アジャイルとは、変化を作り出す回路である
2026年のこの現在において、「アジャイルについて話して欲しい」と言われたら、何をどう話すか。
その手の話のストックはもちろんいくらでもある。過去の講演ストックを開けば、鍛え抜いた「アジャイルとは何か」話を構成することができる。一方で、今まで通り話しても仕方ないだろうと感じた。
繰り返しだが2026年のこの現在において、まだ「アジャイルとは何か」の話が必要である、ニーズがある組織というのは、つまり相応の適応にまだ距離があるということだ(むろん、情報をキャッチしそれっぽく知識を入れ込んでみただけでは組織的な適応など起こるはずもない。どれほどの組織がアジャイルと言えるだろうか。「知っていること」と「できているということ」の間は別世界と言える)。
ちょうどこんなことを考えていたところもある。
四半世紀経過した、この現在においてアジャイルをどういう切り口から話すか。一旦、頭の中にある私のアジャイルをすべて取っ払うことにした。まっさらにして、何を積み上げていくか。ソフトウェア開発の文脈さえも取っ払うとしたら、アジャイルには何の意味があるのか。いくつもの組織アジャイルの活動の果てに、それでもアジャイルを語るとしたら。それは、「変化を生み出す回路」だ、ということだった。
まず三行で表現してみる。
アジャイルとは、
向かいたい先に対して、
何を積み上げていけば近づけるかの、手がかり(仮説含む)を積み上げ、
繰り返し、その結果を確かめながら臨む
ための作法である。
何を向かいたい先として置くか。ソフトウェア開発なら、何らかの用事を片付けることかもしれないし、新たな事業開発なら、対象領域・対象者の課題が持続的に解決される仕組みの構築かもしれない。
その状態に達するのに、あらかじめ何をすれば良いか全部わかっているなら、その通りにやればいい。もし、筋道が見えていない、ぼんやりとしているなら、近づいていくための手がかりが必要だ。ソフトウェア開発なら、必要と想定する機能性であろうし、事業開発ならばもう少し広く施策、あるいは事業上扱う課題の候補かもしれない。
手がかりを仮説でも良いから積み上げ、実行していく。それを一回、一気、一度にやりこなすつもりなのではなく、繰り返しに臨み、その結果を確かめるようにする。実行したことから分かったことは何か、を捉える。次の判断、次の行動でより向かいたい先に近づくためには何を取り入れると良いか、あるいは何をやめるべきか判断する。
この動きを繰り返すことで、向かいたい先と置いた行き先自体を見直すこともありえる。近づく手がかりだけではなく、そもそもの向かいたい先の解像度を上げるあるいは変える(むきなおり)。

アジャイルとは、アウトプットを積み上げていくための仕組みではなく、適切な変更、変化を加えるための動きなのだ。そう捉えると、必ずしもプロジェクトや仕事のやり方を丸っとアジャイルに置き換えなければならないわけでもないことにも思い当たる。
主とする活動は着実に順次型で期限をもとに進めていきたい。だが、その活動の周辺には課題やボトルネックがつきまとう。そうした課題解決や改善向上をアジャイルにあたる。そもそも「向かいたい先」を何と置くかで、順次型とアジャイルが並行する世界線もありえてくる。

そう考えると、これまでの変更・変化を回避するやり方に対して、小さく少しずつ変化を加えていける機会を埋め込むあり方だと言える。それが、いま私がアジャイルを「変化を作り出す回路」と呼ぶ理由である。
