マネージャーは、何をなんとかするのか
マネージャーという役割は大変だと思う。マネージという言葉には「なんとかして〜する」という意味合いが込められている。マネージャーは、なんとかして何かを実現していく、最後の砦のような存在だと言える。だからこそ、報酬も高いし、人によっては目指す対象にもなったりする。
ここで言いたいのは、そうしたマネジメントの本来の意味での大変さではない。今、この時における、マネージャーとしていかにあるか、という判断の難しさのことである。
言わずもがな、AIによってそれぞれの人、役割におけるできることが増えている。結果として、どう仕事を行うか、開発するか、プロジェクトを回すか、経営するかの転換期にあたっている。この大きな変化の渦中にあって、マネージャーは何をなんとかしていくと良いのだろうか? そこに正解はない。誰にも、ない。自ら、模索していく時を迎えている。
どういう役割でも、あるいはどんな時であっても、自らをふりかえり、その次の舵取りを決める、むきなおりは必要なことだ。ただ、マネージャーという役割にはある特殊さがあり、その点が状況の見方と判断をより難しくさせる。それは、経営と現場の間に立ち、両者の間にある不整合をなんとかする、という機能のことだ。
私は「位相」という言葉をよく使っているが、経営と現場の間では位相違いが存在する。何を成果と置くか、そのために何を重視するか。大まかに言うと同じ方向性にありながら、それぞれが置かれている立場から、価値や意味、評価基準が全く異なってくる。まったく別の世界線を生きているかのごとく、隔たりが生まれてしまう。
経営の位相と、現場の位相、それぞれで本当に優先したいことがずれるとき、組織には不協和音が鳴り続ける。そうした食い違いについて、言葉を尽くし、行動を調整し、じりじりとなんとかして前に進めていくことが、マネージャーには期待される。そのことに、組織としてももちろん気づいているからこそ、マネージャーという役割に花を持たせ、金銭的に報い、人を集めてきたわけだ。
で、今ここの話だ。今ここにおいて、先のとおり転換のときを迎えている。AIの存在は、人が人にこまごまと説明する会議を重ね、常に状況の面倒を見て、どうにか後始末をつけていく必要性に大きな影響を与える。マネージャーが要らなくなるわけではない。しかし、これまで通りのマネジメントが新たなボトルネックになることも目に見えている。さて、マネージャーはどうあると良いのか?
繰り返しだが、ここに正解はまだない。いずれ定まりそうに思う。ただ、その時がいつかはわからないので、それぞれで模索する必要がある。マネージャーは自分自身として、あるいは現場とマネージャーとの関係において、そして経営から見たマネージャーとして。それぞれの模索は前提として、しかし、やはり組織として「これからのマネージャーとは」の言語化は必要であろう。
想像するのは、少なくとも経営と現場の間にある位相違いを、引き続き人の手、人間の度量、忍耐でなんとか乗り越えていく...ということではあるまい。組織として扱えるように、相違の可視化とその調整を仕組みに寄せていくというのが、 "AI時代" らしいのだろう。その仕組みを作る役割はまだ必要になる。もちろん、それを「なんとなく上手いことやっておいて」 ではなく、この期に組織の論点にしていかなければ、どうにも先が見えてこない。
これはもとより仮説寄りにはなる。それでも、マネージャーとは、組織の中にある位相違いという、どうしようもない矛盾に向き合ってきた役割である。その役割をこれからどう置き直すのか。今、その問いを立てること自体が、組織として果たすべきことのように私は思う。
