名護屋城 中編(三ノ丸〜本丸・天守台・日本100名城)

2026年2月、佐賀県唐津市の「名護屋城(なごやじょう)」に登城しました。
トップ画像は現地で「バーチャル名護屋城」アプリを使って、「遊撃丸」から見た天守画像です。実際に自分が見ている空に合成されるので、臨場感がスゴイですね。
「バーチャル名護屋城」について
わずか5ヶ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。
周辺には全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ、
人口20万人を超える城下町が出現しました。
今日、天下人の城と諸大名の陣屋、城下町の様子を
高精細コンピュータグラフィックス(CG)を駆使して再現。
特に、名護屋城跡では、バーチャルリアリティ(VR)によって
名護屋城の壮大な姿が甦ります。
「430年前の名護屋城」をあなたもぜひ体験してください。

中編では、大手口~東出丸~三の丸~伝馬場~二の丸~遊撃丸~本丸~天守台を目指します。パンフレットに記載されている基本ルートよりも、いろいろ寄り道していますので、とても50分では足らなかったです。



名護屋城は、江戸幕府によって意図的に破壊されました。城郭の各所に崩れた石垣が現れます。
これは「城割(しろわり)」・「破城(はじょう)」と呼ばれる「城郭の意図的な破壊」の跡です。
寛永14年(1637年)に起こった「島原の乱」において、廃墟になっていた「原城」に集結した反乱軍(一揆軍)に、幕府軍が思いのほか苦戦したことで、原城よりはるかに巨大で堅牢な名護屋城が反乱に利用されるのを真剣に恐れたからです。

「隅石(すみいし)」を狙った石垣の破壊が中心で、石垣角の部分(隅石)が重点的に抜き取られ崩されています。
石垣は角の部分が構造上の要(かなめ)であり、ここを壊すと全体の強度が著しく低下し崩落しやすくなります。

ここ名護屋城では、破壊された石垣をあえて崩された状態のまま整備・公開しています。「豊臣秀吉の野望の城」であると共に「江戸幕府によって徹底的に破壊された城」である事を伝える貴重な遺構として遺されています。



「大手口(おおてぐち)」から「登城坂(とじょうざか)」を登り「東出丸(ひがしでまる)」へ進みます。東出丸からは東方面の数多くの「陣屋跡」が望めます。





「三ノ丸」を横切り「伝馬場」を進み「二ノ丸」を目指します。



櫓台の石垣は比較的しっかり残っています。でも「本丸」の高石垣は各所で崩されていました。


こちらの直線は「馬場」であったと想像されています。そうとう長い距離ですね。前方左の「馬場櫓」を抜けると「二ノ丸」に入ります。


二ノ丸からは、いよいよ天守台が見えてきました。ここに巨大な天守があったんですね!


二ノ丸から「遊撃丸」に入ります。天守台直下のエリアでVRも迫力満点でした。こちらには明国からの外交使節をもてなした居館が並んでいたそうです。



遊撃丸に面した天守台の高石垣は完全に無くなっています。
石垣好きとしては悲しいですが、転用された唐津城で組み直されていたら嬉しいですね!


「水手曲輪」上の細道を抜けて、「本丸」へ向かいます。
本丸に出ると巨大な空間が広がっていました。イメージしていた倍くらいの広さがあります。








いよいよ天守台に突入します。本丸からの高低差はあまりないですね。
天守台が城内で北方の遠景が一番よく観える場所です。きっと大陸に続く対馬が望めたと思います。太閤さんは、その先に大陸を夢見ていたのですね。




天守台にたどり着いた時点で、大坂城並みの巨大な城郭であることを思い知らされました。
まだまだ観たいポイントが沢山あります。次回は「山里丸草庵茶室」跡など曲輪群を巡ります。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。
