィヴィアン・マイヤーだとか、自分では見返さないのに執拗に記録を取り続ける人がいます。私はそんな人たちほどでは勿論無いですが、畏怖の念を抱きつつ分からなくもないです。
特に写真家って一種の記録魔的な気持ちがあるんだろうなと思います。
そんなわけで結局、写真も習いはじめてしまいました。
育児日記も、まだ毎日書いてるので、優先順位をつけられない、やること減らない、減らせない、パキムラでした。
