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死にきれなかった人たちへ

お久しぶりです。
ヤキソバライターです。

今日はちょっとデスマス調で書くのが難しい気がするので、フリーライティングしていきます。

※本noteには病気を解説したり、内面の研究を促すような内容が含まれます。
希死念慮の強い方、頻繁な自傷行為がある方は症状悪化の恐れがありますので、これ以上読み進めずにブラウザを閉じてください。


就職して約1ヶ月が経った。ようやく会社に慣れてきた。そんな先週の金曜日4/25の出来事。いつも通り定時に退勤し、電車に乗る。1時間くらいかけて家に帰る。華金なので夕飯はバーガーキングにしよう。お腹いっぱい食べて歩いて家に帰る。家についてからスーツを脱ぎ、ハンガーにかける。そうだ、ワイシャツをクリーニングに出さないといけない。ついでにこの前出してたワイシャツも受け取ってこよう。引換券とエコバッグに入れたワイシャツを持ってを持って家を出る。自転車に乗って夜9時まで開いている近所のクリーニング屋へ。受け取ったワイシャツをエコバッグにしまい、その日着ていたワイシャツを預ける。店を出て、自転車に乗る。なにかスーパーで買い物をして行こうか。いやめんどくさいから今日は帰ろう。家に帰り、テレビをつける。金曜ロードショーでスター・ウォーズがやるらしい。しかもワタシが一番好きなエピソード4(第1作)だ。観てみよう。


観終わった。面白かった。それと同時に死にたいという感情がふっとわいてでた。いや正確に言えばそれまで気づかないようにしていただけだった。ワタシは双極性障害を持っている。今年に入って、死にたいと微塵も思わなかった日は片手で数えるほどしかない。強い弱いの程度はあれど、基本的には頭の中に死にたいという感情がうずまいている。これはきっと死にたくなった人にしかわからない。どう説明すればいいのだろう。なにか特別嫌なことがあったわけではない。上司にパワハラされたとか、知らない人から暴言を吐かれたとか、ネットで誹謗中傷されたとか。そんなことがなければ人は死にたいと思ってはいけないのだろうか。ワタシのとなりにはいつでも絶望が座っている。それを見てしまうとマズいから、いつもは気を逸らしている。でもその日ワタシはその絶望と向き合ってしまった。まず遺書を書いた。両親と仲の良い友人たちと会社の人に対して。スマホのパスワードとパソコンのパスワードも念のため書いておいた。何かで必要になるかもしれないから。そして前に主治医から処方されていた睡眠薬をすべて出した。前の職場にいたころ不眠の症状がひどかった。眠れずに朝を迎えたこともあった。そんなとき主治医に頼んで処方してもらった睡眠薬。1日1錠で処方されていたけれど、目の前には大量の錠剤がならんでいた。無造作に取り出し、机の上にひいたティッシュに並べていく。何錠あるかなんて数えていなかった。それをすべて口に入れ、コップになみなみ注いだ水で流し込んだ。何も感じなかった。飲み辛くもなかった。そうして電気を消し、布団の上に倒れ込んだ。だんだんと意識が遠くなっていき、ワタシは死んだ。


昔読んだ東野圭吾の小説で、こんな場面があった。自殺として処理されたある教師の死について疑問をもった主人公。調べていくと自殺をしたその日に米を買っていた。これから自殺をする人間が買い物などするだろうか。そう思って調査を続け、死の真相に近づいていくというエピソードだ。なるほど、たしかにその通りだと思う。だが実際には違う。ワタシは自殺をしたその日クリーニングを出しに行った。しかも「仕上がりはお急ぎですか」と聞かれてはっきりと「急ぎでお願いします」と答えた。これから死ぬ人間にとってクリーニングの仕上がり日なんてどうでもいいことではないか。だから自殺した人間のその前の行動なんてあてにならない。そういえばワタシの双極性障害は昔自分がしたことへの罰なんじゃないかと思う。小学生の頃なにかに悩んでいた女の子に「悩みなんてあるほうがおかしいんだ」と言ってしまい、先生に怒られたことがあった。単純な話だ。小学生の頃ワタシには悩みなんてなかった。毎日がバラ色で輝いていて、明日が来るのが楽しみだった。今は毎日死にたいという気持ちに苛まれていて、絶望に怯えて生きている。きっと神様がいるんだとしたら、「ならお前にも悩みを与えてやろう」と言ってワタシに双極性障害を発症させたんじゃないかな。


どれくらいの時間が経っただろう。目覚ましの音で目が覚めた。ワタシの目覚ましの音はDaniel Powterの「Bad Day」という曲だ。昔ヒットしたからサビを聞けばみんなわかるんじゃないかな。傑作だ、これから自殺しようってやつが目覚ましをかけていたんだから。ということはこれは現実だ。睡眠薬のせいでものすごく眠いし、体はまだ寝ているけど自殺は失敗したということだ。これでワタシも「死にきれなかった人」になった。まさか自分が自殺するとは思わなかった。一昔前まで自殺する人の気持ちなんてわからなかった。わかりたくもなかった。でも今ならわかる。深い自己否定と絶望感。「もう死ぬ以外に選択肢はない」と思ってしまう。どんなに仲の良い友人がいても、支えてくれる家族がいたとしても止められない。それで自殺に成功してあの世にわたる人もいる。でもワタシは失敗した。それはたぶん体が丈夫だったからというのもあるだろう。睡眠薬の数が致死量になっていなかったというのもあるだろう。しかしワタシにはこう思えてならない。まだ死ぬべきときじゃなかったと。人には誰しも死ぬべきときというのがあるらしい。傍目から見れば奥さんと子どもを残して死ぬ人や不慮の事故で亡くなってしまう人、老衰で死ぬ人、災害で死ぬ人などいろんな人がいる。もちろんその人自身や周りの人にとって納得できる死など、そう簡単にはないだろう。それでも人には死ぬべきときがある。そのときが来てしまったらたとえやりたいことが残っていても死ななければならない。人の命が有限である限り、これは揺るぎようがない。だからこそ人は今日を生きるのだ。それでも誰しもが明日死ぬと思って生きてはいない。もしそこで死んでしまったら後悔だらけだろう。だが仮に永遠の命が得られたら、その人間はどうなるんだろう。見える世界は変わるかもしれない。毎日無駄に過ごしても永遠に命が続くならまったく関係ないだろう。環境問題や世界の貧困、戦争、人口減少などにももっと意欲的に取り組むかもしれない。なぜなら自分ごとの問題だからである。それはそうと、もし仮に神様がいるとしてワタシはこう言われた気もする。「お前はまだそこで絶望と向き合い続けろ」なんという救いようのない言葉だろう。明けない夜もあるらしいが、それ以上に苦しい。だれか助けられるものなら助けてほしい。あなたが楽しんでいるとき、美味しいご飯を食べているときや、友人と遊んでいるとき、家族と一緒に乾杯をしているときやパートナーとセックスをしているとき、そんな刹那自殺をしている人が世界のどこかにいる。ワタシは失敗したが、成功してしまう人もいるはずだ。ワタシたちは本当の意味で死んでも死にきれなかった。まだ死ぬべきときではないのだ。生きようと試みねばならない。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
おわり。

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