手間をかける
今夜は出汁を引いた。カツオと昆布のオーソドックスな合わせ出汁だ。
近所のスーパーにセリがあったもので、これはどうしても鍋にしようと思った次第だ。
顆粒出汁を使ってもいいし、それこそセリ鍋用のつゆも売っていたが、「やったことないことを意図的にやる」ことを実行すべく出汁から取ることにした。
あとは、セリに合わせる具材に鶏肉でも美味しいはずだが、ぜひ鴨肉でやってみたかった。中々売ってなくて奔走したが、どうにか冷凍モノを入手。
この点も、とりあえず鶏肉でやろうか、ではなく自分で買ったことがない鴨肉のロースを買って自分でカットすることをやってみたかったわけだ。
出汁を引くこと自体は大した作業ではないし、やってる人はやってるので何も特別なことはないだろうけど、じっくり水から煮出して時間をかける。仕上がりは綺麗な黄金色で。

こうして食に時間をかけられる気持ちの余裕を持てるってことが素晴らしいことな気がする。
今は出汁から引くなんて、休みの日くらいだが、毎日そんな日だったらWonderful Worldですわ。
これから薪窯のパン屋をやるわけだが、要は原点回帰である。現代じゃオーブンもあるしイーストで発酵もできる。
酵母を起こして薪火を使って、硬いパンを焼く。
顆粒出汁が出る前は毎日、当たり前のようにカツオや昆布から出汁を引いていた、はずだ。
知らないことを知りたい欲が果てしない。
例えば、自分で出汁を引いた味を知って市販品を使うのと、そうでないとでは大きく違うのではないか。
顆粒出汁も美味しいし、今後もきっと使うと思う。
ただね、やっぱり「一回自分でやってみる」を体現しないと納得できないフェチが強固になってきたわけである。

