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「ADHD」「発達障害」の息子との付き合い方がわかりません

1. 変わった子
2.周囲からの厳しい声
3.いじめに会う
4.「しつけ」・・普通に社会生活を送れるように
5.「ADHD」という「障害者認定」
6.心療内科医師のアドバイス「決して叱らないように」
7.知らないことに責任をとれる?「ADHD」「発達障害」という言葉すらない時のことを・・

1. 変わった子

40年以上前の80年代当初に生まれた息子は、今で言うADHDでした。
当時、” ADHD”という言葉も「発達障害」という言葉も耳にすることはありませんでした。精神医学には関心があったのですが、精々「離人症」という言葉が頭を過った程度でした。40年~50年以上前の精神医学と現在の精神医学とでは、用語も病気の概念も治療法もまったくと言っていいほど違うかと思います。

確かに変わった子でした。
空を指指して、「あ!飛行機だ!」と他の子が言うと、息子は、「あれはYS11」。他の子は、「違うよ。あれは飛行機だよ。」と言う具合。電車を指して「あ!電車だ!」と他の子が言うと、息子は、「あれは2000系」といった具合。
初めてのこどもでしたので、何処に行くにも連れていき、かわいがりました。男の子育てを考えるグループがあって、そこにも、よく一緒に顔を出しました。山登りに連れて行くと、「いいおとうさんだね」と褒められてました。

2.周囲からの厳しい声

次第に回りからいろいろな声が聞こえてくるようになりました。
「こどもはやりたい放題だけど、おとうさんは、叱りも、なんにもしないんだね。」
「離人症の気があるね。」
周囲の他者からの言葉は、次第にキツくなりました。
「なんとかしてください!手に負えません!」
「あの子はだめだね!」「いつか、こどもに殺されるんじゃないの!」とまで(その真意は未だに分かりませんが)。
流石に、父親としては腹が立ちました。
今なら「ADHDのこどもとの付き合い方」とか、巷に溢れる程たんさん情報がありますが、当時は皆無でした。

父親としても、こどもがおとなになった時、最低限、普通の生活ができるようになってほしいと思いました。これは、父親としては、いたって普通の考えだと思います。ADHDという言葉はまったくなかったのですし。

3.いじめに会う

ある日、仕事から帰ると、息子が腕に大きなギブスをしているのです。聞いて見ると、「ブランコで遊んでいたら、友達のAくんがいたずらしたので、ブランコから落ちた。」とのこと。重症の骨折でした。Aくんからの虐めとは、息子はまったく受け取っていないようでした。私がAくんが虐めたの?と訊ねると、むしろ、Aくんを庇っているようでした。
また、ある日には、私の母親が「今日Aくんが家に遊びに来たんだけど、その後、財布からお金がなくなった。」という事件がありました。流石に、担任の先生に電話しましたが、先生には虐めの認識はありませんでした。お金がなくなった件も、うやむやに。それどころか、この担任すら、私に電話してきて、「息子さん、とても困ります。なんとかしてもらえないでしょうか。」と言う始末。当然、当時の先生も私同様、「ADHD」「発達障害」という言葉すら持っていませんでした。

4.「しつけ」・・普通に社会生活を送れるように

それからです。家庭で息子に少し厳しくするようになったのは。と言っても、「ご飯よ。」と言われたら直ぐにご飯を食べる、とか、ご飯を食べる時は、別のことに夢中になりすぎずに、ご飯を食べる、とか、歯磨きをして寝るとか、日常生活の基本的なことでしたが。

5.「ADHD」という「障害者認定」

・・・その息子が大人になってから、息子は、心療内科に通い詰め、「こどもの頃、父親に家庭内暴力を受けてADHDになった。」と(息子に手を挙げたことは一度たりともありません)、あること、ないこと述べ立てて、なんどもなんども申請し直してやっとのこと「障害者認定」を受けました。その過程で、私「父親」に対する「被害心理」も増幅・固定していったようです。
私には一言もなく、私の了解なく、法律上も自分の名前(私が付けた名前です)を変えてしまいました。私の母親が脳内出血で危篤の時に、そのことを病院の署名で分かり、「せめて事前に言って欲しかった」と静かに言うと、病院のICU内で、大声で私を詰る迄に至りました。「自分が障害者になったのは、あなたのせいだ!」と。
その後、息子は、戸籍も抜きました(そのことを、ずっと後になって市役所で別の手続きをした際に初めて知りました)。

6.心療内科医師のアドバイス「決して叱らないように」

某病院の心療内科に、病人本人がいなくても家族でも診察可能というので、受診しました。医師のアドバイスは、「息子さんに、決して批判的なことを言わないように、叱らないように、刺激することは言わないように」ということでした。私のちょっとした発言でも、息子には、恰も、とても大きな声で怒鳴っているように聞こえるから、とのこと。

7.知らないことに責任をとれる?「ADHD」「発達障害」という言葉すらない時のことを・・

私も当時の教師も誰も「ADHD」「発達障害」という言葉すら知りませんでした。
今だからこそ、当時の私=父親も、当時の教師も、「ADHD」「発達障害」のこどもに対する扱い方を間違えていたと言える余地もあるのでしょう。しかし、当時は、そんな言葉すら知らなかったのですから、「扱い方」を時には間違えることがあるのは仕方ないのではないでしょうか。それでも、私にも教師にも、もっとしっかり息子と向き合える余地があったのでは?ということは理屈としては有り得るでしょう。しかし、今だから言えることであり、現実的ではないのではないでしょうか。

「ADHD」「発達障害」という概念がなかった時のことを、「ADHD」「発達障害」という概念が誕生した後に、その概念を用いて批判するというのは、大きな矛盾を抱えていると思います。せめて、息子に、その矛盾に気が付いてほしいです。

同じような経験をされている方は、少なからずいらっしゃるかと思います。
SNSとか、インターネットで調べていますが、正直言って、混乱が増幅してしまう思いです。ひょっとして、「ADHD」「発達障害」という医学概念自体も、これから変化していくのでは?とすら思ってしまう程です。私が体験したように、40-50年前の精神医学の「常識」が大きく変わったように。

ですので、未だに「ADHD」「発達障害」の息子との正しい付き合い方が、私には、わかりません。

                  写真は、「地蔵」大塚櫻作品から
     16.Sep.24 JP.


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