名護屋城 前編(名護屋城博物館・日本100名城)



2026年2月、佐賀県唐津市の「名護屋城(なごやじょう)」に登城しました。
名護屋城は、現在の佐賀県唐津市(旧肥前国松浦郡)にあった城です。
太閤「豊臣秀吉」が朝鮮半島への出兵(文禄・慶長の役)を行う際に、その出撃拠点および兵站(補給)基地として築いた巨大な城郭です。
天正19年(1591年)に着工され、当時は大坂城に次ぐ規模を誇りました。加藤清正や小西行長らが普請を担当し、わずか数ヶ月から半年という異例の速さで完成させたと言われています。

前編では、併設されている「名護屋城博物館」の展示品を紹介します。なんと、こちら入館料無しなんですよ!この金ピカも‼️!?







名護屋城における「茶の湯」は、単なる趣味の域を超え、政治、外交、そして戦時下の心の安らぎとして極めて重要な役割を果たしていました。
秀吉さんは、自分の権力の象徴である「黄金の茶室」を大坂城から名護屋城に運び込ませました。殺伐とした戦場に近い拠点でありながら、最高級の豪華絢爛な文化を持ち込むことで、諸大名や参陣した人々に自分の圧倒的な力を誇示しました。


博物館内の展示物は、基本的に撮影が許可されていますが、所有者様のご意向により撮影不可の物も多くあります。







文禄の役(ぶんろくのえき)と慶長の役(けいちょうのえき)は、16世紀末の安土桃山時代に、「豊臣秀吉」が朝鮮半島へ出兵した二度の侵攻作戦の総称です。朝鮮側では「壬辰・丁酉倭乱(じんしん・ていゆうわらん)」、中国(明)では「万暦朝鮮の役」と呼ばれます。










藤吉郎さんの野望によって引き起こされた大規模な戦争は、東アジア三国のその後の歴史を大きく変える出来事でした。
日本では江戸幕府が成立すると、「徳川家康」さんは朝鮮との関係修復に努め、朝鮮通信使の来日など平和的な外交関係が再構築されることになりました。


次回、大名護屋城に突入します。
お付き合いいただき、ありがとうございました♪
