映画「ルックバック」~絵を描き倒す狂気と苦悩~
今話題のアニメ映画作品「ルックバック」を鑑賞して来たので、原作含めた感想を書いてみようと思います。詳細な分析は多くの有識者がされているので、ここでは私が感じたことをまとめてみます。
*注意点:作品のネタバレが含まれているため、まだ原作や映画をご覧になられていない方はご注意下さい。
★原作について
原作は「ジャンプ+」に掲載された藤井タツキ先生の長編読み切り作品。藤井先生と言えば代表作に「チェンソーマン」があり、アクションシーンが得意な方という印象がありましたが、良い意味で衝撃を受けた作品となりました。映画の感想の前に、まず原作について触れてみようと思います。
①ストーリーについて
小学4年生の藤野は学校新聞に漫画を連載する程の腕前で、クラスメイトから尊敬の眼差しを受けている少女。ある日、担任教師から不登校の生徒、京本の漫画を掲載させてあげて欲しいと相談を受けて、渋々了承するも、掲載された漫画の画力に衝撃を受けた藤野は、京本に密かにライバル心を燃やし、彼女以上に上手くなりたいと一心不乱に漫画を描き始めるというストーリーです。
②メインキャラクターは二人のみ
同作は150ページの読み切り作品ですが、メインとなるキャラクターは主人公の藤野とパートナーとなる京本という二人の少女のみとなります。それぞれの家族や友人の描写は最小限に留められており、前半は藤野、後半は京本の心理描写にフォーカスされています。それぞれのキャラクターについては映画のレビューで触れたいと思います。
③時間経過のコマ構成の巧みさ
私が一番衝撃を受けたのは時間経過のコマ構成の巧みさです。漫画のレビューを書いていた頃に、太刀掛秀子先生のコマ構成の上手さ(注1)に感銘を受けた覚えがありましたが、その時とは違う意味で衝撃を受けたというのが素直な感想です。
同作は時間の経過を表現するコマ構成が何度か使用されていますが、敢えてモノローグを使用せず、比較的シンプルなコマ構成と背景の書き込みのみで表現しており、読者にとってストーリーの流れや、場面が非常に分かりやすくなっていると感じたと同時に、非常に印象深い点でした。
④人物描写の巧さ
藤井先生は決して人物描写のバリエーションが多い方ではないものの、人物の表情や心情描写が非常に上手い方だなと感じました。個人的に印象深かったのは序盤の京本の絵の巧さに衝撃を受ける藤野の表情です。ここまで自分の画力に絶対の自信を持っていた藤野の自信が打ち砕かれたことが見事に表現されている一コマとなっています。これ以外でも、デフォルメ表現に頼らず、目や口の動きや影の使用によって人物の表情や心情が上手く表現されているところも上手いなと感じた点でした。
⑤絵を描き倒す狂気と苦悩
同作のメインの一つとなっているのが主人公である藤野の絵を描き倒す描写。京本の画力の高さに嫉妬し、苦悩する。同時に、自分もそれに追い付こうと書籍などを参考に一心不乱に絵を描き始める姿、どうにかして上手くなりたいという執念が、人物描写とコマ構成によって見事に表現されていて、圧倒された部分です。前半は藤野の姿、後半は藤野と京本の姿が描かれていて、プロの漫画家として少しずつステップアップしていく様子も綿密な背景描写と共に表現されているところも注目すべき点です。
⑥別れと悲劇
この作品のテーマとなっているのは創作の他に別れと悲劇があります。ここで言う別れというのは、共にプロの漫画家を目指していた京本が藤野から自立し、美術大学に通い始めるということ、その美術大学で起きた殺人事件によって殺害されてしまうという悲劇です。
唯一実力を認めていた京本が自分の元を去ってしまったことによる藤野の悲しみと、それを乗り越えて一人前の漫画家に成長した後に京本が殺害されてしまうという悲劇が前半の創作エピソードの後に描写されているため、主人公達の成長物語だと構えて読んでいた私はとても衝撃を受けました。
⑦京都アニメーション放火事件への怒り
この作品が先に起きた京都アニメーション放火事件を題材にしているのはとても有名な話ですが、筆者が印象的だったのは、その事件への怒りを独特な表現で描いているという点でした。その独特な表現というのは、京本が亡くなった後に彼女の部屋を訪れた後の「もし藤野と京本が小学生の時点で出会っていなかったら」という回想シーンで描かれています。
回想シーンとは、美術大学に進学していた京本が、作品を製作中に、キャンパスに侵入して来た明らかに異質で不気味な男に襲われるが、間一髪で藤野に救われて難を逃れるというもの。この中で藤野が男を問答無用で撃退するシーンは、放火事件への作者の怒りと憎悪を強く感じました。
⑧喪失感から立ち上がる藤野
⑦で描かれた回想シーンの後に、京本の部屋にある扉が開かれ、出会った日に藤野が背中に「藤本歩」というフルネームでサインした羽織が現れ、かつてふたりで切磋琢磨した回想シーンと共に、人として、漫画家として立ち上がり、再び漫画を描き始める姿を藤野のバックシーンのみで描き、ラストとなります。個人的にはこのシーンが一番印象深く、心を揺れ動かされるものでした。
⑨Don’t look back in Anger
これは有識者の話なのですが、「ルックバック」というタイトルは、オアシスの名曲「Don’t look back in Anger」がモチーフとなっているそうです。同曲の詳しい解説はこちらが参考になります。
「Don’t look back in Anger」を直訳すると「怒りに変えてはいけない」。これは京都アニメーション放火事件を題材にしているだけに、同事件の犯人のように思い通りならないことがあっても怒りに変えてはいけないという作者の強い思いが表現されているのだなと感じました。また、「Don't look back.」のもう一つの意味、「振り返ってはいけない」には、藤野が京本の死を乗り越えて立ち上がるラストシーンのモチーフとなっているのではないかと推測しております。私は洋楽をあまり聴かないため、作品を読んでいる段階では全く気付かなかったのですが、教えていただき、曲について調べてみると、非常に衝撃を受けました。
ちなみに有識者によれば、原作ページの上に「Don't」が書かれているのは、「Don’t look back in Anger」と結び付けられているとのことでした。
★劇場版について
原作の話が長くなってしまったので、タイトルの劇場版について触れていくことにします。こちらもネタバレが含まれているので、まだ未鑑賞の方はご注意下さい。また、ストーリーの詳細については上記の「原作について」で触れたので省きました。
①冒頭シーンの衝撃
同作の冒頭では、藤野が原作で書いた四コマ漫画(原作の冒頭で登場)がアニメーションで挿入されているのですが、男女カップルの声優さんが森川智之さん、坂元真綾さんで驚きました。もちろん登場はこの冒頭のみ。このシーンだけで大物声優を起用していることに驚きました。
また、原作とは違う唯一のオリジナルシーンでもあります。原作の世界観を壊さないよう、原作の四コマ漫画を忠実に表現していて、違和感は全くありませんでした。
②原作を忠実に再現
この作品は原作に対して非常に敬意を払われた上で製作されていて、原作のシーンや、作者が伝えたいことが忠実に再現されていることが特徴です。細かい部分は有識者が色々なところで語られているので書きませんが、漫画原作のアニメ化にありがちな、制作側の勝手な解釈を決して入れず、あくまで作者の伝えたいことだけが描かれているところが本当に素晴らしいです。
また、原作の一シーン一シーンをむやみにカットしたり、オリジナルのシーンを入れたりすることもなく、しっかり表現されていることも素晴らしく、作品の評価を向上させる要因のひとつだと思います。
③音楽の素晴らしさ
同作の特徴としてBGMの素晴らしさも外せません。音楽を担当しているのは青森県出身の音楽家haruka nakamuraさん。作中で用いられているピアノを主体とした楽曲はどれも素晴らしく、特に京本が亡くなった後に挿入されている「FINAL ONE」はラストの回想シーンと藤野の心情が見事に表現されていて、鑑賞中に涙が出てきてしまいました。鑑賞された方はぜひオリジナルサウンドトラック を購入されることをお勧めします。
また、同サウンドトラックにはuraraさんが歌われている主題歌「Light song」も収録されています。まるで讃美歌のような厳かなメロディーが印象的で、こちらも作品の世界観が見事に表現されている曲だと思います。
④キャラクターについて
・藤野(CV河合優実)
声を担当するのは23歳の若さながらすでに多くのドラマや映画に出演されている河合優美さん。私は基本的に職業声優以外の方が声優を担当することに好ましく思っていない人なのですが、河合さんの演技は素晴らしく、冒頭の森川さん、坂本さんの演技を見たあとでも違和感はありませんでした。
さて、その藤野のキャラクターですが、少年漫画の主人公らしく、活発でクラスのリーダー的な側面を匂わせつつ、いわゆる芸術家気質を持ち合わせており、内面に潜む繊細さ、絵を描くことへの並々なる拘りなども表現されていて、非常に魅力的に感じました。漫画家としては、コマ割りやネームセンスに優れているようで、京本との才能の違いが表現されていることも特徴です。
作中では思うように絵が描けないことで一度は挫折してしまう場面や、京本とのパートナー解消、その京本の突然の死など、様々な経験をしながらも、プロの漫画家として、少女から一人の女性として成長していく姿が丁寧に描かれていて、ここも藤野の魅力を高めていると言えます。
また、有識者によれば、作中でパートナーとなる京本への尊敬とコンプレックス、違う道を歩むことになった際の悲しみなどは原作者本人の経験が投影されているようなので、ぜひ感想ブログやYouTube動画などをお調べいただくと良いかもしれません。
印象深いシーンはいくつかありますが、私はラストの一度は漫画を描くことを止めようと考えた藤野が回想シーンを経て、京本の死から立ち上がり、再び漫画家を描き始めるという場面が非常に印象深いです。
・京本(CV吉田美月喜)
声を担当するのは21歳という若さながらすでに多くのテレビドラマに出演されている女優でモデルの吉田美月喜さん。河合さんと同様にイメージはぴったりで違和感はありませんでした。引き篭りの少女から絵を描くことを経て成長していくという難しい役柄なら、見事に演じられていたと感じました。
藤野が陽なら、京本は陰という典型的なキャラクターでありながら、藤野に負けず劣らず芯が強い面がしっかり描写されていて、引き篭りだった少女が同級生の藤野と出会い、漫画を描くことをきっかけに外の世界に出たことで、人として、漫画家として成長していく姿が印象深いです。
非常に画力が高く、藤野とパートナーになったことで、漫画家としてデビュー後も背景を主に担当していることからもその画力の高さが伺えます。ちなみに少女マンガの女王と謳われた一条ゆかり先生が、優秀なアシスタントに背景や小物を描かせていたことは有名な話で、どのアシスタントに何を描かせるかは、漫画家としての力量を問われる一要素のようです。
作中ではもっと絵が上手くなりたいという思いから、藤野と別の道を歩むことを決断します。それは県内の美術大学に進学することでした。ちなみにこのモデルとなっていると言われているのが作者の出身校である山形県山形市の東北芸術工科大学 です。この選択は、藤野からの自立と自身の向上心の高さによるものであり、京本の芯の強さと成長をしっかり表現している印象深いシーンのひとつだと思います。
その後、大学で作品を製作中に侵入してきた暴漢に襲われ亡くなってしまいます。パートナーでなくなった後も、藤野の作品はずっと追い続けており、その痕跡は京本の部屋に残されていました。これは、藤野が京本の死から立ち上がるきっかけとなるシーンでもあります。
また、なぜ引き篭りになったのかという要素は敢えてカットされているところも印象的です。家族も一切登場せず、あくまで当初は藤野の密かなファンだった「陰キャな少女」という点だけが描写されています。これに関してはいろいろなご意見があるかとは思いますが、あくまで主人公が藤野であることを考えると、特に描く必要はなかったというのが作者の意図なのだと推測しておりますし、私もそれで良かったと考えています。
⑤上映時間について
同作で特徴的なのが上映時間が60分ということです。近年のアニメ映画の上映時間が約90分が主流となっている中では短い時間と言えるでしょう。しかし、物足りなさは一切感じませんでした。これは作品のクオリティが高いということに他なりません。
私は90分のアニメ映画も濃密なストーリーをじっくり楽しめるという点では好きですが、作品のクオリティが高ければ60分でも全く気にならないどころか、短い時間で気軽に見られるという側面を持っているなと感じました。より多くの映画を楽しみたいという人にとっては60分映画というのは魅力的でしょうし、同作の成功で、ひとつの方式として広がっていくのではないでしょうか。
⑤総括
冒頭にも描きましたが、私はこれほど原作漫画に敬意が払われ、作者のメッセージをしっかり伝えている作品を久々に鑑賞したかもしれません。原作と同様に作者の苦悩や怒りがアニメーションを通じて強く伝わってきて、エンドロールの最中も涙が止まりませんでした。私も作品を受け取る側として、敬意を払っていきたいと改めて感じました。ここまで長い文章をお読みいただきありがとうございました。
