「仕方ない」と言い続けて、気づいたら5年経っていた。
地元に帰りたい。でも動けない。40代の「動けない理由」を3冊の本で考えてみました。
「福岡に戻りたいんよね」
久しぶりに会った大学の同級生が、そう言った。
彼は東京でずっと働いてきて、今は外資系企業の日本法人でそれなりのポジションについている。誰が見ても順調な側の人間だと思う。
でも、話を聞くともう何年も「福岡に戻る」という目標は進まずに止まっているらしい。転職サイトには登録した。スカウトも見ている。年収も下がっていいと言う。家族の理解もある。
それでも、動けない。
その話を聞きながら、まあそんなもんだし、自分もそういうことあるなと思った。土日で久住に一泊登山行こうと思ってテントもリュックも買ったのに、結局2年くらい行っていない。
「やろうと思ったのに動けない」という意味では、彼と私のケースは案外同じなのかもしれない。
なんでこうなるんだろう。意志が弱いのか。覚悟が足りないのか。
何冊か読み返してみて、どうやらそういう話でもなさそうだとわかった。
「ここまでやってきた」が、いちばん重い
藤野英人さんの『投資バカの思考法』を読み返していたら、こんな話があった。
投資で大切なのは、その株を「いくらで買ったか」(簿価)ではなく、「今いくらか」(時価)で考えることだ、と。過去にいくら払ったかなんて、未来の判断には関係ない。大事なのは、今の市場価格でその株を持ち続ける価値があるかどうかだけだ。
これ、投資の話としては「なるほどな」なんだけど、キャリアに置き換えて考えてみると、結構怖い。
僕たちは自分のことを簿価で考えてしまう。「この会社で15年やってきた」「やっと管理職まで上がった」「この業界でやってきた人脈がある」——過去積み上げたことが大事で、いまここを離れたら全てなくなってしまうんじゃないかって思う。
時価で考えるなら、「今の自分の市場価値はいくらか」「このまま5年いて価値は上がるか」を見るべきなんだろう。でもそれは怖い。過去に積み上げたものが、実はそこまでの価値じゃなかったと認めることになるかもしれないから。
藤野さんはもう一つ、「現状維持バイアス」についても書いている。人は変化と現状を天秤にかけたとき、本能的に現状を選ぶようにできている。外に飛び出すことを怖がっているうちは、何も変わらないと。
友人や僕が動けないのも、たぶんこれだ。条件は揃っている。捨てられないわけでもない。ただ、脳が現状を選んでいる。無意識に。
こう考えると、動けないこと自体は別に恥ずかしいことじゃない。意志が弱いわけでもない。人間の脳みそがそういう構造になっているだけだ。
——ただ、ここで「仕方ないよね」と安心してしまうと、もっと厄介なことが始まる。
「仕方ない」は、ほんとうに仕方ないのか
前の記事でも紹介したけど、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本を読み返すと、ちょっと嫌な気持ちになることがある。この本は、人がどうやって自分をごまかし始めるかを書いた本だ。読んでいると、「ああ、これ自分のことだな」と思う場面が何度もある。
この本の言う「箱に入る」とは、自分の本心に背いた瞬間から始まる。
いったん自分の感情に背くと、周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになる。
本当は動くべきだと、心のどこかでわかっている。転職を調べるべきだ。スキルを身につけるべきだ。あの件について声を上げるべきだ。——でも動かない。動かない自分を認めるのはしんどいから、代わりに「動かなくていい理由」を集め始める。
「ウチの会社は古いから、何を言っても無駄」。そう愚痴りながら、心のどこかで「だから動かなくていい」とホッとしている。
「家族がいるから冒険はできない」。そう言いながら、本当は失敗が怖いだけなのに、家族を盾にしている。
「部下が育たないから自分が現場に出るしかない」。そう嘆きながら、新しいことに挑戦しない言い訳にしている。
偉そうに書いているけど、全部自分のことだ。
「仕方ない」と言うたびに、僕は自分で檻を作って、自分で中に入っていたんだと思う。しかもその檻の中は、案外居心地がいい。自分を変えなくて済むから。
怖いのは、この「仕方ない」を繰り返しているうちに、もう一つ厄介なものが溜まっていくことだ。20代や30代の頃に描いていた理想——「いつかは独立したい」「地元に帰りたい」「もっと上を目指す」——そういう昔の夢を、挑戦もせず手放しもせず、生煮えのまま抱え続けることになる。
成功した同世代を見て「昔は俺のほうが……」と飲みの席で思うことがあるなら、それは生煮えの夢がまだ残っている証拠だ。
大きく変えなくていい。まずは止まらないこと
じゃあどうすればいいのか。会社を辞めろとか、人生を変えろとか、そういう話じゃない。
海老原嗣生さんの『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』に、マイケル・ジョーダンの話が出てくる。バスケの全盛期に突然メジャーリーグに挑戦して、結果的にうまくいかなかった。でもあれは失敗じゃなくて「消化」だったのだと、海老原さんは書いている。
夢はチャレンジしなければ、葬ることはできない。次の夢に行くためには、しっかり夢を消化する。
消化するとは、必ずしも夢を叶えることじゃない。本気で向き合って、結果を受け入れて、手放すこと。やってみて「違ったな」でもいい。「やっぱりこっちだ」でもいい。生煮えのまま抱え続けるより、ずっとマシだ。
そして海老原さんは、壮大な計画なんかなくても大丈夫だとも書いている。今の仕事を一生懸命やること自体が、決して分の悪い賭けではないと。チャンスは自分で無理に作り出すものじゃなくて、一生懸命やっている人のところに、誰かが声をかけてくれることで生まれる。その確率は宝くじよりずっと高い。賭け金はたった一つ、「一生懸命やる」ことだけだ。
だから、いきなり人生を変えなくていい。
ただ、「仕方ない」と言いそうになったとき、一回だけ立ち止まってみる。「ほんとうに仕方ないか?」と自分に聞いてみる。たぶん、それだけでも違うんだと思う。
それが「箱」にヒビを入れる最初の一打になるかもしれない。
もしもう少し余裕があるなら、自分が生煮えのまま放置しているものを一つだけ、紙に書いてみるのもいい。「地元に帰りたい」でも「副業を始めたい」でも何でもいい。書くだけでいい。書いた瞬間に「消化」が始まるから。
まだ答えは出てない。でも少し見えてきた
偉そうに書いてきたけど、今回のブログ、一番刺さっているのは自分だ。
あの友人に「なんで動けないんだろうね」と聞かれて、僕はうまく答えられなかった。でもこの記事を書きながら、少しだけ見えてきたものがある。
動けないのは、意志が弱いからじゃなかった。過去に積み上げたものを簿価で見て、手放せなくなっていた。「仕方ない」を繰り返すうちに、自分で檻を作って自分で入っていた。そして生煮えの夢をいくつも抱えたまま、どれにも向き合わずにいた。
でも、この記事をまとめたことで、『仕方ない』と言いそうになったとき、一瞬だけ立ち止まれるようにはなった。
それでも、まだ動けてない。
久住のテントもリュックも、玄関の横で埃をかぶったままだ。
……というか、簿価じゃなくて時価で考えるんだったら、2年間埃をかぶってるテントは売った方がいいんじゃないか。買ったときの値段を惜しんで持ち続けてるのは、まさに簿価思考だ。よし、売ろう(笑)。
参考書籍
※本記事は、上記の書籍を読み返した筆者の考察です。各書籍の詳細な内容については、ぜひ原著をお読みください。
