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このnote説法の頻出単語「縁起」とは?

このnote説法で、よく出てくる「縁起」。
このnoteで、ほぼ縁起しか説いていないくらい、

仏教の肝の教え


です(笑)

※私がブッダって天才だわーって一番思ったのは、この縁起の教えなので、イケメンブッダの写真にしてあります❤っていうか、普通にいた、いた、こういう顔の人、私が行ってたシンガポールの国際高校に(笑)
ブッダ、流石実在した人物~(∩´∀`)∩
つーか、ガンダーラ美術、サイッコー❤
これ、「みんなのフォトギャラリー」にアップされた方もサイッコー❤

で、今までの記事では、リンクを貼ったり、※1的な脚注つけて文章の最後に解釈を貼っつけていましたが、ここに貼っつけて、今後はここを参照していただくようにしますね。

↓こっから【縁起の説明】。
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この現象、ずばり縁起(因果関係)の教え。
この世界が出来たときから、あらゆることが縁って(よって)絡み合って起きていて、今、

私はここにこれを書いている。
みなさまはこれを読んでいる。

すべてあらかじめ決まっている。
すべては必然。
成るべくして成っている。
神はサイコロを振らない。

(これは仏教ではなくアインシュタインの言葉だけど)

私達、因果関係によって、ただただ動かされている、だけ。
すべて因果関係
その他のことは幻想
無、無我、空。
自分なんて実体はない
それぞれの解釈、世界が違うから。
自ら、こうしよう!と動いているわけでも、特定の他者に導かれているわけでもない。
誰のせいでもない
ただ動かされている、だけ。
流れに乗っかっている、だけ。
(強制的に乗らされているというか、流されているというか…)
頭の中で、どんなに抵抗しても、どんなにあれこれ考えていても、成るようにしか成らない

すべて成るべくして成っている
ある意味、全てのことが正解。
どんなに理不尽でも間違っていることはない。
そもそも正解も間違いもない。
因果関係でしかないから。

ただし、悪い原因が悪い結果を生む

苦しみ(煩悩)から解放されるには、悪い原因(結果)を作らないようにすること。

悪い原因の最たるものは、生きとし生けるものを傷付けること

傷付ける気がなくても結果的に傷付けちゃうことはある
それこそ、コトの善悪はそれぞれで違っちゃっているから。
だから、コトの善悪=無、幻想ではある。

でも、あらゆるつながりの中で、相対的に見て、その社会において
「悪い」とされる原因と結果、苦しみ(煩悩)をなるべく生まないように、
生きとし生けるものを傷付けないように気を付けることが肝要。

この「気を付ける」ことで自分をコントロール。自制。
自分のためにも、みんなのためにも。

苦しみ(煩悩)から、大切な自分と大切な他者を守るべし。

【補足説明】
縁起の教えは、良いご縁のみならず、理不尽な悪いご縁にも当てはまるため、どうにも受け入れがたいと思っている方々もいるかと思います。

頭の中のあれこれが「幻想=実体がない」からと言って、その事象がどこかに消えて忘れ去られてしまうわけではありません。
むしろ、さらなる悪い結果(原因)が生まれないように、物事が好転するように、覚えておかなければいけないケースがきっとほとんど。

さらに、自分が動かされているだけだからと言って何もしなくて良い、ということでもありません。

「悪い原因は悪い結果を生む」
「良い原因は良い結果を生む」

という大原則を踏まえたうえで、
自分に悪い結果(原因)が生まれそうだと気付けたときに、
その負の連鎖を断つ方向に持っていくこと
そして、同じように
他人が負の連鎖にハマりそうだと気付けたら、
未然に悪い結果(原因)を防げるように動くこと

良きにせよ、悪しきにせよ、同じ因果関係によって動かされているだけ
だったら、良い方向に動かされればいいわけです。
そこの舵取りは、この原則が分かっていれば、だれでもできるはず

ちなみに、この縁起(因果関係)。
因果関係は仏のみぞ知る ですからね。
あらゆる因果関係が絡みまくっていますので、凡人の私たちが、全部その絡みを紐解けることなんて、あり得ませんので!
過去世も絡んでくるからね!※過去世の記憶は必ず消えます。
見えたっ!さとったっ!とか思わないように~っ!!!
おこがましいっす😅


佛教大学で受けた講義で提出したレポートが「縁起」についてで評価高かったので(笑)もっと「縁起」について知りたい向学心高い方向けに貼っつけておきます。
佛教大学の現役学生の方々は、コピペしないように!
っていうか、授業に即しての内容なので、すぐにバレると思いますがぁ~処分受けられても私は一切の責任を負えません~あしからず~
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 縁起とは、Aに縁ってBが起きるという関係性、すなわち、因果関係を示す言葉である。仏教ができる前は、因果関係を超えたアートマン(永遠不滅の霊魂)が信じられていたため、すべてのものには実体がないという現実的な説明をして、非現実的な教えのバラモン教等に疑義を唱えた。縁起、無我、空は同じ意味合いとなる。
 唯一、三蔵がフルセットで残った上座部大寺派のパーリ仏典のうち、『律蔵』大品には、舎利弗と目連がアッサジと出会って真実に目覚め改宗に至った際の決め手となったアッサジの偈が記されている。「諸現象は原因から発生するものであり、それらの原因とそれらの抑止を、如来は言った。偉大なる沙門はこのように主張する方であります」というものであり、まさしく縁起について説明しており、縁起法頌と呼ばれる。ブッダが「如来」および「沙門」となるのは、リズムを合わせるため、もしくは、同じ言葉を繰り返さないためだと考えられるが、お経は、正確に覚えやすいように、呼び方は通常変えられないので、珍しいケースである。なお、苦しむ「原因」にも、その「原因」を滅する意味を持つ「抑止」にも言及していることが、縁起を説明する際の特徴としてある。この縁起法頌は、後に縁起経と共に、教え自体が信仰の対象となり、仏塔や奉献小塔におさめられることになる。「縁起を見る者は法を見る」、「縁起を見る者は我を見る」の二句にあるとおり、「縁起」を見られずして覚れないほど、要の教えだからである。
 後の大乗仏教やアビダルマにおいては、全て「縁起=十二支縁起」となるが、パーリ仏典の経の小部に収録されている『スッタニパータ』第三大いなる章 で縁起について説明しているものを見ると、「十二支縁起」という術語は見られず、「縁起」の教えがまだ熟しておらず、術語化に至っていないことが分かる。
 「縁起」を分かりやすく公式のようなものにした定型句として、以下のものがある。

a: imasmiṃ sati idaṃ hoti
b: imassuppādā idaṃ uppajjati
c: imasmiṃ asati idaṃ na hoti
d: imassa nirodhā idaṃ nirujjhati

お経には、これしか記されていないため、解説が必要となり、アビダルマが沢山出てくることになる。aとbは直訳すると、同じことを2回繰り返しているだけのように見えるが、アビダルマでは、同時的、継時的と、時間軸の違いによる説明を試みている。だが、初期仏典による証明はできず、謎は迷宮入りとなっている。
※↑については「部派仏教でもこの定型句を解釈しますが、アビダルマのみならず大乗仏教の論書でも解釈します。特に同時的な因果関係という私たちには少し理解し難い捉え方は、中観思想と密接に関係しているようです。」と教授から補足コメントをいただきました。
 ブッダが十二支縁起を覚ったとよく言われるが、弟子達が残している書物を根拠にしているため、実際はブッダが十二支縁起という綺麗な形で言ったのか、仮に言ったとして、どの時点でブッダがそれを覚ったかは分からない。初期の資料はほぼすべてなくなっているため、オリジナルを辿れないからである。但し、縁起に関する経典が集まるパーリ仏典の『相応部』12の10の記述によると、まだ覚っていないブッダが十二支縁起説を観察していく様子が見てとれる。そして、少なくとも、仏滅後100年の根本分裂の際には、完成系としての十二支縁起が出来ていたとされている。そうでなければ、『相応部』12.2に十二支の説明は存在しえない。さらに言うと、ここに、三支、五支、八支、十支の説明はない。
 縁起の観察方法には、苦しみが生じる順に観察する方法と、苦しみの原因を逆に辿る方法があり、後者が自然な流れであり、縁起説の成立と展開に関する考え方としては、最終的に十二支縁起説が成立したとする見方が主流である。
 『スッタニパータ』第三章と第四章のようなパーリ仏典の韻文資料は、中村元説からすると古いとされるものだが、実際に、十二支のような完成系はなく、十二支のパーツとなるような材料のみが存在する。
 『相応部』12.66の三支縁起説には、「取(執着)」に近いものの、十二支にはない所有欲が渇望と苦の間にあり、いたってシンプルで分かりやすい。『相応部』12.53にある五支縁起説は、生存と生まれの間に輪廻をはさむ。八支縁起説は、六処が悪の中枢になりえないため、最初に滅する対象とすることに疑問があり、十二支縁起は後から作り上げられたものなのではという疑いが拭えない。この八支縁起説と違って、感覚器官、感官の対象、認識作用の三事を和合させて起点とする縁起説は、疑問を持たなくて済む。十支縁起説は、アビダルマの縁起の基本の考え方となっている。また「城喩経」は、流転分と還滅分が通常、同じ構成・数で流れだけ逆になるところが、別の構成・数になっているため、変わり種であり、還滅分の「無明」と「行」はここで初めて加えられた。これは南方にはなく北方のみに存在する。
 三世両重の因果については、南伝のパーリ仏典にも、北伝の部派仏教にも共通する考え方だが、解釈が違う。他には、経にはないものの十二支を胎生学的に解釈するもの、生老死で終わらせない無限ループの二十行相、三輪転が縁起を説明するものとしてある。

【参考文献】


なんか教授の名前を出していいのか、よく分からない(今後の講義で悪用する輩がいるかもしれない💦)ので、名前は伏せておきますが、教授がおススメされていた本は、ご紹介しておきます。

↑宮崎哲弥さん好きなので、おぉーって当時思いました(笑)どーでもいいですが…(笑)ただのオタク(笑)

それにしても、このレポートを読んでいただいても、分かるとおり、

仏教ってホントに難解~(爆)


やっぱ流行らないよね(笑)これじゃ。
発祥の地であるインドなんて、早々とヒンドゥー教にとってかわられちゃって、衰退しちゃったからね。めっちゃマイノリティ。

よくぞ、日本、ここまで仏教残っている~って感じ(笑)
まぁ、もう仏教っていうか、「日本仏教」であって、ほぼ別物ですが、基軸は、もちろん、ブッダの教えですので。

浄土宗の「おつとめ(日常勤行式)」って、最初、8回大鏧(だいきん)ってやつを鳴らすんですけど、その理由は八正道(はっしょうどう)。

八正道とは、その名の通り、八つの正しい道。
覚る(さとる)ための実践法。

①正見(かたよらない見方)
②正思惟(かたよらない考え方)
③正語(かたよらない言説
④正業(正しい行い)
⑤正命(正しい生活)
⑥正精進(正しい努力)
正念(正しい思念)
⑧正定(正しい禅定

「これらは、さとりを得るための実践法である三十七道品にも含まれている。八正道は仏教における実践論の基本であり、阿含経典では、八正道とは修行者の実践法であること、また四諦中の道諦を具体的に表すものとして説かれる。さらに、苦を滅するために八正道を修すべきであるとされる。」
↓より引用。

っていうか、よく見たら、①から③「かたよらない~」って書いてあるー(笑)
私、脳の偏り(かたより)、強めΣ( ̄□ ̄|||)
無理やん(笑)
ま、それは一旦置いといて(笑)
とにかく仏教が難解過ぎることは、お分かりいただけたと思います。
尊敬する尼僧パイセン(日蓮宗)が、仏教は

宗教っていうより哲学


っておっしゃっていたことが印象に残っていますが、はい、どっちかっていうと、考え方/捉え方(とらえかた)/解釈の仕方なんですよね~。
で、哲学や思想も、大学で専攻されている方々、まぢで尊敬しますが、ハッキリ言って難しいじゃん?私含めたほぼ全人類のパンピーには( ̄▽ ̄;)
脳の強化トレーニング受けないと、あの難解な概念の考え方/捉え方/解釈、理解すんの、むずかしー、みたいな。
しかも、縁起の教えからすると、それも結局は幻想だよね?みたいな(爆)
縁起と幻想の境目がわからなくなるーっみたいな💦
で、なおさら、そこから「信仰心」を持つのって???って迷宮入りする(笑)

で、私としては、めっちゃ難解なんですけど、一度イメージだけでも、つかめると、悪い幻想がなくなって、めちゃくちゃ生きやすくなるので、できるだけ、分かりやすく紹介して、みんなの心を軽くしたいのです~っ!!!

だから、そこには、入信しなさい的なのは、ハッキリ言って、ないので!(はい、破門覚悟ー( ̄▽ ̄;)娑婆世界だと絶対言っちゃいけないやつー)
こころが、あ。軽くなった。」って思ってもらえれば、それだけで、私のミッションクリアです。

このnoteに辿り着いた皆様、引き続き、よろしくお願い申し上げます~(∩´∀`)∩

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