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45歳で「何か足りない」と感じる人へ|本を読み返して見えた不安の正体

先日、同世代の友人たちと飲んでいたときのこと。

仕事の話、子どもの話、健康診断の数値の話。40代半ばの飲み会はだいたいこのあたりを巡回する。で、3杯目くらいになると決まって誰かがこう言い出す。

「俺たち、あと15年何すんの?」

定年まで15年。住宅ローンの出口も見えてきた。子どもも手がかからなくなってきた。仕事もそれなりにやってきた。不満があるわけじゃない。不幸でもない。

でも、何かが足りない。

その「何か」がわからないまま、またビールを頼む。誰も答えを持っていない。ただ全員が同じ顔をしていた。

あの時の話がずっと引っかかっていて、本棚からいくつか引っ張り出して読み返してみました。


「足りない」の正体

橘玲さんの『幸福の「資本」論』に、幸福は3つの資本で決まるという話がある。

「金融資本」「人的資本」「社会資本」。

お金と、自分自身の能力や働きがいと、人とのつながり。この3つのバランスで人生の充実度が変わるという話だ。

45歳の僕らにこれを当てはめてみる。

金融資本——まあ、ゼロではない。贅沢はできないけど、20代の頃みたいに銀行の通帳を見て青くなることはなくなった。

社会資本——家族がいる。職場の人間関係もある。地元の付き合いもある。孤独ではない。

じゃあ人的資本は?

ここで詰まる。

橘玲さんは、人的資本を最大化する方法はたった一つだと書いている。好きなことを見つけて、そこにすべての時間とエネルギーを投入すること。

45歳でこれを読むと、しんどい。

好きなこと。全エネルギーの投入。……そんなもの、あるのかな?

20代の頃はあった気がする。がむしゃらに働いて、何かを掴もうとしていた。マネージャーを目指す、海外で活躍したい、将来は役員だ。

でも今は、仕事に情熱がないとは言わないけど、あの頃のような熱量はない。

まあ熱量がないこともないけど、仕事以外に燃えているものがあるかというと、ゴルフと家族サービスくらいしか思い浮かばない。

あの飲み会で感じた「何か足りない」は、たぶんここだ。金融資本と社会資本はそこそこ揃った。でも人的資本だけが宙ぶらりんになって、若いときよりも寧ろ何もないんじゃないか。

「経験に金を使え」と言われても

ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』は、人生の最大の目標は金を増やすことじゃない、経験を通じて人生を豊かにすることだと説いている。

これ、若いうちに読んでたらまた違ったのかもしれないけど、45歳の今読むとね。今から経験といっても。

40代半ばは、金はある(多少は)。時間も少しは作れる。でも何をすれば良いかわからない。

家族旅行には行く。子どもの行事にも出る。でもそれは「家族のための時間」であって、自分個人の経験かというと、ちょっと違う。

じゃあ自分だけの時間で何がしたいかと聞かれると、うまく答えられない。

実際、自分の休日を振り返ると恥ずかしくなる。気づくとソファでYouTubeのショート動画を延々とスワイプしている。Xのタイムラインを何往復もしている。もちろんそこから学ぶこともある。面白い発見もある。でも、それを「経験」と呼べるかというと、かなり怪しい。夕方になるとビールを開けて、眠くなって、そのまま一日が終わる。若い頃だったら、そこからもうひと踏ん張りする体力も気力もあったのに。

若い頃は逆だった。やりたいことはあるけど金がない。時間がない。チャンスがない。でも「やりたいこと」だけは明確にあった。

45歳は、手段が揃ったのに目的地がわからなくなっている状態だ。車の鍵は持っている。ガソリンも入っている。でもナビに行き先を入力できない。

「人生に何を期待するか」じゃない

ここでフランクルの言葉が刺さる。

『それでも人生にイエスと言う』の中に、有名な一節がある。

われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである

普通、僕たちは「人生から何を得られるか」を考える。あと15年で何ができるか。何を手に入れられるか。でもフランクルは逆だと言う。人生の方がこちらに問いかけている。おまえは何をするんだ、と。

「あと15年何すんの?」というあの夜の問いは、実は僕ら自身が発したものじゃなかったのかもしれない。人生の側から投げかけられた問いを、酔った勢いで口にしてしまっただけだ。

フランクルはこうも書いている。何の職業についているかは結局どうでもいい。重要なのは、自分の持ち場で最善を尽くしているかどうかだ、と。

これを読んで少し楽になった。別に45歳で壮大な夢を見つけなくてもいいのかもしれない。ただ、自分の持ち場で最善を尽くしているかどうか。その問いに正直に答えられるかどうか。

でも同時に、胸にチクッとくるものもある。最善を尽くしているか? 惰性になっていないか? それを聞かれると、自信を持って「はい」とは言えない自分がいる。

偶然は待っていても来ない

クランボルツの『その幸運は偶然ではないんです!』は、キャリアは計画通りには作れないと断言している。人生の目標を決めて、将来を設計して、自分のタイプを分析したからといって、理想の仕事が見つかるとは限らない。キャリアは何千もの予期せぬ出来事の影響を受ける、と。

ここまでは「まあそうだよな」と思う。

刺さるのはその先だ。

クランボルツは、唯一確かなことがあるとも書いている。何もしないでいる限り、どこにもたどり着かない。結果がわからなくても行動を起こすことでしか、新しいチャンスは生まれない、と。

45歳の僕らは、若い頃に比べると圧倒的に「何もしなくなっている」。毎週同じメンバーでゴルフに行って、同じ店で飲んで、同じ話をしている。新しい人に会わない。新しい場所に行かない。新しいことを始めない。

偶然は行動の中からしか生まれない。なのに行動パターンが完全に固定されている。これでは新しい偶然が入り込む余地がない。

学び始めるのに遅すぎることはない、とクランボルツは書いている。学習はキャリアだけでなく人生すべてを豊かにする、と。

頭ではわかる。でも「じゃあ何を学ぶんだ」でまた止まる。

「力が出ること」をやれ

このループを抜けるヒントをくれたのは、西村佳哲さんの『自分をいかして生きる』だった。何度も読み返している好きな本の一つ。

西村さんはこの本の中で、どんなに成功している人でも、人生に「上がり」はないと書いている。死ぬ瞬間まで「自分をどういかして生きるか」という課題からは、誰も降りられない。

45歳は折り返しじゃない。上がりでもない。まだ途中だ。

そして西村さんは正直にこうも書いている。「なにをやりたいのかわからない」という状態は、自分にもある、と。

そして、こう続ける。考えてもわからないことは、いくら考えたところでわからない。考えてわかったところで、力が出ないことは始められないし、続かない。

だから「力が出ることをやりなよ」と。

この「力が出ること」という言い方が好きだ。「やりたいこと」でも「得意なこと」でも「社会に求められていること」でもない。もっと身体的で、もっと素朴な表現。思わず手が伸びて、掴みにいくような衝動。それは思考じゃなくて、存在から湧き上がってくるものだ、と西村さんは書いている。

45歳にもなると、何が正解かを頭で考えようとする癖がついている。損得で判断する。効率で選ぶ。「今さらそれを始めてどうなるの?」と自分にブレーキをかける。

僕にも一応「趣味」と呼べるものはある。温泉、キャンプ、ランニング。でもこれ、力が出ているかと聞かれると、正直よくわからない。楽しくないわけじゃない。でも、ただ時間を持て余しているから埋めているだけなんじゃないか、と思うことがある。それは「力が出ること」とは違う。

でも本当は順序が逆なのかもしれない。理由や計画が先にあるんじゃなくて、まず力が出ることをやってみる。走りながら行き先を決めていく。西村さんの本に出てくる人たちは、みんなそうやって自分の仕事を見つけていた。

目標よりプロセスを大事にする。歩きながら行き先を決める。今の自分に満足できなくても、今できることをできる限りやる。ただし力の出し惜しみはしない。

地味な処方箋だけど、「あと15年何すんの?」に対する答えとしては、たぶんこれが一番誠実だ。

まとめないまとめ

何冊か読み返して、壮大な答えは出なかった。

でも少し整理はできた。

僕に足りなかったのは金でも仲間でもなくて、「人的資本」——つまり自分自身を何に使うかという問いに向き合うことだった。人生に何を期待するかじゃなくて、人生が自分に何を期待しているか。その問いに対して、僕は惰性で応答していなかったか。

答えは頭で考えても出ない。というより、遠い先の大きな目標や正解を頭で探し求めること自体を、もうやめていいんだと思う。「力が出ること」を見つけるしかない。そのためには、固定化した行動パターンを少しだけ壊して、新しい偶然が入り込む余地を作る必要がある。少しずつチャレンジしてみるんだ。

岡本太郎が『自分の中に毒を持て』で書いていた言葉を思い出す。

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。

45歳。積み重ねてきたものは確かにある。でも、その積み重ねが今の自分を固定しているなら、少し減らしてみてもいいのかもしれない。

あの飲み会の問いに、まだ明確な答えは出てない。

でも、何冊か読み返してわかったことが一つある。「あと15年何すんの?」に対して、遠い先の大きな目標を探そうとすること自体が、たぶん間違っていた。悩み方が違ったんだ。

壮大な計画なんかいらない。今の自分に力が湧いてくることを見つけて、結果を気にせずぶつかってみる。それだけでいい。40代だろうが関係ない。そうやって動いた先にしか、新しい偶然は転がっていない。

次に集まったとき、みんなに聞いてみようと思う。最近、力が出ることって何かある? 全力でぶつかってみるようなことある?って。

参考書籍

※本記事は、上記の書籍を読み返した筆者の考察です。各書籍の詳細な内容については、ぜひ原著をお読みください。

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